中国在住10年を経て帰国。
中国、という日本とは違った視点で、
日本をあれこれ考えてみる、
日中文化考ブログ by 田中奈美
東京の坂、北京の胡同

 東京の街はつくづく坂が多い。自転車で走っていてそう思う。

 私の自転車はママチャリではないが、電動でもなく、人力のミニベロである。

 

 北京でもよく自転車を使ったが、北京の街中にはおよそ坂というものがない。だから「坂」という中国語も使った記憶がない。

 一方、東京はとにかく坂だらけ。とりわけ最近はずっと電車に乗らず、用事のあるときは自転車で移動していたので、東京の坂が身に染みる。

 

 特に私が住む豊島区の大塚というところは、少々低いところにあるようで、ここから山手線内エリアを移動しようとすると、たいていの場所は長い坂を上らなければならない。

 

 例えば東大農学部。一昨年、猫の抗がん剤治療で農学部内の動物医療センターに半年ほど通ったのだが、ここは坂の上にある。このため、大塚から後楽園までゆるゆると上ったあと、春日駅をすぎたあたりから、さらに傾斜のきつい坂を上ることになる。

 それでもまだまだ序の口で、音楽でいえばフォルテくらい。東大農学部の手前数百メートルまでくると、傾斜はフォルティッシモに達し、オーケストラでシンバルがバンバン鳴っている感じ。

 

 さらに東大から上野まではほぼ一直線で行けるのだが、今度は谷中まで一気に坂を下ったあと、上野のお山まで、何かの罰ゲームのように上り続けることになる。帰りはこれを逆に繰り返す。

 

 自転車愛好家には坂マニアがいるそうだ。急な坂は「激坂」と称され、坂マニアたちを魅了してやまないようだが、私はただの自転車乗りなので、できれば道は平らなほうがよい。

 

 先日、麹町の友人宅に届け物をしに自転車で行った時には、道中、上るか下るかのオール坂だった。

 中でも神楽坂に出る手前、赤城神社脇の道は、徒歩でも前のめりにつんのめりそうな急坂で、自転車ではとうてい上りきれず、早々にあきらめ、押して歩いた。ついでに麹町も坂だらけ。お金持ちエリアはたいてい坂の上にある。

 

 急坂といえば、曙橋の近くに急傾斜かつ途中でVの字に折れ曲がっている念仏坂という坂(今は階段)がある。

 現在、道の両側はビルになっているが、坂名の標識によると、江戸時代は左右が谷で、念仏を唱えて通った難所だったそうだ。

 

 他にも、私は通ったことないのだが、よく行く雑司ヶ谷の近くには都内一の急坂として知られる「のぞき坂」がある。名前の由来は坂のてっぺんの端っこに立たないと、下が見えないくらい急斜面だからだという。

 

 思えば、東京の坂には、さまざまな名前がついている。

 念仏坂ように標識を立て、歴史を紹介しているところもある。

 そして、気を付けてみていると、坂の名がまたユニークだ。暗闇坂、禿坂などという名前の坂もあったりする。

 

 私は知らなかったのだが、実は東京の坂の歴史文化は深く熱い。坂はいろいろな人に研究され、坂学会なるものもあり、タモリさんが坂道ブームに火をつけてから、坂愛好家もぐっと増えたようだ。そういえば、美女が坂道を駆け上がるだけの「全力坂」という番組もあった。

 

 横関英一著『江戸の坂 東京の坂』によると、江戸の坂は、「江戸が新開地であったがために、江戸以前の古いころの坂名」と「江戸ができたから、とくに徳川の時代にあってからできた坂の名は、少しばかり違っていた」という。

 江戸の坂の名は江戸の庶民がつけたので、江戸っ子気質そのまま、「単純明快、即興的で要領よく、理屈がなくて、しかもしゃれっ気があふれている」そうだ。

 

