中国在住10年を経て帰国。
中国、という日本とは違った視点で、
日本をあれこれ考えてみる、
日中文化考ブログ by 田中奈美
東京の坂、北京の胡同

 東京の街はつくづく坂が多い。自転車で走っていてそう思う。

 私の自転車はママチャリではないが、電動でもなく、人力のミニベロである。

 

 北京でもよく自転車を使ったが、北京の街中にはおよそ坂というものがない。だから「坂」という中国語も使った記憶がない。

 一方、東京はとにかく坂だらけ。とりわけ最近はずっと電車に乗らず、用事のあるときは自転車で移動していたので、東京の坂が身に染みる。

 

 特に私が住む豊島区の大塚というところは、少々低いところにあるようで、ここから山手線内エリアを移動しようとすると、たいていの場所は長い坂を上らなければならない。

 

 例えば東大農学部。一昨年、猫の抗がん剤治療で農学部内の動物医療センターに半年ほど通ったのだが、ここは坂の上にある。このため、大塚から後楽園までゆるゆると上ったあと、春日駅をすぎたあたりから、さらに傾斜のきつい坂を上ることになる。

 それでもまだまだ序の口で、音楽でいえばフォルテくらい。東大農学部の手前数百メートルまでくると、傾斜はフォルティッシモに達し、オーケストラでシンバルがバンバン鳴っている感じ。

 

 さらに東大から上野まではほぼ一直線で行けるのだが、今度は谷中まで一気に坂を下ったあと、上野のお山まで、何かの罰ゲームのように上り続けることになる。帰りはこれを逆に繰り返す。

 

 自転車愛好家には坂マニアがいるそうだ。急な坂は「激坂」と称され、坂マニアたちを魅了してやまないようだが、私はただの自転車乗りなので、できれば道は平らなほうがよい。

 

 先日、麹町の友人宅に届け物をしに自転車で行った時には、道中、上るか下るかのオール坂だった。

 中でも神楽坂に出る手前、赤城神社脇の道は、徒歩でも前のめりにつんのめりそうな急坂で、自転車ではとうてい上りきれず、早々にあきらめ、押して歩いた。ついでに麹町も坂だらけ。お金持ちエリアはたいてい坂の上にある。

 

 急坂といえば、曙橋の近くに急傾斜かつ途中でVの字に折れ曲がっている念仏坂という坂(今は階段)がある。

 現在、道の両側はビルになっているが、坂名の標識によると、江戸時代は左右が谷で、念仏を唱えて通った難所だったそうだ。

 

 他にも、私は通ったことないのだが、よく行く雑司ヶ谷の近くには都内一の急坂として知られる「のぞき坂」がある。名前の由来は坂のてっぺんの端っこに立たないと、下が見えないくらい急斜面だからだという。

 

 思えば、東京の坂には、さまざまな名前がついている。

 念仏坂ように標識を立て、歴史を紹介しているところもある。

 そして、気を付けてみていると、坂の名がまたユニークだ。暗闇坂、禿坂などという名前の坂もあったりする。

 

 私は知らなかったのだが、実は東京の坂の歴史文化は深く熱い。坂はいろいろな人に研究され、坂学会なるものもあり、タモリさんが坂道ブームに火をつけてから、坂愛好家もぐっと増えたようだ。そういえば、美女が坂道を駆け上がるだけの「全力坂」という番組もあった。

 

 横関英一著『江戸の坂 東京の坂』によると、江戸の坂は、「江戸が新開地であったがために、江戸以前の古いころの坂名」と「江戸ができたから、とくに徳川の時代にあってからできた坂の名は、少しばかり違っていた」という。

 江戸の坂の名は江戸の庶民がつけたので、江戸っ子気質そのまま、「単純明快、即興的で要領よく、理屈がなくて、しかもしゃれっ気があふれている」そうだ。

 

 富士山が見えれば富士見坂、海が見えれば潮見坂、樹木などが茂って薄暗い坂は暗闇坂、急な坂は胸突坂、といった具合(文京区の胸突坂は上記のぞき坂の近くにある)。

 江戸っ子にとって、坂名は地名的役割を果たしていたようである。

 中にはおいはぎ坂とか幽霊坂のようにあまり人聞きのよろしくない坂の名前もあり、自治体によっては標識をたてていないところもあるらしい。

 

