中国在住10年を経て帰国。
中国、という日本とは違った視点で、
日本をあれこれ考えてみる、
日中文化考ブログ by 田中奈美
IT先進国中国の、あまり先進的ではない話

 近年、中国のIT進化ぶりは華々しい。日常生活はもはやスマホとはきりはなせず、逆にスマホ一台あれば出前もタクシーを捕まえるのもしごく簡単便利。

 路上ではシェアサイクルにスマホをピッとかざすだけで利用でき、レストランでは店員を呼ばずとも備え付けのタブレットで注文から支払いまでできてしまう。そして、新しいITサービスの話題も事欠かない。

 

 中国はますます巨大なIT国家になっていくようだ。

 と、思っていたのだが、先日、海南航空のサイトで東京‐北京のチケットを予約したときのこと。(東京‐北京の往復が2万円ちょっとという超格安チケットである)

 

 予約した後で予定を1週間ずらすことになり、チケットの日程を変更しようとするも、海南航空のサイト上には変更メニューが見当たらない。

 もともと、海南航空のサイトはオンラインチェックインのメニューがあっても使えないなど、いろいろ不都合が多い。

 

 ただ、サイトのオンライン問い合わせサービスは極めて迅速で、チャットをたちあげたとたんに、「どうしましたか?」と話しかけられる。

 そこで「日程の変更をしたい」と問えば、即答で「国際路線のチケットの変更は中国国内の問い合わせ電話に電話してください。番号は××です」。

 

 仕方ないので、国際電話すると、対応はやはり迅速かつ丁寧で、変更手数料は日本円で5000円、人民元で200元ちょっと、米ドルでは46ドルかかるという。

 それは予約の際に了承済み、問題ないと答えると、変更手続きはさくさくと進み、かつ、間違いがないように、しつこいくらい確認をしてくれる。

 

 ところで手数料の支払いはどうするのだろうと思っていたら、中国元での支払いなら、中国国内で発行したクレジットカードかデビットカード、海外のクレジットカードの場合はドル払いになるという話である。

 

 WeChatペイは?と問うと「ありません」。日本円での支払いは?と問えば、それも「ありません」。

 ではなぜ、予約の際の注意書きに日本円が書いてあったのか、という疑問はさておき、 日本のクレカでのドル払いを選択。

 それでどうするのかと思いきや、口頭でカード番号を読み上げるというなんともアナログな支払方法だった。

 

 そして、最後にもう一度、変更後の日付を確認し、「手続きが完了したら、電子チケットがメールに送られるので、もし、明日になっても届いていなかったら、もう一度電話してください」と、これまた丁寧な説明があった。

 

 手続きはアナログだけれど、サービスの向上ぶりはすばらしい。

 思わず、じんわり感激した翌日、案の定、というべきか、電子チケットが届かない。

 

 そこでもう一度、国際電話をすると、海外のクレジットカードでの支払いの場合、手続きが少し遅くなるとのこと。

 「もう少し待ってみてください」と言われるも、これまでの経験から、「もう少し」が「もう少し」であったためしはあまりなく、「待って」と言われて素直に待っていたら、手続きが抜けていたとか完了していなかったとかで、実は進んでいなかった、ということも少なからずあった。

 

 今回もそういう話ではないのかと、疑念がむくむくとわき、「もう少しというのは数時間か数日か」と電話口のお兄さんを問い詰める。

 

 数年前なら「それは知らない」と言われそうなところだが、お兄さんは「それなら、夜18時まで待って、それでも届かなかったら、また連絡ください」と、なかなかの好対応。

 そして、結局、その日の午後、電子チケットはPCメールとスマホのショートメールの両方に送られてきた。

 

 中国はソフト面でもハード面でも、10年前には思いもよらなかったような大きな変化の中にあることを改めて思う。

 

 ただ、話はこれで終わらなかった。

 後日、海南航空のサイトで座席指定をしようとしたら、チケットがヒットしないのである。

 再度、オンラインで問い合わせたところ、チケットはちゃんと登録されているという。そして、名前は「姓/名」で入力して、もう一度試してみろという指示。

 

 言われた通り「TANAKA/NAMI」と入力したもののやはりヒットしない。

 そこで最後にダメ元で「TANAKA/NAMI MS」と敬称付きで入れてみたらヒットした。

 システムの問題か入力ミスか、本来「TANAKA/NAMI」と登録されるべき名前が、「TANAKA/NAMI MS」と登録されてしまったのだろう。

 中国は確実に変わりつつある。でも、「昔ながら」の中国も、まだまだ健在のようである。

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中国的カーシェアリングに想うこと

 北京のタクシー運転手から、「カーシェアリングがぼちぼちはじまっているよ」という話を聞いたのは、昨年の夏過ぎだったと思う。

 そのときはまだ、「数も少ないし、普及は難しいかもね」という話で終わった。

 