 富士山が見えれば富士見坂、海が見えれば潮見坂、樹木などが茂って薄暗い坂は暗闇坂、急な坂は胸突坂、といった具合(文京区の胸突坂は上記のぞき坂の近くにある)。

 江戸っ子にとって、坂名は地名的役割を果たしていたようである。

 中にはおいはぎ坂とか幽霊坂のようにあまり人聞きのよろしくない坂の名前もあり、自治体によっては標識をたてていないところもあるらしい。

 

 そこでふと思い出すのが、北京の胡同(フートン)である。

 北京の街に碁盤の目のようにはりめぐらされた路地には、かつて一本一本に名前がつけられていた。 北京五輪前後の大開発で古い胡同はだいぶ失われてしまったけれど、胡同の名前は古い路地とともに、まだまだ健在だ。

 

 それらは北京の歴史や北京っ子たちの暮らしと密接に結びつき、金魚胡同や百花深処みたいな趣き深い名もあれば、銭糧胡同、炒豆胡同のように由来がわかりやすいもの、菊児胡同や帽児胡同なんて北京なまりの名前などもある。

 

 中にはストレートすぎる名前もあり、例えば「糞場胡同」は、かつて糞便処理場があったことからそう名付けられたそうだ。

 近年、そうしたいささか人聞きの悪い胡同名は改名され、糞場胡同は「奮章胡同」という無難な今風の名前に代わっている。

 それでも昔ながらの胡同の名前はいとおしい。そこには、北京の歴史や人々の暮らしが凝縮され、今も残る路地の風景ととともに、北京的アイデンティテイを保っているようだ。

 

 ひるがえって東京の坂の名称にも、かろうじて、江戸の歴史と暮らしの記憶が残る。そう思えば、つんのめりそうな東京の急坂もいとおしく感じるような気がしなくもない。

 しかし、東京の街は、北京以上に昔の面影を一掃してそっけなくなり、坂もだいぶ削られたり舗装されたりして様変わりした。

 

 そして、渋谷の道玄坂のラブホ街を昼間、自転車でぜいぜい言いながら走り抜けつつ、道玄坂という坂名に想起するものは、江戸的アイデンティテイより、東京の街が失ったナニカであるようにも思う。

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不安が渦巻くときに思うこと

 最近、毎日、テレビをつけると、不安が渦巻いているようである。

 こういうとき、思い返すのは、日々をちゃんと生きる、ということの意味である。

 ちゃんと生きる、というのはたいそうなことではなくて、たとえばちゃんと掃除するとか、ちゃんとご飯をつくるとか、ちゃんと身だしなみをするとか、平時ではあまり気にしないような、こまごまとした、でも改めて意識してやってみると、自分はちゃんと生きてるのだと思えるような日々のささやかなことをする、ということである。

 

 なぜ、こんなことを考えるようになったかというと、昨年、乳がんの手術で入院していたときのこと。入院中に(というか、手術の翌日に)、部屋を移動することになった。ベッドごと移動するというのでてっきりベッドに横になって移動するのかと思ったら、おもむろに起こされ、荷物をベッドに乗せて、歩いていくように言われた。

 まさかベッドも自分でひっぱってくのかと思ったら、さすがにそれは看護婦さんがあとから運んでくれると言う。

 

 ということで、数百メートル先の部屋へ移動した。(ちなみに、術後すぐくらいから、わりとばりばり元気だったので、歩くことはどうということもなかった)

 部屋に入ってすぐ、お隣さんとなる窓際のベッドスペースが目に入った。

 ちょうどカーテンが開いていて、お隣さんは留守だったのだが、その空間は花であふれ、見た瞬間に、「ああ、このベッドの方は、ものすごく周囲から愛されている方だなあ」とそんな気がした。

 

 それからほどなくして、私のベッドが到着し、荷物をバタバタ整理していると、私より少し年上くらいの女性がよろよろと部屋に戻ってきた。しんどそうだったので、元気に挨拶することがためらわれ、軽く会釈をしたところ、一瞬、足をとめたその女性は少し笑顔になり会釈を返し、そしてまた、ゆるゆるとしんどそうに、花に囲まれた隣の空間に入っていってカーテンを引いた。

 それが隣人の患者さんとの最初の出会いだった。

 