 そこでふと思い出すのが、北京の胡同(フートン)である。

 北京の街に碁盤の目のようにはりめぐらされた路地には、かつて一本一本に名前がつけられていた。 北京五輪前後の大開発で古い胡同はだいぶ失われてしまったけれど、胡同の名前は古い路地とともに、まだまだ健在だ。

 

 それらは北京の歴史や北京っ子たちの暮らしと密接に結びつき、金魚胡同や百花深処みたいな趣き深い名もあれば、銭糧胡同、炒豆胡同のように由来がわかりやすいもの、菊児胡同や帽児胡同なんて北京なまりの名前などもある。

 

 中にはストレートすぎる名前もあり、例えば「糞場胡同」は、かつて糞便処理場があったことからそう名付けられたそうだ。

 近年、そうしたいささか人聞きの悪い胡同名は改名され、糞場胡同は「奮章胡同」という無難な今風の名前に代わっている。

 それでも昔ながらの胡同の名前はいとおしい。そこには、北京の歴史や人々の暮らしが凝縮され、今も残る路地の風景ととともに、北京的アイデンティテイを保っているようだ。

 

 ひるがえって東京の坂の名称にも、かろうじて、江戸の歴史と暮らしの記憶が残る。そう思えば、つんのめりそうな東京の急坂もいとおしく感じるような気がしなくもない。

 しかし、東京の街は、北京以上に昔の面影を一掃してそっけなくなり、坂もだいぶ削られたり舗装されたりして様変わりした。

 

 そして、渋谷の道玄坂のラブホ街を昼間、自転車でぜいぜい言いながら走り抜けつつ、道玄坂という坂名に想起するものは、江戸的アイデンティテイより、東京の街が失ったナニカであるようにも思う。

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不安が渦巻くときに思うこと

 最近、毎日、テレビをつけると、不安が渦巻いているようである。

 こういうとき、思い返すのは、日々をちゃんと生きる、ということの意味である。

 ちゃんと生きる、というのはたいそうなことではなくて、たとえばちゃんと掃除するとか、ちゃんとご飯をつくるとか、ちゃんと身だしなみをするとか、平時ではあまり気にしないような、こまごまとした、でも改めて意識してやってみると、自分はちゃんと生きてるのだと思えるような日々のささやかなことをする、ということである。

 

 なぜ、こんなことを考えるようになったかというと、昨年、乳がんの手術で入院していたときのこと。入院中に(というか、手術の翌日に)、部屋を移動することになった。ベッドごと移動するというのでてっきりベッドに横になって移動するのかと思ったら、おもむろに起こされ、荷物をベッドに乗せて、歩いていくように言われた。

 まさかベッドも自分でひっぱってくのかと思ったら、さすがにそれは看護婦さんがあとから運んでくれると言う。

 

 ということで、数百メートル先の部屋へ移動した。(ちなみに、術後すぐくらいから、わりとばりばり元気だったので、歩くことはどうということもなかった)

 部屋に入ってすぐ、お隣さんとなる窓際のベッドスペースが目に入った。

 ちょうどカーテンが開いていて、お隣さんは留守だったのだが、その空間は花であふれ、見た瞬間に、「ああ、このベッドの方は、ものすごく周囲から愛されている方だなあ」とそんな気がした。

 

 それからほどなくして、私のベッドが到着し、荷物をバタバタ整理していると、私より少し年上くらいの女性がよろよろと部屋に戻ってきた。しんどそうだったので、元気に挨拶することがためらわれ、軽く会釈をしたところ、一瞬、足をとめたその女性は少し笑顔になり会釈を返し、そしてまた、ゆるゆるとしんどそうに、花に囲まれた隣の空間に入っていってカーテンを引いた。

 それが隣人の患者さんとの最初の出会いだった。

 

 その女性は、末期のがん患者だった。

 私が移動してくる少し前に、余命半年と医者から言われた、という話をカーテン越しに聞いてしまった。

 なにしろカーテン一枚なので、会話が全部聞こえてしまうのである。来客中はなるべく席をはずそうと思ったのだが、とにかく見舞い客が多いので、なかなか席を外すということもできない。

 

 見舞い客の他に、毎日、夕方になると、すらっとかっこいいだんなさんがやって来て、病院の食事の時間にあわせ、自分も持参した夕飯を食べていた。お子さんはいらっしゃらないようだった。彼女はすでに食事がとれないようだったが、夫婦のささやかな団らんの時間だったのではないかと思う。

