中国在住10年を経て帰国。
中国、という日本とは違った視点で、
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日中文化考ブログ by 田中奈美
レビュー『炸裂志』閻 連科著、泉 京鹿訳

『炸裂志』のレビューです。

ノーベル文学賞候補に名前が挙がる閻連科さんの大作。中国関係ない方でも『百年の孤独』ファンにはぜひ手に取ってほしいです!

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 マルセル・デュシャンの「泉」のような小説、というとかえってわかりにくいだろうか。でも、この作品を読めば読むほど、そんな気がしてきてならない。
 デュシャンが便器に、「泉」と、ありもしないタイトルを付けた作品は、大いに物議をかもし、その後、美術史の転換点となるエポックメイキング的作品となった。

『炸裂志』は炸裂というありもしない名前の市の市史を、作者の閻連科が引き受けた、というありもしない話から始まる。続いて、作品の要となる女性、朱頴の父親が、村中の人々に痰を吐かれ、その痰におぼれて死ぬ、という荒唐無稽なエピソードが展開する。

 そこで、以前、中国人から聞いた話を思い出す。
 「今の中国で起きている、ありえそうにない不条理で不合理なひどい話の数々は、おそらくすべて本当の出来事だ」という話だ。
もちろん、現実では、痰におぼれて死ぬことはありえないかもしれないが、でもそれと同じくらいひどくてやるせないことが、かつてないほどの勢いで発展し富んだこの巨大な国では起こり得る。

 本書の巻末に収録された「中国の作家から村上春樹への返信」で、筆者は「現在の中国では、どんなことも起こり得る!」と書く。また「同時に心の中ではやるせない苦笑と涙を浮かべている」と述べる。『炸裂志』という作品の「水底」には、そんな筆者の心情が、静かに流れているように思う。

 でも「水面」では、炸裂は、デフォルメされた欲と富と権力にまみれながら、村から鎮へ、さらには直轄市へとのぼりつめる。女たちの出稼ぎ売春で村に家が建ち、妓楼と娯楽エリアで外国投資がもたらされ、人口が増えていくその様は、「泉」と題された便器のようだ。
 と、同時に、人々のあきれるほどのパワフルさと情念と毒気には、奇妙な魅力も感じる。

 物語は、現実と非現実が錯綜し、それらすべてが、今の中国を形づくる「何か」のようでもある。そして、怒涛の如く展開する炸裂の物語に翻弄され、おぼれそうになりながら、最後に浮上したあとは、今の中国をどっぷり体感し、すっかり魂を抜かれた気がした。

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