 その女性は、末期のがん患者だった。

 私が移動してくる少し前に、余命半年と医者から言われた、という話をカーテン越しに聞いてしまった。

 なにしろカーテン一枚なので、会話が全部聞こえてしまうのである。来客中はなるべく席をはずそうと思ったのだが、とにかく見舞い客が多いので、なかなか席を外すということもできない。

 

 見舞い客の他に、毎日、夕方になると、すらっとかっこいいだんなさんがやって来て、病院の食事の時間にあわせ、自分も持参した夕飯を食べていた。お子さんはいらっしゃらないようだった。彼女はすでに食事がとれないようだったが、夫婦のささやかな団らんの時間だったのではないかと思う。

 

 彼女は、おそらくどこかわりと大きな会社で、部長クラスの役職にでもついていたのではないだろうか。

 仕事仲間、後輩や上司など会社関係の人から友人、親戚まで、いろんな人が毎日、お見舞いに来ていた。

 そして、その人たちに余命宣告を受けたということを、さくっと報告していた。

 聞いた相手はたいてい、えっと一瞬かたまる。そこで女性は、「まあこれが半年後に笑い話にでもなればいいんだけどねえ」とフォローをし、相手も「そうだよねえ」と相槌を打って、その後は普通にあれこれよもやま話をしていく。そんなことが毎日繰り返されていた。

 

 いろいろな人がいろいろな手土産を持ってきていた。そのたびに彼女は、「わあこれ素敵! え〜うれしい!!」と、本当にうれしそうに喜びを表現した。

 中には食べ物をもってくる人もいて、彼女はおそらく食べられないだろうけれど、同じようにすごく喜んで、カーテン越しに相手がにこにこしている表情まで伝わってくるようだった。

 

 ただ、親しいがん友らしい友人が来たときは、彼女の余命を聞いてショックを受ける相手に、「ごめん、一足先にいくことになっちゃうと思うけれど」と、そんなふうに話した。

 

 そしてだんなさんと二人になると、しばしば痛み止めの麻薬をつかった。患者が自分で操作して鎮痛剤を投与できる機械があり、彼女もそれを使っていた。それを使う頻度は、日に日に増えていくようだった。

 

 でも、だんなさんが来ると、来客中の気合の入った元気とは違う、穏やかな元気に、少しだけなるようだった。

 あるとき、だんなさんが「柔軟剤初めて使ってみたんだけどさ」と話をしていたことがあった。「へえ」と彼女。「なんか……」とだんなさんが言葉を区切り、「うん」と彼女が相槌をうつ。

 一呼吸おいて、 「柔軟剤って、無駄にいい匂いがするんだな」と旦那さん。

 彼女は少し笑ったようだった。

 それから、加入したばかりのAmazonプライムを解約しなきゃとか、そんな話をぽつぽつして、静かな暖かい(と、私には思えた)時間が過ぎていった。

 

 私が退院する少し前、彼女は病院からホスピスをすすめられたようだった。

 「それもいいんだけれど」と、彼女が旦那さんに話しているのが聞こえた。

 「でもそれって本当におわりみたいじゃない」

 

 それからほどなくして私は退院した。

 その後、彼女とは会っていない。

 でも、ときどき、彼女のことを考える。

 カーテン越しのただの隣人という関係で、話もほとんどできなかったけれど、私は彼女をとても尊敬していた。

 それは、彼女を通じて、日々を生きる、ということを改めて考えたからだと思う。

 

 昨日と今日がかならずしも同じように続いていくとはかぎらない。

 先が見えなくなったとき、あるいはその先に本当の意味でのおわりが見えたとき、できることは、ただ、いまこの瞬間をちゃんと生きる、ということである。

 そして、生きることを考え続ける、考えることをやめない、ということである。

 そうすれば道が開ける、なんてことは思わないけれど、少なくとも「生きる」という「やること」があるということは、貴重なことだと思う。

 