 

 彼女は、おそらくどこかわりと大きな会社で、部長クラスの役職にでもついていたのではないだろうか。

 仕事仲間、後輩や上司など会社関係の人から友人、親戚まで、いろんな人が毎日、お見舞いに来ていた。

 そして、その人たちに余命宣告を受けたということを、さくっと報告していた。

 聞いた相手はたいてい、えっと一瞬かたまる。そこで女性は、「まあこれが半年後に笑い話にでもなればいいんだけどねえ」とフォローをし、相手も「そうだよねえ」と相槌を打って、その後は普通にあれこれよもやま話をしていく。そんなことが毎日繰り返されていた。

 

 いろいろな人がいろいろな手土産を持ってきていた。そのたびに彼女は、「わあこれ素敵! え〜うれしい!!」と、本当にうれしそうに喜びを表現した。

 中には食べ物をもってくる人もいて、彼女はおそらく食べられないだろうけれど、同じようにすごく喜んで、カーテン越しに相手がにこにこしている表情まで伝わってくるようだった。

 

 ただ、親しいがん友らしい友人が来たときは、彼女の余命を聞いてショックを受ける相手に、「ごめん、一足先にいくことになっちゃうと思うけれど」と、そんなふうに話した。

 

 そしてだんなさんと二人になると、しばしば痛み止めの麻薬をつかった。患者が自分で操作して鎮痛剤を投与できる機械があり、彼女もそれを使っていた。それを使う頻度は、日に日に増えていくようだった。

 

 でも、だんなさんが来ると、来客中の気合の入った元気とは違う、穏やかな元気に、少しだけなるようだった。

 あるとき、だんなさんが「柔軟剤初めて使ってみたんだけどさ」と話をしていたことがあった。「へえ」と彼女。「なんか……」とだんなさんが言葉を区切り、「うん」と彼女が相槌をうつ。

 一呼吸おいて、 「柔軟剤って、無駄にいい匂いがするんだな」と旦那さん。

 彼女は少し笑ったようだった。

 それから、加入したばかりのAmazonプライムを解約しなきゃとか、そんな話をぽつぽつして、静かな暖かい(と、私には思えた)時間が過ぎていった。

 

 私が退院する少し前、彼女は病院からホスピスをすすめられたようだった。

 「それもいいんだけれど」と、彼女が旦那さんに話しているのが聞こえた。

 「でもそれって本当におわりみたいじゃない」

 

 それからほどなくして私は退院した。

 その後、彼女とは会っていない。

 でも、ときどき、彼女のことを考える。

 カーテン越しのただの隣人という関係で、話もほとんどできなかったけれど、私は彼女をとても尊敬していた。

 それは、彼女を通じて、日々を生きる、ということを改めて考えたからだと思う。

 

 昨日と今日がかならずしも同じように続いていくとはかぎらない。

 先が見えなくなったとき、あるいはその先に本当の意味でのおわりが見えたとき、できることは、ただ、いまこの瞬間をちゃんと生きる、ということである。

 そして、生きることを考え続ける、考えることをやめない、ということである。

 そうすれば道が開ける、なんてことは思わないけれど、少なくとも「生きる」という「やること」があるということは、貴重なことだと思う。

 

 不安は何も生まない。

 それなら生きること、どうやって生きるかということにコミットしたほうがいい。


 と、いうことで、最近いろいろ準備していたことがとんで、いつになった中国に行けるようになるかもわからず、このままいったら、自分の老後問題が深刻化しそうになり、唐突ながら人生で初めて卵焼き器を買ってみた。別に卵焼き職人になろうとかではなく、私はだし巻き玉子を作れないので、ひとまずおいしい卵焼きができたら生きている実感が一つ増えそうな気がしたのだ。

 だいたい日本は卵焼き文化がなぜか熱い。専用のフライパンまであるなんておかしすぎる、、、と思いつつ、今のところ上手く作れない。そしてむしろ、失敗するたびに、生きている実感を味わう日々である。

 

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ダイヤモンド・プリンセス号と「はたらく細胞BLACK」とサイトカインな人々