 ところが、それからほどなくして、シェアカーはあっという間に注目を集め、日本でも報じられるようになった。

 なにしろ、免許を持っている人は3億人、うち車を持っていない人は半数の1.5億人にのぼると報じられるくらいである。

http://www.sohu.com/a/212586393_114760

 

 実は、私自身、免許はとっても車を買う予定はなく、東京ではよくシェアカーを利用している。

 それで、中国のシェアカーの話を聞いたとき、(悪高き)北京の道路でぜひ利用してみたい!という野望を抱いた。

 

 日本の国際免許は中国では使用できないが、中国で筆記試験を受けて合格すれば免許を取得できるという情報があり、実際に取得した日本人の話も少なくない。

 しかし、残念ながらいまは半年以上のビザがないと難しいようである。

 というより、それ以前に、まだ車線変更もおぼつかないので、あえなく撃沈。

 

 実際に中国でシェアカーを利用した話は、中国アジアIT専門ライターの山谷剛史氏の記事が興味深かった。

http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1709/29/news044.html

 

 さて、このシェアカー。

 実際に東京で使っていて感じるのは、中国でこのビジネスモデルを展開するのは、難しいのではないか、ということだ。

 

 なぜなら、シェアカーは使う人のマナーと、マナーを守らせるための罰則によって成り立っている部分が少なくないからだ。

 

 基本的に乗り捨てNG、加えて事故は大なり小なり必ず報告し、警察にも通報して事故証明を取ることとされている。飛び石のような些細な事故でも例外ではなく、無申告で発覚すると、修理代だけでなく、修理中の休業補償も全額負担、場合によっては会員資格取り消しといった罰則が科せられる。

 

 一方、中国のシェアバイクがここまで発展した要因の一端は、その辺で乗り捨てOK&アバウトな使い方を吸収できるビジネスモデルと、それを実現するための巨額の資金および大量の放置自転車を回収するマンパワーにあると思う。

 

 これを車で実現することは簡単ではない。

 ということで、中国のネットにもさっそく「よさげに見えるシェアカービジネスが遅かれ早かれだめになる10の理由」という記事が出ていて、資金やコスト面、駐車場、利用マナーなどの問題を挙げていた。

http://auto.sina.com.cn/j_kandian.d.html?docid=fynmnae1459926&subch=uauto

 

 そして昨年末には、アウディなど高級車メインを売りにしていたシェアカー企業EZZYが倒産したというニュースも報じられた。

 

 それでも、中国のシェアカーは2018年のホットな話題の一つだ。そして、確実にニーズはあるであろうこの市場に、あの手この手で果敢に切り込もうとする中国人のガッツとアイデア力は、日本の比ではないと思う。

 

 東京で使えるシェアカーはおそらく3社程度で、いずれもビジネスモデル自体にあまり大きな違いはない。所定のステーションで借りてそこに戻すというシステムはどこも同じで、あとは料金設定とステーションの数に違いがある程度だ。

 

 これに対し中国では、所定のステーションに返却か、プラスアルファの料金を支払って乗り捨て返却かを選べるシステムがあったり、ダイムラーがスマートを投入、商業施設をステーション拠点にCar2Shareというシェアカーを展開していたり、さらには中国の自動車メーカー吉利が、シェアリング機能を標準装備し第三者にも貸し出し可能なマイカーなるものを売り出したりと、なかなかバラエティに富んでいる。

 

 まだまだ黎明期で課題が多くても、本当にニーズがあれば、ムクムクと発展していくだろう勢いが、かの国にはある。

 

 こういうところが中国市場の醍醐味だと思いつつ、でも……、とも思う。

 あまり目を向けられることはないかもしれないけれど、北京のように古い町並みが残る都市は、そもそも、車が走ることを前提にしてつくられた町ではない。

 

 2008年の北京五輪前後に行われた大規模な再開発で、ずいぶん古い路地が壊され、かつ、五環路、六環路とどんどん外側に膨張しているものの、北京という町の「骨格」はおおむね変わらない。

 そして何本かの幹線通路がどーんとある以外、その幹線道路をつなぐ中くらいの道が少なく、細々とした通りが碁盤目の目のように張り巡らされ、いつもどこもどんづまっている。