 不安は何も生まない。

 それなら生きること、どうやって生きるかということにコミットしたほうがいい。


 と、いうことで、最近いろいろ準備していたことがとんで、いつになった中国に行けるようになるかもわからず、このままいったら、自分の老後問題が深刻化しそうになり、唐突ながら人生で初めて卵焼き器を買ってみた。別に卵焼き職人になろうとかではなく、私はだし巻き玉子を作れないので、ひとまずおいしい卵焼きができたら生きている実感が一つ増えそうな気がしたのだ。

 だいたい日本は卵焼き文化がなぜか熱い。専用のフライパンまであるなんておかしすぎる、、、と思いつつ、今のところ上手く作れない。そしてむしろ、失敗するたびに、生きている実感を味わう日々である。

 

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ダイヤモンド・プリンセス号と「はたらく細胞BLACK」とサイトカインな人々

 とても不謹慎な表現なのだが、このところ、ダイヤモンド・プリンセス号の一連のニュースを見ていて、脳内で「はたらく細胞BLACK」がリフレインしていた。

 「はたらく細胞」とは、人間の体内ではたらく細胞たちのスリリングな日常を擬人化した大人気コミックおよびアニメ。「〜BLACK」は、不摂生した人間の体内ではたらく細胞たちの、とってもブラックな日常を描いた、さならがらホラーのようなコミックである。

「はたらく細胞BLACK」のPVアニメはこちら

https://www.youtube.com/watch?v=_hpb6P9gurA

 

 この「〜BLACK」、主人公の赤血球が(おそらく輸血かなにかで)別の体内に運ばれてくるところから始まるのだが、その体が糖尿病で、腎臓の糸球体は糖分のとりすぎでへろへろ、膵臓のランゲルハンス島のβ細胞にいたっては自殺してしまう、みたいな中で、赤血球はせっせと酸素を送り届けようとするも、次から次へとトラブルが起き続け、働く意味を失いかけてしまうといったストーリーある。

(なお、はたらく細胞の内容には、科学的に間違っているところもあるそうなのだが、そもそも細胞がヒト化している時点でファンタジーである)

 

 では、なぜ、ダイヤモンド・プリンセス号で「〜BLACK」がリフレインしたか。

これはまたとても失礼な書き方になってしまうかもしれないのだが、感染症が発生した巨大なクルーズ船という難しい環境に加え、おそらく政府や船会社など多数の大人の事情が複雑に絡みあうであろう非常に困難な状況で、問題の収束をはからなければならないというミッションは、ブラックな体内環境で壊れそうになる体を、なんとか正常に保とうとはたらく細胞たちの仕事のようだと思ってしまったのである。

 

 もともと健康体であれば、きちんと薬飲んで、はやく寝て栄養とってというごく一般的な正攻法で問題は解決するかもしれない。

 でも、厚労副大臣が船内のゾーニングの状況として、「左手が清潔ルート、右側が不潔ルートです」と、ルートの先が一つの部屋につながる写真をTwitterで告発?するもあっという間に削除する、みたいな謎なことがおきている状況で、正しいことを正しくせよというのは、とてもとても無理ではないだろうか。

 

 でも、こういう状況になると、正しいことを正しくすべしと声高にとなえる人たちがメディアでもネットでもたくさん出現してきて、「はたらく細胞」的にいえばサイトカインをばらまく活性化した樹状細胞のようである。

サイトカインは本来、体を守るためにつくられるものだけれど、放出しすぎると、自分の免疫機能で自分を壊してしまうそうだ。

 

 もちろん確かに、ダイヤモンド・プリンセス号については、他にやりようがあったのかもしれないし、少なくとも困難だという状況自体をもう少しうまく外部に伝えられていたらどうなっていただろうかと素人考えでは思う。でもそこには、どんな状況でも「きちんとやっています」と言い続けなければならない事情があったのだろうか。

 

 思えば、今の日本自体が、BLACKな人体そのものなのかもしれない。これまでは、いろいろ不具合が出つつも、まあまあやってこられた。しかし、実際のところは、まるっと臓器移植して若返るみたいなSFなことがないかぎり、もはやちょっとの運動や栄養管理で健康な体に戻るような状況ではないようにも思う。