 とても不謹慎な表現なのだが、このところ、ダイヤモンド・プリンセス号の一連のニュースを見ていて、脳内で「はたらく細胞BLACK」がリフレインしていた。

 「はたらく細胞」とは、人間の体内ではたらく細胞たちのスリリングな日常を擬人化した大人気コミックおよびアニメ。「〜BLACK」は、不摂生した人間の体内ではたらく細胞たちの、とってもブラックな日常を描いた、さならがらホラーのようなコミックである。

「はたらく細胞BLACK」のPVアニメはこちら

https://www.youtube.com/watch?v=_hpb6P9gurA

 

 この「〜BLACK」、主人公の赤血球が(おそらく輸血かなにかで)別の体内に運ばれてくるところから始まるのだが、その体が糖尿病で、腎臓の糸球体は糖分のとりすぎでへろへろ、膵臓のランゲルハンス島のβ細胞にいたっては自殺してしまう、みたいな中で、赤血球はせっせと酸素を送り届けようとするも、次から次へとトラブルが起き続け、働く意味を失いかけてしまうといったストーリーある。

(なお、はたらく細胞の内容には、科学的に間違っているところもあるそうなのだが、そもそも細胞がヒト化している時点でファンタジーである)

 

 では、なぜ、ダイヤモンド・プリンセス号で「〜BLACK」がリフレインしたか。

これはまたとても失礼な書き方になってしまうかもしれないのだが、感染症が発生した巨大なクルーズ船という難しい環境に加え、おそらく政府や船会社など多数の大人の事情が複雑に絡みあうであろう非常に困難な状況で、問題の収束をはからなければならないというミッションは、ブラックな体内環境で壊れそうになる体を、なんとか正常に保とうとはたらく細胞たちの仕事のようだと思ってしまったのである。

 

 もともと健康体であれば、きちんと薬飲んで、はやく寝て栄養とってというごく一般的な正攻法で問題は解決するかもしれない。

 でも、厚労副大臣が船内のゾーニングの状況として、「左手が清潔ルート、右側が不潔ルートです」と、ルートの先が一つの部屋につながる写真をTwitterで告発?するもあっという間に削除する、みたいな謎なことがおきている状況で、正しいことを正しくせよというのは、とてもとても無理ではないだろうか。

 

 でも、こういう状況になると、正しいことを正しくすべしと声高にとなえる人たちがメディアでもネットでもたくさん出現してきて、「はたらく細胞」的にいえばサイトカインをばらまく活性化した樹状細胞のようである。

サイトカインは本来、体を守るためにつくられるものだけれど、放出しすぎると、自分の免疫機能で自分を壊してしまうそうだ。

 

 もちろん確かに、ダイヤモンド・プリンセス号については、他にやりようがあったのかもしれないし、少なくとも困難だという状況自体をもう少しうまく外部に伝えられていたらどうなっていただろうかと素人考えでは思う。でもそこには、どんな状況でも「きちんとやっています」と言い続けなければならない事情があったのだろうか。

 

 思えば、今の日本自体が、BLACKな人体そのものなのかもしれない。これまでは、いろいろ不具合が出つつも、まあまあやってこられた。しかし、実際のところは、まるっと臓器移植して若返るみたいなSFなことがないかぎり、もはやちょっとの運動や栄養管理で健康な体に戻るような状況ではないようにも思う。

 

 となると、まずはこのBLACKな体内で、BLACKなりにどう生き延びるかを考えるかのほうが現実的ではないか。この国で、炎症がおきるたびにサイトカインを放出する人々をみているとそんなことを考えてしまう。

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確定申告

 実家をリフォームして賃貸に出したのだが、確定申告にあたって、リフォーム代をどう計上したらよいかわからない。

 ひとまず税務署に電話をしてみると、リフォームの内容によって、資産と修繕とにわかれ、計上の仕方が異なるので、どれが何にあたるか、税務署まで出向いて相談を、との回答だった。

 

 それはさすがに面倒くさい。数日後、もう少し別の方法がないかと思い、改めて電話をしてみた。

 すると今度は、「その内容と金額なら、まとめて資産的支出となるので、減価償却費として計上できる」とのこと。

 では、耐用年数はどうしたらよいのかと問うと、リフォーム費としては耐用年数の規定がないので、マンションの新築時の耐用年数、すなわち47年を適応するしかないという。

 200万円くらいのリフォーム費用を47年かけて償却するというのは、なんか変である。というか現実的ではない。

 