 また、駐車場なしでも車が買えてしまうので、おのずと路上に車が溢れ、昔ながらの胡同は路駐だらけでまともに通れない。

 

 おまけに近代になって整備された幹線道路は、交通量がいまよりずっと少なかったころに整備されたため、側道と本道の出入り口が不合理で、それがまた激しい渋滞の要因となっているところもある。

 

 仮に、シェアカービジネスに巨額の資金が投じられ、便利に車が借りられるようなアイデアサービスが提供されたとしても、結局、こうした北京の町の「骨格」がドライバーにもたらす制約はいまのところ変わりそうにないのである。

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新年のご挨拶と中国的自動車教習と車の運転に想うこと

 

 遅ればせながらあけましておめでとうございます!

 昨年も、のんびり更新のブログにもかかわらず、訪ねてくださり、大変ありがとうございました。本年はもう少しペースアップを目指してまいります。引き続き、楽しんでいただけましたらうれしいかぎりです。

 2018年もどうぞよろしくお願い申し上げます!

 

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 昨年末、東京で車の免許を取った。自分で車を運転してみて、いまさらながら、北京の車の運転が荒いことに思いをはせた。

 北京では日常的に、交差点で車が入り乱れ、一方通行が無視され、急な進路変更で車が突っ込んできた。

 

 みんなが自分勝手といえばそれまでだが、少なくとも、北京で車を運転している私の知り合いは良識のある人ばかりである。そういう人が、「車を運転すると性格変わる!」という。

 

 北京の路上で、漫然とルールが守られない背景には、もしかしたら、免許を取るまでの過程で、何か日本との違いがあるのかもしれない。そう思いたち、北京で免許をとった友人に聞いてみた。

 ところが、普通に自動車学校に行き、実技と学科の試験を受けて免許交付という流れはかわらない。むしろ中国の教習所では駐車などステップが若干多い気がする。

 

 東京の教習所では、方向転換と縦列駐車は習ったものの、いずれも、ぶっちゃけ、目印のポールがあり、言われた通りにやれば試験は100%合格した。

 でも実際に路上に出たら話は別で、今は、駐車はの自主トレ中。しかも先日は、池袋付近の初めての駐車場で困っていたら、通りすがりの中国人青年に、「こっちにハンドル切って、もうちょっとそっち〜」とガイドしてもらう始末である。

 

 では、交通法規の教習がアバウトなのかと思いきや、ネットに公開されている筆記試験用一問一答は、ほとんど日本のそれとかわらない。

 一昔前は、「事故現場で腹から腸が飛び出している人がいたらどうするか」といった問題があったという話を(これまたネットで)見かけたが、いまはそこまでぶっ飛んだ問題はないようだ。

 

 というより、普通すぎて面白くないくらいで、交差点では直進優先というのも、一方通行は一方向にしか走れないということも、突然の進路変更が危険ということも全部出ている。

 

中国の筆記試験一問一答例(中国語)

http://www.jkydt.com/jxks/bcd67001.htm

 

 そこで中国人の知人に、日本の教習所と何か違うところはあると思うかとたずねたところ、少し考えた知人曰く、「中国の教習所は、教官にタバコを渡さないと合格しない」。

 

 確かに、学費+タバコというのはよく聞く話で、以前、北京で免許をとった人も、タバコを渡さなかったら、なかなか合格させてもらえなかったと話していた。

 でも、その一方で、タバコ(ワイロ)はなかったという人もいる。

 

 いずれにしても、北京の車の運転が荒いのは、教習所うんぬんの問題ではないようだ。では、なんのせいかといえば、それはやはり、ルールを守っていたらバカをみるという安心感の欠如と、給料(や成績)に反映されないことは取り締まらない警察とのコラボによるものではないか、と思うのである。

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北京のあるタクシードライバーの20年

 先日、北京でタクシーに乗ったときのこと。

 ドライバーはいかにも北京の下町っ子という風情の、ちょっと粋な50代風男性。

 渋滞にはまり、ぽつりぽつり世間話をしているうちに、「自分はドライバーの仕事をして、もう20年以上になる」と話し始めた。

 

 もともと、ヒューレットパッカーで運転手をしていたそうだ。

 定年退職したものの、息子はまだ大学生で、フランス語専攻。この先、留学もするだろう。ということで、タクシードライバーを続けている。

 といっても、それほど経済的にカツカツという感じでもないようで、指には大きな琥珀の指輪、時計もそれなりに高そうなものを身に着けている。

 のんびり働いて月の収入は3000元程度、という話。

 