 

 となると、まずはこのBLACKな体内で、BLACKなりにどう生き延びるかを考えるかのほうが現実的ではないか。この国で、炎症がおきるたびにサイトカインを放出する人々をみているとそんなことを考えてしまう。

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確定申告

 実家をリフォームして賃貸に出したのだが、確定申告にあたって、リフォーム代をどう計上したらよいかわからない。

 ひとまず税務署に電話をしてみると、リフォームの内容によって、資産と修繕とにわかれ、計上の仕方が異なるので、どれが何にあたるか、税務署まで出向いて相談を、との回答だった。

 

 それはさすがに面倒くさい。数日後、もう少し別の方法がないかと思い、改めて電話をしてみた。

 すると今度は、「その内容と金額なら、まとめて資産的支出となるので、減価償却費として計上できる」とのこと。

 では、耐用年数はどうしたらよいのかと問うと、リフォーム費としては耐用年数の規定がないので、マンションの新築時の耐用年数、すなわち47年を適応するしかないという。

 200万円くらいのリフォーム費用を47年かけて償却するというのは、なんか変である。というか現実的ではない。

 

 そこでまた後日、もう一度、税務署に電話をしてみた。電話口に出たおじさんは、これまでの2人より、あきらかに知識が豊富そうで、「賃貸に出したマンション自体も、法定耐用年数内であれば、資産として計上して、減価償却できるはずです。(中略)平成19年3月31日以前に取得したものであれば、(中略)もう少し短く償却できますし、2年目以降は、リフォーム費と合算できて(後略)」といって、なにやらたくさん専門的な解説をしてくれた。

 が、(略)の部分は専門用語のオンパレードで、さっぱり理解できなかった。(理解できなかったので、上記の内容も間違っているかもしれない)

 

 「ありがとうございます」と電話を切りつつ、途方にくれた。

 3人の回答がそれぞれまったく違うところが、なんだか北京に戻ったようである。

 とりあえず、気を取り直し、3人目のおじさんの内容をところどころ思い出しながら、ネット検索してみた。

 

 で、見つけた。国税庁のページに、「中古資産を非業務用から業務用に転用した場合の減価償却」とか「中古資産の耐用年数の計算式」なるものが解説されていた。

 それは素人がぱっと読んで理解できるような内容ではなかったけれど、これを頼りにもっとわかりやすい解説を探してみると、税理士さんのホームページなどで、具体例付の計算式が出ていたりして、ようやくなんとかなりそうである。

 

 こうして最終的にはきちんとした規定にたどりつけ、しかしそれがまたおそろしく複雑でややこしい、というところに、やはり自分は日本にいるのだということを実感する。

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フラット

 連日、報道される新型コロナウイルスのニュースを見て、どうも釈然としない。

 何が釈然としないのか、釈然としないまま、ただ、はっきりしているのは、1月23日、武漢が封鎖された直後、北京の恩師にEMSで送ったマスクが、29日に北京に到着して以来、ずっと未配達のままになっているということと、1月31日に別の恩師に、やはりEMSで送ったマスクが、いまだに日本すら出ていないということ、そして私が知るかぎり、薬局からもスーパーからもマスクが消え、Amazonやオークションサイトで販売されているマスクがえらく高騰している、ということである。

 

 思い返せば、2003年、私の北京生活は、SARSの到来とともに始まった。

 別にSRASを狙って留学したわけではないけれど、留学した直後にSARSの大波が来て、大学外に暮らしていた私は、大学に入ることすらできなくなった。そして町は人の気配がまばらになり、ちょっとしたゴーストタウンのようになった。

 それでも、当時は日本でマスクが買えなくなるような事態も聞かなかったし、そもそも、日本に大量の中国人がやってくるということは全く想像すらできなかった。

 

 改めて、この10年で、日本と中国はフラットになったと、しみじみ感じる。

 私は、フラットになるということはよいことだと思っていたし、それはいまでも変わらない。考え方や価値観に大いなる違いがあっても、育ってきた背景が全く異なっても、それでも、どちらがどちらに行っても、来ても、上とか下とか関係なく、フラットに向き合えるということは、とても大事なことだと思う。