 そこでまた後日、もう一度、税務署に電話をしてみた。電話口に出たおじさんは、これまでの2人より、あきらかに知識が豊富そうで、「賃貸に出したマンション自体も、法定耐用年数内であれば、資産として計上して、減価償却できるはずです。(中略)平成19年3月31日以前に取得したものであれば、(中略)もう少し短く償却できますし、2年目以降は、リフォーム費と合算できて(後略)」といって、なにやらたくさん専門的な解説をしてくれた。

 が、(略)の部分は専門用語のオンパレードで、さっぱり理解できなかった。(理解できなかったので、上記の内容も間違っているかもしれない)

 

 「ありがとうございます」と電話を切りつつ、途方にくれた。

 3人の回答がそれぞれまったく違うところが、なんだか北京に戻ったようである。

 とりあえず、気を取り直し、3人目のおじさんの内容をところどころ思い出しながら、ネット検索してみた。

 

 で、見つけた。国税庁のページに、「中古資産を非業務用から業務用に転用した場合の減価償却」とか「中古資産の耐用年数の計算式」なるものが解説されていた。

 それは素人がぱっと読んで理解できるような内容ではなかったけれど、これを頼りにもっとわかりやすい解説を探してみると、税理士さんのホームページなどで、具体例付の計算式が出ていたりして、ようやくなんとかなりそうである。

 

 こうして最終的にはきちんとした規定にたどりつけ、しかしそれがまたおそろしく複雑でややこしい、というところに、やはり自分は日本にいるのだということを実感する。

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フラット

 連日、報道される新型コロナウイルスのニュースを見て、どうも釈然としない。

 何が釈然としないのか、釈然としないまま、ただ、はっきりしているのは、1月23日、武漢が封鎖された直後、北京の恩師にEMSで送ったマスクが、29日に北京に到着して以来、ずっと未配達のままになっているということと、1月31日に別の恩師に、やはりEMSで送ったマスクが、いまだに日本すら出ていないということ、そして私が知るかぎり、薬局からもスーパーからもマスクが消え、Amazonやオークションサイトで販売されているマスクがえらく高騰している、ということである。

 

 思い返せば、2003年、私の北京生活は、SARSの到来とともに始まった。

 別にSRASを狙って留学したわけではないけれど、留学した直後にSARSの大波が来て、大学外に暮らしていた私は、大学に入ることすらできなくなった。そして町は人の気配がまばらになり、ちょっとしたゴーストタウンのようになった。

 それでも、当時は日本でマスクが買えなくなるような事態も聞かなかったし、そもそも、日本に大量の中国人がやってくるということは全く想像すらできなかった。

 

 改めて、この10年で、日本と中国はフラットになったと、しみじみ感じる。

 私は、フラットになるということはよいことだと思っていたし、それはいまでも変わらない。考え方や価値観に大いなる違いがあっても、育ってきた背景が全く異なっても、それでも、どちらがどちらに行っても、来ても、上とか下とか関係なく、フラットに向き合えるということは、とても大事なことだと思う。

 

 しかし同時に、日本のようなちっちゃな国が、中国のような巨大な国のすぐ隣にあり、人やモノの流れがフラット、もしくは大→小という関係下で起きるマイナスのインパクトについて、この国は無力だとも感じる。

 実際、マスクが買えない問題に対して、関係省庁が買い占めがおきないよう通達を出したり、首相官邸がマスクの予防効果はいまいちというお知らせ?を出すという状況である。EMSの大幅に遅延については、もうなすすべもない。

 

 なにかとサバイバルな隣国で生まれ育った人々であれば、おそらく、政府がいくら冷静に対応をとか、マスクの予防効果がいまいちと言っても、そんなのどこ吹く風で、買えるだけのマスクをとりあえず買うだろう。

 

 私が暮らす日本は、私が生まれてからこれまで知ってきた日本とはもはや違うのだと、改めて思う。

 それでも、この国を動かしている人々にとっては、相変わらず、従来通りの日本であることに、どこか釈然としないものを感じつつ、巣鴨の場末の薬局に、わずかに残ったマスクを見つけて、思わず、買い占めてしまうのである。