 私が日本人だと知ると、「そうそう、そういえばヒューレットパッカー時代、一人だけ、日本人の駐在の青年がいたよ」とドライバー。

 

 日本支社からの出向であったようだ。当時30歳すぎ。英語は達者だったが、中国語はあまり話せない。

 あるとき、この青年から、片言の中国語で「普段はどんな酒を飲むか」と聞かれ、「燕京ビール」だと答えたところ、今度は「一晩で何本くらい飲むのか」と聞かれた。

 「3〜4本は飲むよ」というドライバーに、青年は「あなたはそんなに金持ちなのか!」と驚いた。

 

 燕京ビールというのは北京っ子が愛する安ビールで、当時、1本1元(日本円の感覚では数十円)程度。

 ドライバーが、なぜ、そんなにびっくりするのかと聞いたところ、青年は北京随一の高級ホテル北京飯店に住んでいて、ホテルのバーで飲む燕京ビールは30元もしたのだそうだ。

 

 「それで、翌日、彼を地元の店につれていったら、すごく喜んでね」とドライバー。以来、しょっちゅう一緒に飲むようになったのだという。

 「彼のことはいまでもよく覚えているよ。彼ももう50歳を超えただろうな」

 

 それからしばらくこの20〜30年の北京の劇的な変化について、ドライバーはまたぽつりぽつりと話し始めた。

 三環路という北京中心部のメインストリート的環状線がまだ完成していなくて、北京が小さな町だったこと、いまではターミナル3まで拡大した北京首都空港が、ターミナル1つでそれもずいぶんこじんまりしていたこと、そして住んでいた胡同の取り壊し。

 

 彼の仲間の多くは、海外に移民したと言う。

 「でも、自分のためではないよ、みんな子供の教育のため。中国の学校教育は試験で点数を取るためだけにあるようなものでよくないから」

 

 けれど、今の若者はもう移民なんてしないだろうと話が続く。

 「若い世代にとっては、国内のほうがチャンスがあるから。移民は大変だよ。文化習慣も言葉も違うし、外国人が仕事を見つけるのも一苦労だ。その点、中国なら生まれ育ったところだし、それにこの国は、まだまだいろいろな面で成熟していないから、その分ビジネスチャンスも多い」

 

 では、今と昔、どちらがよいか。

 思い立ってそうたずねると、「う〜ん、なんと言ったらいいんだろうなあ」と、首をひねった彼は言った。

 「昔は経済的に苦しくて不安もあった。今は経済的な問題は解消されたけれど、生活コストも上がってプレッシャーは昔より大きい。すべてがめまぐるしくてせわしないよ」

 

 北京中心部のマンションは1平米10万元(現在のレートでざっと170円)を超えた。その上、全然、下がる気配がない。

 燕京ビールのほうは、ちょっと値上って3元程度。まだまだ安いものの、ローカルスーパーには、1本数十元の輸入ビールがずらっと並び、どうやら最近の人気らしい。

 

 さっこん、「ささやかな幸せ」のコストもあがった。

 かつて、日本人駐在員が1元ビールに感激したしたような感動も、彼がこのドライバーさんと共有したであろうささやかな幸福も、ずいぶん遠い昔の話になった。そう思うと、少々寂しい気もする。

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中国の八大製茶マスターのミニ缶セットがネスプレッソな件

 先日、中国のテレビを見ていたら、八大大師小罐茶(ミニ缶茶)なるもののCMが流れた。

 

 八人の製茶大師(いってみれば製茶マスター)がその熟練の技で製茶した茶葉を、数杯分ずつ(?)小さな缶に詰めたというラグジュアリーな商品。

 日本のテレビでも見かけそうな重厚なCMで、逆にその「見かけそう」なところが目をひいた。

 というのも、中国のテレビで、こうした伝統と熟練の技に焦点をあてたCMをあまり見たことがなかったからだ。

 

 思えば、中央テレビのドキュメンタリーシリーズ「舌尖上的中国」で、中国各地のスローフード的な庶民グルメと食文化が紹介され、大ヒットを飛ばしたころから、目先のバブリーなものより、もっとじっくり作られたものに目が向けられるようになったような気がする。

 

 おりしも先日、北京帰りの友人と会ったとき、昨今の中国では、金さえあればだれでも持てるブランド品より、熟練した職人がつくるオリジナル品のようなものに価値が見出される、といった話が出たところだった。

 