 

 しかし同時に、日本のようなちっちゃな国が、中国のような巨大な国のすぐ隣にあり、人やモノの流れがフラット、もしくは大→小という関係下で起きるマイナスのインパクトについて、この国は無力だとも感じる。

 実際、マスクが買えない問題に対して、関係省庁が買い占めがおきないよう通達を出したり、首相官邸がマスクの予防効果はいまいちというお知らせ?を出すという状況である。EMSの大幅に遅延については、もうなすすべもない。

 

 なにかとサバイバルな隣国で生まれ育った人々であれば、おそらく、政府がいくら冷静に対応をとか、マスクの予防効果がいまいちと言っても、そんなのどこ吹く風で、買えるだけのマスクをとりあえず買うだろう。

 

 私が暮らす日本は、私が生まれてからこれまで知ってきた日本とはもはや違うのだと、改めて思う。

 それでも、この国を動かしている人々にとっては、相変わらず、従来通りの日本であることに、どこか釈然としないものを感じつつ、巣鴨の場末の薬局に、わずかに残ったマスクを見つけて、思わず、買い占めてしまうのである。

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乳がん

 先日、乳がんになって左胸を全摘した。

 といっても、初発で早期だったので、基本はとっておしまい。あとは、再発防止のホルモンを抑制する薬を5年間飲むくらいで、抗がん剤治療もなし。

 

 なってみてわかったのは、乳がんというのは人によって千差万別だということ。私の場合は一番ライトなほう。

 それと、世間では、有名人が「乳がんで全摘した」というニュースを悲報のように伝えるけれど、果たしてそうなんだろうか、ということだ。

 

 確かに、全摘というと、大変な感じがしなくもないし、実際、結婚・出産を希望する場合など、大変なことはあるだろう。

 しかしまず、手術ができる、ということは、喜ぶべきことではないだろうか。乳がんがかなり進行してしまうと、手術ができないこともあるそうだ。

 また今は、乳房再建にも保険が適応されていて、乳がんの手術と同時に再建手術をする人も多い。

 

 ただ同時再建すると入院期間が1週間のびるので、私は希望しなかった。

 理由は、病気でケアの必要な猫がいて、ペットシッターさんに朝晩来てもらう必要があり、1週間ものびると、北京に旅行に行けちゃうくらい高くつくから。

 それと、もともとたいして大きな胸ではないこともあり、私の人生にとって、片胸を失うことは、あまり大きなことではないように思えたから。

 

 もちろん再建を強く希望する人もたくさんいて、だからこそ、最近は乳がんの手術と再建がセットでできるようになっている。それ自体はすばらしいことだし、胸が大きな人にとっては、片方なくなると、左右の重量がかなりアンバランスになるので、再建は重要な問題となるかもしれない。

 

 でも、なんというか、再建ありきでなくてもいいんじゃないか、と個人的には思っている。してもいいし、しなくてもいい、なければないでそれも個性というか普通というか、まあ、そういうこともあるよねと、そんな風に思えるのもいいのではないか。

 

 ちなみに、全摘した胸がその後どうなったかというと、術後の出血がわりと多くて、血性の液体がたまりにたまって、再建したように元通りになってしまった。ただし、血がかたまったようなものなので、カチコチ。

 

 本来、そうならないように、ドレーンという管を胸に入れてわきの下から出し、陰圧のかかったバッグにつなげ、そこへ排液を吸いだすのだが、これがもう出しても出してもちっとも減らなかった。

 

 排液が減らないとドレーンが抜けない。抜けないと退院が長引く、ということで、ドレーンをつけたまま退院させてもらい、管つきで仕事にも行っていた。(でも、血のりみたいなのがジャバジャバたまっているバッグは、一応、見えないように隠していた)

 