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距離

 10月に北京に行ったとき、こんなことがあった。

 きっかけは、中国武術の師から、「君の個人的問題は解決したのか?」と聞かれたこと。

 個人的問題ってなんだろうと思ったら、結婚問題のことだそうだ。

 今生では解決しそうにないと告げると、師は、数年前にシングルになった北京の男性がいるので、会ってみないかという。

 

 もう明日には東京に帰るという日で、できれば練習に集中したかったのが、断るのも失礼な気がして、会ってみますと返事をした。

 すると、師は、おもむろに、その場で電話をかけ、男性を呼び出した。

 

 生徒さんの一人だという男性は、わりと遠方にいたそうなのだが、師に呼ばれ、とりあえずやってきた。

 それからぽつぽつと話をして、WECHATを交換し、東京に戻ってからもぽつぽつとやり取りが続いた。

 日本には行ったことがないが、北海道には行ってみたいというので、では今度、北海道で集合してはどうかと提案し、それはいいねと、相手も乗り気だった。

 

 それでふと、日本と中国の、人の距離の近さに、しみじみした。

 これが10年前なら、おそらくWECHATの前身のQQで、ちょっとしたメッセージのやりとりは続いたかもしれない。だが、当時、スマホはなかったので、パソコンを立ち上げているときでなければチャットはできなかったし、何より、北海道で集合しようなどということは、ビザや経済状況などの諸事情で、簡単に言い出せることではなかった。

 

 それがいまや、WECHATのビデオ通話でいつでも顔を見て話ができ、北海道で会わない?的な話が気楽にできる。なんなら、向こうのほうがよほどリッチなので、逆にこちらが自分のお財布事情を気にしてしまうくらいである。

 さらにこの先、5Gが普及していけば、目の前にいるバーチャルな相手と話をするような時代になるのかもしれない。

 

 昨今は、クローンペットのように、死んだものとの距離も大幅に「短縮」されるくらいだから、生きている人間の「距離」はますます近しくなるようである。

 

 と、思っていたものの、あるときから少々、状況がかわった。

 それまでは、もっぱら、WECHATの文字メッセージで、やりとりをしていたのだが、音声チャットでやりとりするようになってから、相手の音声が再生できなくなったのだ。

 

 WECHATには、いちいち、文字を打ち込まなくても、しゃべればそれが録音されて、音声メッセージとして相手に送信できるトランシーバー的な機能があり、文字を打つのに慣れていない、もしくはそれをまだるっこしいと感じる少なからずの中国人が多いに利用している。

 

 くだんの彼も、「文字より声のほうが、温かみがあっていいじゃん」と、音声メッセージを送ってくるようになった。ところが、これがなぜか2回に1回かそれ以上の割合で、再生されないのである。

 最初は私のスマホの問題かと思ったものの、他の友人の音声メッセージは、どんなに長くても再生できる。

 

 ということは、音声メッセージになんらかのフィルターがかかっているのかと、妄想してしまう。

 メッセージの内容はまったくもってたわいのないことだし、あまりなんでもかんでも、当局のせいにするのもどうかと思うのだが、それ以外、どんな理由があるのかさっぱり思いつかない。

 そして、再生できないので、返事もできず、毎回、「再生できない」と相手に伝えるのも、なんだか言い出しにくく、結局、そのままフェイドアウトした。

 

 そして、思うのである。

 近年、技術の著しい発展で、人の「距離」はますます近しくなるものの、こと、中国においては、その技術の発展ゆえに、距離がますます遠くなることがある、かもしれない、と。

 そんな次第で、私の個人的問題は、やはり今生には解決しそうもない。

 

【ブログを見てくださるみなさまへ】

 本年も、拙ブログを見てくださり、本当にありがとうございました。

 今年は、個人的にはささやかながら人生最大の(と思いたい)ピンチの年で、なかなかブログも更新できませんでした。

 でも、私の乳がん治療も、あとはホルモン剤を粛々と5年間飲むだけとなりました。少し前、副作用の関節痛が出て、足の悪いお年寄りのように立ち上がるのにプルプルしていましたが、いまはすっかり元通りです。

 最近、太って、バイト先の検診では、代謝異常でひっかかりました。かかりつけ医に、「これも副作用ですか」と聞いたら、「みんなそういうけど、だいたいは手術終わってほっとして、元気になって、食べ過ぎるんだよ!」と、一蹴されました。