 CMに登場する製茶マスターも、武夷岩茶の大紅袍(紅茶)は、武夷岩茶国家標準の主要起草人の王順明氏、国家礼品茶の西湖龍井(緑茶)は唯一指定を受けた戚国偉氏、黄山毛峰(緑茶)は、烏龍茶(鉄観音)は、鉄観音始祖魏蔭第九代孫の魏月徳氏、黄山毛峰伝統制作技藝第49代伝承人の謝四十氏といった感じで、なにやら錚々たる感じの名前が続く。

 

 もっとも、私はお茶のことは全然わからない。どういう人物なのかネットで調べてみたのだが、どこまでが自称で、どこまでが本物なのか、ネット情報だけではよくわからなかった。

 

 そして、茶葉ごとに色が異なるお洒落なミニ缶が、なんだかネスプレッソっぽく見えてしまうのは、はたまた気のせいだろうか?と、思わなくもない。

 

小罐茶公式サイトはこちら(写真はサイトより)

 

 

 

 

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中国の駅前にコインロッカーがあったとしたら

 夜中、駅前のコインロッカーを運営する会社に密着した番組を放映していた。使用期限がきても持ち主のあらわれないロッカーをあけて中身を確認すると、数年昔の雑誌の束、着替えなどお泊りセットと思われる荷物、なぜか何年も前の食べかけの食べ物など、それはもういろいろよくわからないものが出てくるという話である。

 

 例え持ち主が判明しても、理由があって取りに来ないだろうから、連絡はせず、一定期間保管し処分するという。

 ロッカーに放置されたモノから、社会の片隅に沈殿した澱をほんの少しのぞき見するようだった。

 

 それでふと、仮に中国の駅前にコインロッカーがあったとしたら、期限切れロッカーの中に、どんなものが入っているだろうか、と妄想してみた。

 

 私が滞在していた10年の間、中国の駅前で、いわゆるコインロッカーを見かけたことはなかった。というより、世界的には、コインロッカーがこんなに無造作にある日本のほうが珍しいかもしれない。

 

 では中国にコインロッカーが皆無かというとそんなことはない。スーパーの入口には無料のコインロッカーまたは荷物預かり所がたいてい必ずあり、入口の警備員に、バッグは預けるように言われる。つまり、このロッカーは客の便便宜のためではなく、店側の万引き防止という便宜のために設置されたものなのである。

 

 振り返れば、中国では、客の便宜のためのコインロッカーをみた記憶がない。

 そもそも当時は自動販売機もまだ珍しいくらいだった。現金を投入するタイプのものは、盗難のリスクに加え、偽札を入れてお釣りで現金ゲットという用途に使われるリスクもあった。

 

 それで、一大観光地など、人が集まる場所では、狭い間口の掘っ立て小屋のような荷物預かり所が儲け商売となっていた。ただし、そういうところは、紛失の保証もなにもないので、荷物を預けるのはなかなかスリリングだった。

 

 いまはスマホ決済がすっかり定着し、自動販売機も日常的に目にするようになった。ならばコインロッカーも出現しているだろうか。

 北京ではいまのところ見たことないが、もしあったとしたら、期限切れのロッカーにはどんなものが入っているだろうか。

 

 と、妄想しかけ、そういえば、と思った。

 スマホ決済しているということは、預ければ預けるほど料金は徴収されるので、無意味に置きっぱなしにしたりすることもないだろう。

 

 仮に決済ができない状況が発生すれば、中国では、「理由があって取りに来ないだろう」という気遣いがされるとは思えないので、決済情報から持ち主が割り出され、請求がいくのではないか。

 あるいは、中身が「いいもの」だったら、転売されて換金されるか。

 

 それ以前に、監視のない公共の場所のコインロッカーは簡単に鍵をあけて盗まれるリスクを考えると、よほどセキュリティに力を入れないと、利用者は限定的かもしれない。

 

 などというきわめて現実的問題の妄想が湧いて出てきて、中身の妄想にはなかなかたどり着けそうもない。

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老舗と伝統

 中国では、代々続く個人の店がない。以前、北京在住の日本人ジャーナリストがそんな話をしていて、なるほどと思ったことがある。

 

 もちろん、まったくない、というわけでもない。私が住んでいた胡同には、地元の人がおばあちゃんの代から通っているという総菜屋があった。また、祖父が宮廷料理人で、そのレシピをひきついだレストランなるものもあったりする。

 

 あるいは数年前、「舌上の中国」という、各地の伝統的な手法と自然の素材でつくられる、一般庶民向けの本当に素朴なグルメを紹介する番組シリーズが大ヒットしたこともあった。