 結局、これ以上入れておくと感染源になるというギリギリの術後17日目に抜いたのだが、その後もじんわりたまっていって、見た目は術前と同じ。

 このままでもいいやと思っていたら、医者いわく、「自然に吸収されていくよ」とのこと。

 では吸収されたら、今度こそ、胸は平らになるのかと思いきや、その吸収というのが、布団圧縮袋に入れた布団みたいな感じなのである。

 ということで、今、摘出した側の胸はカチコチ&デコボコになっていて、生き物の体の不思議を、身をもって体験しているところである。

 

 なお、乳がんの手術自体は、全身麻酔+硬膜外麻酔という強力な麻酔のおかげで、全然痛くなかった。

 ぶっちゃけ、脂肪をとっただけなので、麻酔から覚めたあとも、おなかがへって死にそうなくらい元気。尿道カテーテルが入っているから、翌朝までベッドからおきられなかったけれど、ずっと、友人とチャットしていた。

 

 中国の友人や恩師にも微信で報告しまくっていたのだが、そこで異口同音に言われたのは、「大丈夫! 治るよ! 日本の医療はちゃんとしてるから!」。

 そういう問題だろうかと思いつつ、友人の友人が北京の公立病院で出産したとき、陣痛が来て病院に行ったらまだまだだと言われて一度家に帰され、破水したのでまた病院に行ったら、今度は上の階にある検査室まで階段を歩かされて死ぬ思いをした、といったエピソードを聞くと、さもありなん、と納得してしまうのである。

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ハンカチ考

 中国から戻ってきて4年以上たち、赤信号も自然に立ち止まるようになったけれど、1つだけ、戻らない習慣がある。

 それはハンカチーフを持ち歩くということだ。

 

 実は北京に行くまで、ハンカチというのは誰もが普通にもっているものだと思っていた。

 だから留学に行く時には、ハンカチも何枚かトランクにつめていった。

 ところが、北京でハンカチを持ち歩いている中国人を、私は見たことがない。

 

 まずトイレ。10年ほどまえ、北京の公衆トイレには、そもそも手が洗うところがなかった。

 あったとしても、中国の人は洗わないか、洗ったあとはぱっぱと水気をきっておしまいか、服でふいていたように思う。

 

 少しグレード?の高い公衆トイレは、入口に大きなペーパーホルダーが設置され、トイレットパーパーがセットされていた。私はこれで手をふくのかと思っていたのだが、そうではなかった。

 個室にトイレットペーパーを設置すると、おそらく持っていかれてしまうし、交換も手間なのだろう、そうじのおばさんが常駐している入口に設置し、利用者は用を足す前にここで必要な分を持っていくというシステムだった。

 もっとも用を足したあとで、やたらとトイレットペーパーをひっぱりだして、くすねていくおばさんも多く、トイレットペーパー=ティッシュペーパーのように使われていた。

 

 その後、北京五輪でトイレが整備され、手も洗えるようになったけれど、あいかわらず自然乾燥だし、さらに近年は温風器なども設置されるようになって、ますますハンカチは必要なくなった。

 

 トイレ以外でも、レストランには紙ナプキンが必ずあるし、汗はティッシュで拭ける(私は日本で買った汗ふきシートを利用していたが)。そのほかたいていのことはティッシュで事が済む。

 スーパーにはポケットティシュがたくさん売られていて、北京で働く女性ならカバンの中に常備しているはずである。

 

 そもそも、北京はいたるところが汚れていて、家に帰って手をあらうと水が茶色くなるくらいなので、ハンカチを持ち歩くというのは、きわめて不衛生だと思う。

 

 そんな次第で日本からもっていったハンカチーフは1度も使わないまま、10年後、日本にもってかえってきた。

 そしてそのままタンスの奥底にしまわれた。

 

 あるときふと思い立って、ハンカチを持ち歩てみようと思ったのだが、濡れたハンカチの保管に困り、洗濯後は再びタンスの奥行きとなった。

 みんなどうしているんだろうと思ったら、身近なところではポケットにしまったり、100均で買ったミニハンガーにかけたりしているらしい。

 ネットをみれば、カバンにお洒落に?にかけたり、通気性の良い専用の収納ポーチを自作している人までいて、日本人女性のスピリットに感服してしまった。

 