 老人ホームに入った両親は、慣れないながらも落ち着き、カラになった実家も、ちょうど、借り手が見つかったところです。

 昨年、腎臓型リンパ腫というわりと珍しい病気で死にかけた猫1は、今年初めまで続いた抗がん剤治療が劇的に効いて、この1年、寛解状態を維持しています。

 腎不全末期で闘病していた猫2だけが、残念ながら先日、天国に引っ越ししてしまい、一瞬、食事がとれなくなりましたが、すぐに元に戻り、あいかわらず体重が減りません(やっぱり副作用だと思うんですけど…)。

 そんなこんなでいろいろあり、本当にたくさんの方に助けていただき、元気を頂戴した1年でした。 

 また、ぼちぼち更新してまいりますので、気が向いたときにのぞいていただければうれしいです。

 

 そして最後に、いま、困難を抱えている方々に、おだやかな時間が戻ることを切に願っています。

 

 来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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北京の銀行でパスポート番号を変更する、その後

 先日、1年ちょっとぶりに、北京に行った。

 この1年、飼い猫1がリンパ腫になり生死をさまよったのち奇跡的に復活するも、自分の乳がんが発覚、チャッチャッと切って退院したら、今度は飼い猫2が重度の腎不全であわや天に召されかけ、なんとかもちなおしたのもつかのま、続いて母親が重度の心不全で入院、父親に軽度の認知症が見つかり、二人とも老人ホームへ転居、その手続きを私が一手に担うことになり、その後も実家の片づけ、リフォーム、賃貸手続きとノンストップで、全然、北京に行く余裕がなかった。

 

 次から次へと飛んでくるトラブルを打ち返しているうち、心が腐ってもげそうになり、あるとき、いつも利用していた海南航空のページで、10月の北京行きのチケットをポチるところを妄想しつつ楽しんでいたら、うっかり本当にポチってしまった。

 ということで先日、ちょっと無理を押して、久しぶりに北京に行ってきた。

 

 でも、日数はたった3日。それも明け方に北京に着いて、次の次の日の真夜中に東京に戻るというスケジュールで、その間にいくつかの用事を済ませ、武術を習い、友人にも会わねばならない。

 その用事の一つが、北京の工商銀行でパスポート番号を変更するというミッションである。

 

 1年前、パスポートの更新にともない、北京の銀行へ、口座に登録したパスポート番号を変更しに行ったところ、カラの定期預金の通帳を持参していなかったため、変更できないと言われた。

 すったもんだしてねばったもののどうしてもだめで、結局、その時は断念せざるをえなかった。

 

 今回はそのリベンジで、探しておいた定期預金の通帳と新旧のパスポートに銀行カード持参という万全の準備で、いつものなじみの工商銀行に向かった。

 時間がないので、すみやかにおわらせたいのだが、とかくすんなり行かないのが北京の銀行である。行く前から緊張して、吐きそう。

 

 まず、総合案内で要件を聞かれ、パスポート番号の変更を告げる。受付の若い女性は、ちょっと困った感じで一瞬固まり、トランシーバーでどこかに問い合わせをしている。

 「いやいや、前回、定期の通帳がなくて手続きできなかっただけだから」と、窓口に案内してもらおうと思っても、「ちょっとお待ちください」と足止めされ、待つこと数分。

 

 しばらくして、「パスポートは新しいのと古いの両方もっていますか?」と確認され、「もっていますとも!」と即答。

 パスポートを見せるように言われ、差し出すと、パラパラめくっていたお姉さんの手が止まる。

 「ビザは?」と問うので、1週間以内の滞在なのでビザはない旨をつげたところ、またどこかにトランシーバーで問い合わせている。

 

 おそらくなのだが、近年、滞在ビザがないと、そもそも銀行口座を開くことができないようなので、その関係で確認が必要なのかもしれない。

 どきどきして待っていると、ほどなくして、「どうぞ」と無事に番号札を渡してくれた。

 

 さあ、これでようやくミッション完了か、と思いきや、今度は窓口で、係員のお姉さんがパラパラとパスポートをめくり、手を止めた。

 「ビザは?」

 「だから1週間以内の滞在で〜」と、同じ答えを繰り返すと、お姉さんは隣のブースの係員に、「ねえ、これって、できるんだっけ?」と聞いている。

 「いや、できるから! いま、受け付けで聞いてもらってオッケーだったから!」と言ったら、ガラス張りの係員側の音がこちらに聞こえないよう、お姉さんは手元のマイクのスイッチを切った。