 

 でも、日本のテレビで、×代目などと紹介されている店をみると、確かにこういう店は中国にないなあと思う。

 そもそも、文革で伝統文化が断絶しているし、今の共産党中国自体が新しい国だ。「先進的」とか「革新的」であることに価値観が置かれ、急速な発展の中で、機転がきいて、てっとりばやく金が稼げるほうに人が流れる。伝統そのものはたいして金にならない。

 

 例えば、代々続く武術家家系の先生を取材していると、息子の代には伝えるのをやめてしまったという話を聞く。

「今の若い世代は、みんな仕事と家庭で忙しい。弟子を取っても同じ状況で、熱心に続けられる人もなかなかいない。伝統武術を伝えていくような時代ではない」

 

 そんなことを話すある三代目の先生に、「では、このまま失われてしまってもしかたがないのだろうか」とたずねると、しばらく沈黙した先生は、「でもどうしたらいいのだろうか」と、問い返した。

 

 おそらくこれは、武術にかぎったことではない。今の中国全体がこんなムードだ。

 ただ、伝統が失われることの残念さより、世代をこえて伝えていく術をもたない社会は、今後どうなるのだろうか、ということを思う。

 

 なぜなら今、何世代にもわたって伝わってきたものは、ただよいからとか、ただ技術レベルが高いからというだけで生き残ってきたわけではなく、時代の中でニーズをとらえ、小さな変化を積み重ねてきたからではないか、と考えるからだ。

 

 中国はスピードがはやく、どんどん新しいものが生まれ、金もじゃんじゃん稼いでいる。でも、その価値観だけで、今の若い世代やその先の世代がやっていけるとは思えない。いずれ転換点を見出すことになるのではないか。

 

 一方、日本も「伝統」があるからといって、それがいかにガイジンに評価されているかという話で悦に入っていては、ただでさえ過去の「遺産」で食いついないでいるところが、ますますじり貧になるだろう。

 世代をこえて伝わるものがある社会をどうつくるかは、わりと大事な課題ではないかと思う。

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徐暁冬(格闘技)VS魏雷(太極拳)と日中経済実力差

 中国総合格闘技の徐暁冬選手が、自称雷公太極拳の創始者、魏雷氏を、あっという間にKOした、という話が話題になっていた。

 

 まず、ざっくりした背景として、徐暁冬選手というのは、名門、北京什刹海体育学校の出身で、自身も道場を構えるプロ格闘技家。以前から中国の伝統武術はダメダメだと喧嘩を売る毒舌キャラで売り出していた。

 

 一方、魏雷氏のほうは、自称、楊式太極拳の名士の弟子(?)で、自身で雷公太極拳を創始したという人物。それで、CCTVに出たりもしていたが、実戦派ではない模様。

 それなのに、どうやら周囲から持ち上げられて、試合に応じることになったらしい。

 

 それで、たちまちKOされたうえ、靴が滑ったとか、本気で内功を発揮したら相手は死んでいたとかいう話をして、さらに炎上。

 

 こうして、徐暁冬氏は一躍、時の人となり、炎上商売に成功したかとおもいきや、あまりに盛り上がりすぎて、「なんなら俺と勝負しろ!」という(たぶん便乗商売型の)伝統武術家も出てきたり、徐暁冬氏の過去の「政治的発言」まで取りざたされるようになったりして、さらにてんやわんや。

 

 ところで、こういう騒ぎがおきると(あるいはおきなくても)、巷では「伝統武術は果たして戦えるのか」という話が取り沙汰される。

 実際、伝統武術を習っていると、「それは強いのか」と聞かれることもある。

 

 私自身は、何かを言える立場ではないけれど、それでも、従来の中国武術は、とても奥深く、味わい深いものだと思う。そして、学ぶことは簡単ではない。そもそも、誰でもが習得できるものではなく、試合でどっちが勝ったから強い、みたいな明確さもない。

 

 加えて、今は、表演や競技として現代化した中国武術もあって、ややこしい。

 そのわかりにくさが、いろいろな誤解や、自称達人などを生んでいるところがある。

 

 それで今回、ふと思ったのは、伝統武術と格闘技のどっちが強いかという話は、なんだか日中の経済実力はどっちが上かみたいな話だ、ということだ。

 