 

 でもこちら側の音は向こうに聞こえるはずので、「確認して! 大丈夫なはずだから!」と言い続ける。

 すると、ブースの奥にいた責任者らしき年配の女性がやってきて、窓口のお姉さんに何か話をしている。

 やがて、マイクのスイッチが入る音がして、お姉さん曰く、「手続きできるようです」。

 「だからできるって言ったんじゃん!」という言葉を飲み込み、粛々と手続きを待っていると、10分ほどで完了。

 こうしてようやく、1年越しのミッションを達成することができた。

 

 その後、北京在住の友人にこの話をしたら、「外国人慣れしている銀行なら、手続きはやいよ」とのこと。確かに、私がいつも行く銀行は、外国人率の低い胡同(フートン)内のローカルな工商銀行である。

 次にパスポートを更新する10年後は、どこの銀行支店もフラットなサービスになっているだろうかと思いつつ、結局、なじみのローカルな工商銀行でやはりすったもんだしていそうな気がする。

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北京晩報(ベイジンワンバオ)の庶民化が進んでいるように思う件

 「ワンバオ! ワンバオ!」

 北京の胡同(フートン)では、夕方近くなると、夕刊売りのおじさんの声が響く。おじさんは、荷台に新聞をいっぱいつめた自転車をゆっくりこぎながらやってきて、時折、自転車をとめ、新聞を売り、客と一言二言、言葉を交わしたあと、また「ワンバオ! ワンバオ!」と、路地を進んでいく。 

 

 ワンバオ、すなわち「北京晩報(ベイジンワンバオ)」は、北京っ子の愛読紙で、特に夏場の夕暮れ時は、シャツを胸の上までたくしあげたおじさんが、路地の道端に置いた小さな椅子に腰をおろし、くわえタバコで、新聞を広げている光景をよく見かけた。

 

 このワンバオ、ずいぶん前からネットでそのまま紙面が見られるようになっていて、東京に戻ってからも暇があると愛読している。

 トップの共産党通信的ニュースはあまり変わらないようだが、後半の北京の三文ニュース的話題に時の流れを感じる。

 

 あるときは、自転車のハンドルにつけるアヒルライト「破風鴨(ドラフトダック)」が、中国版インスタ映えするということで流行り、明るすぎるライトと漕ぎ手の注意散漫から事故が起こりやすくなると注意を促したり、あるときは、銀髪族すなわちシルバー世代がSNSにはまって、自分のカラオケ動画をTikTokでシェアしあっていると報じたりする。

 

 スーパーで売られている米を例に、ブロックチェーンを解説していることもあれば、科学系の一般図書の編集がダメすぎて誤植だらけであることを突っ込んだり、ネットで個人情報を漏らすことは罪にあたると警鐘を鳴らしたりすることもある。

 

超市买大米 你想到“区块链”没?

http://bjwb.bjd.com.cn/html/2019-10/31/content_12426249.htm

 

 あるいは、最近、流行りのペットカフェの衛生リスクは誰が管理するのかと問題提起したり、マンションの窓に設置された防犯用の柵の内側に入りこんだ野良の子猫を助けるため119番するのは果たして是か非かという論争を展開したりする。

 

 また、北京全市で子供の眼鏡着用率が58.3%に達したことが報じられることもあれば、子供たちが膨大な宿題を抱え寝る間もないような現状を改善するため、浙江省教育庁が、宿題を夜9時までに終えることができなければ親の監督のもと、宿題を拒否してよいという新たな法案を出したことが真面目に報じられることもある。

 

 法案といえば、北京市では現在、「路上環境衛生質量要求」と「都市道路清掃質量と作業要求」の基準を定める準備が進められているそうで、通勤渋滞の時間帯に清掃車を走らせないとか、党政府の重要機関や大型商業施設などがある一級道路では、1平米に10グラム以上の埃を残してはいけないなどのルールが検討されていることが紹介されていた。

 

 読めば読むほどワクワクする庶民ニュースだが、この数年、ニュースの視野がなんというか近視眼的になっている気がする。そして半径数百メートルな庶民ニュースが増えるほど、その裏で報じられないたくさんのニュースに想いをはせるのである。

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