 中国は、GDPではとっくに日本を抜いて世界第2位。でも、日本経済にも、長年培ってきたものがあり、実力という点ではそう簡単に譲らないところもあるだろう。

 と、同時に、それに胡坐をかいていれば、中国の新世代の発想とパワーにあっというまにひっくり返されてしまうだろうし、実際、それが現実になっているところは少なくない。

 

 でもだからといって、日本が世界経済において中国に正面から挑んで勝ったら「えらい」のか、といえば、それ自体ナンセンスな話で、日本は日本で粛々とその道を進むのが筋だろう。

 

 中国経済=格闘技、日本経済=伝統武術ではけしてないし、よい例えだとも思わないけれど、はたからみたらそうした側面があるように思う。

 

 さて、くだんの騒動、その後、どうなったかというと、警察が動いたらしい、という噂が流れ、徐暁冬氏の毒舌微博(SNS)は閉鎖された。そして、徐暁冬氏は謝罪。

 「伝統武術を馬鹿にしたわけではなく、伝統武術を語る偽物を倒したかった」という話に加えて、自身の恩師も八卦掌とシュワイジャオを学んでいた、などという話を披露していた。

 

 結局、伝統武術家より、格闘技家より、お上は強し、というこの顛末。あとは何もなければそのまま幕が下りるだろう。

 でも、お上による伝統武術の保護と普及が、武術の武術たる伝統を損う要因になっているのでは、と思わなくもない。

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「雄安に家を買う人にはわからない話」と90年代生まれのこと

 「雄安に家を買う人にはわからない話」といった、ちょっと面白いタイトルのネット記事が目についた。雄安新区は、先日、新設が発表された習近平総書記肝いりの経済特区。で、さっそく地価が高騰しているという。そこに家を買える人というのは、いわゆる財とコネがある人、ということになるだろう。

 

 では、その人たちにはわからない話というのは何か、というと、「ちまたの大使館外荷物一時預かり商売(商売大使外的存包江湖)」、つまり、北京のアメリカ大使館前の「私設」荷物預かり人のこと。

 

 実は北京のアメリカ大使館では、2011年から携帯電話と手荷物の館内持ち込みを禁止、荷物の一時預かりサービスもやめているそうで、そこに目を付けたのがちまたの庶民。勝手に、荷物預かりサービスを展開し、小さい荷物1件30元、大きい荷物1件40元で預かる「サービス」を提供している。

 

 こういうアングラ商売の常で、意外にもけっこうちゃんとおり、荷物はマイカーで保管、客には自分の携帯番号と預かり番号を記した札を渡してくれるそう。客の携帯を紛失したときには、弁償したこともあるとか。

 

 昨今、アメリカのビザを取る人がふえ、月の収入は数千元にのぼる。もっとも、城管(路上警察)の取り締まりがあれば、預かった荷物をもってさっささと逃げなければならない(彼らの逃げ足は速い)。

 中には荷物を預けておいて、代金30元を払ってくれない客もいるそうで、「アメリカまで行ける金持ちが、30元すらけちるなんて」というコメントも。

 

 もっともこれはいまに始まった話ではない。いまさらといえばいまさらな話題だが、「雄安に家を買えるような人にはとうていわからない」という、ナイスなタイトルのおかげで、けっこう注目され、北京の大手新聞「新京報」が後追い取材していた。

 

 では、このネット記事、ソースはどこかと調べたところ、「公路商店」という聞きなれないメディア。調べてみると、90年代生まれの康陽という青年が立ち上げた微信メディアだった。若者向けのアングラ系アカウントとして、人気があるらしい。

 公式サイトを開くと、ずいぶんおしゃれなデザインの上に微信のアカウントのみ表示されていて、それをスキャンすると、微信で記事がよめるようになる。

「公路商店」http://www.ontheroadstore.com/

 

 記事は、ゆる〜いカルチャー系、日本のホストを紹介する記事なんかもあったりする。「黒市(ブラックマーケット)」という、なんともひとをくった名前のネットショップも展開していて、ちょっとウィットのきいた商品を売っている。

 

 この康陽、大学在学中に、「在路上」というインディペンデントマガジンを発行しており、メディアに取材された記事がネットに残っていた。ネットでちょっと注目されている90年代生まれの一人、というところだろう。

 

 数年前、新世代として90年代生まれが注目されたころ、彼らはまだ学生だった。それがいまや20代半ばから後半にさしかかり、独自の感性とアイデアで、新しい展開をはじめているように思う。

 

 いま、注目の深センのメイカーズしかり。

 身近なところでも、以前、暮らしていた北京のマンションの向かいの部屋に住んでいた90年代生まれの青年は、親のコネで入った大手外資企業をやめ、アメリカにわたり、水中カメラマンとして、なかなか個性的な写真を撮っている。

 

 あるいは先日、知り合ったやはり90年代生まれの青年は、ビンテージカーの輸入ビジネスを手掛けて成功している模様。

 ただの官二代の成金かと思いきや、ビンテージカーに興味をもった理由について、「車には時代と社会の歴史があるから面白い」と味わい深い話をする。

 

 5〜6年前、北京でよく通っていたおしゃれ系カフェでアルバイトしていた90年代生まれの青年たちは、独立して自分の店を持ち、それぞれのセンスを発揮している。

 

 この先、90年代の生み出すカルチャーとビジネスは、中国の有り様を変えていくのではないか。小さなネット記事から、そんなことを改めて考えた。

 

※「大使外的存包江湖,去雄安房的人是不懂的」

http://www.sohu.com/a/132134212_570238

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北京のレストランのローカル&ハイテクとお知らせ

 先月、北京で、成都市政府経営の四川料理店に行った。

 北京には各地方政府のオフィスがあり、そこに併設される形で地方政府経営のレストランがある。ローカル色高めだけれど、食材や調味料は産地直送で、安くておいしいと人気が高い。成都市政府レストランもその一つ。

 

 景山公園近くの胡同の一角にあり、もともと四合院式の中庭のある建物を改装したのではないかと思う。入口を入ると、ホールがあり、そこから渡り廊下のようなもので、部屋がつながっていて、その渡り廊下的なところにまで、椅子とテーブルが置かれ、客であふれかえっていた。

 

 サービスは、ウェイトレスを呼んでもちっとも来ないローカル式。ウェイターやウェイトレスが大声でわめきあっているのもなつかしい光景だ。(成都の言葉なので、なにをののしりあっているのかは不明だが、なにやら責任をなすりつきあっている模様)

 

 ああいいなあ、こういうの好きだなあと思って、呼んでも来ないウェイトレスを通りすがりで捕まえて、メニューをもらおうと思ったら、だまって指さしたのは、テーブルに置かれたiPad風タブレット。これにメニューが登録されていて、どうやら紙のメニューはない模様。

 

 おもえば、もう何年も前に、大人気火鍋屋「海底ラオ」がiPadメニューを導入し始めたあたりから、じわじわとタブレット注文が広がっていったように思うのだが、私が北京を離れる前はまだ、カラー印刷の大きなメニューが主流だった。

 

 いまでは、こんなローカル度高めのレストランでもタブレット注文が導入されているんだなあと、浦島太郎気分にひたりつつ、評判通り、大変、おいしい料理を堪能したあとは、渡り廊下のガラスケースに陳列された豆板醤などご当地品のお土産を物色。

 

 でも、買おうとしたら、ガラスケースには鍵がかかっていて、取り出せない。

 ウェイトレスを呼びに行く間、かなり昔、たぶん90年代以前のことだと思うのだが、国営デパートで、ガラスケースに入った商品を買おうとしたら、「その鍵を持っている店員は今日は帰った」と言われて買えなかったというエピソードを思い出した。

 

 さすがに今はそんなことはなく、鍵をもったウェイトレスが登場、あっさりショーケースを開けてくれた。

 ところが、買おうとした商品に値札がないものがあった。

 「これ、いくら?」とたずねたところ、「知らない」。さらに「値札のないもの売れない」。

 売れないと言われても、棚にはちゃんと商品として並んでいるのだが……。

 

 注文はタブレット式でハイテクになっても、こういうところは変わらない。

 そしてそのかわらなさにほっとする。

 

※成都(北京蜀都宾馆)

http://www.dianping.com/shop/513399

 

【お知らせ】

(中国とは関係ないですが)お手伝いした本が出版されました。

『怪魚を釣る』小塚拓哉著(インターナショナル新書)

「体長一メートル、もしくは体重一〇キログラムに成長する淡水域の巨大魚」すなわち「怪魚」を追い、世界四〇カ国以上で五〇種以上を釣り上げてきた著者がかたる「怪魚を釣る」とは。著者いわく、現代の「未知」は情報がないこと。

――「今の時代、お金と時間と情報があればなんでもできる。それは『道楽』です。でも制約があるとき、同じことが『冒険』になる。僕はクリエティビティ―で制約を乗り越え、予測不可能なカオスを楽しみたい」(日経新聞3月11日「あとがきのあとがき」著者インタビューより)

 

怪魚な旅のカオスをぜひ!

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