 今、中国のネットで、ハンカチーフ(手帕)を検索すると、「ハンカチーフって何するもの?」とか「日本人はなぜまだハンカチを使っているのか」といった文章がヒットする。

 後者の記事では、その理由を、日本人の環境保護意識と、教養の象徴だと分析していて、なかなか興味深かった。

 

 どうやら中国もかつてはハンカチを使っていたらしい。というか、ハンカチ的な布文化自体、古くは秦代までさかのぼれるようだ。

 そこまででなくとも、近代には普通にハンカチが使われていたときもあり、一昔前のテレビでその面影をかいまみることができる。しかし、80年代をすぎたころには見かけなくなったらしく、日本のようにエチケットの象徴として定着することはなかった。

 

 そもそも日本的な「エチケット」の概念を正しく訳せる中国語を、私は知らない。

 それに、便利第一のかの国で、毎回、洗わなければならない、しかも衛生的とはあまりいえないハンカチが、手軽なティッシュにとってかわられるのは当然の流れだっただろう。

 

 そこで、ある中国人が、「日本ではなかなかキャッシュレスが進まない」と話していたことを思い出す。

 中国が短期間であっという間にキャッシュレス大国となったことは周知の事実である。

 

 キャッシュレスとハンカチを同列に語ることはできないけれど、どちらも「新しくて便利なものが出てきた」という理由で、さくっと簡単には変わったりしないところが似ている。

 その点、今の中国の人は変わり身が早い(と、私は感じる)。

 

 第4次産業革命で世界が大きく変容するさなかに、いまでもポケットから現金やハンカチを取り出すような日本人の有り様は、いささか心もとないような気もする。

 ただ、ハンカチを毎回、きれいに洗濯してアイロンがけをする手間ををいとわず、さらには濡れても清潔に保つための創意工夫をあれこれ考えるような、ある種のかたくなさと不毛さと、日本人的矜持には、この時代において何か意味がありはしないか、とも思うのである。

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「格安」考

 某日、ネットをつらつら見ていたら、脳ドッグのLCCという文句が目に入った。

 すなわち、脳ドッグを2万円以下の格安で受けられるという。

 某IT大手のOBが脳ドッグに特化して始めた予防ビジネスで、予約から結果通知、さらには検査画像の確認にいたるまですべてネットで行えるようになっている。

 

 その紹介記事自体がステマっぽいし、院長の専門が循環器内科というのは少々ひっかかったが、いろいろコストダウンの努力をしていてこの価格、という話はあながちウソではなさそうだった。

 とりたてて悪いところもないけれど、この値段なら、ちょっと話のタネに受けてみようかなと、そんな気になった。

 

 そして、これが中国なら〜、と考えた。

 中国国内で、「格安」が成立するシーンはわりと限られると思う。

 

 スマホや家電、航空業界など、過当競争でしのぎをけずっている業界は、より大きな市場を獲得すべく、じゃんじゃん資金を投じて、いいものを安く提供する傾向があるけれど、多くの場合、安い=粗悪品(安心できないもの)であり、高い=よいもの(安心できてブランド価値が高いもの)的なイメージは根強い。

 そもそも、よいものは値段をあげても売れるので、一般に値段が釣りあがることが多いと感じる。

 

 ましてや、不信感が蔓延する中国の医療業界では、予防ビジネスとはいえ、「格安」商売が成り立つとはあまりイメージしにくい。

 

 ということで、東京で格安脳ドッグを受けてみた。所要時間は30分。ささっと超お手軽で、1週間ほどで結果の通知メールが届いた。

 そしてWEBのマイページに表示された結果は動脈瘤の疑いあり。ただし、現状ではクモ膜下出血の可能性は極めて低く、年に1度の検査を受けましょうという内容である。

 

 説明するのでご来院くださいと書かれていて、話を聞きにクリニックにおもむくと、医師は「疑い」なので動脈瘤とはかぎらないが、念のため3カ月後にもう1度受けたほうがよいとのたまう。ちなみにどこの部分の血管か聞いたところ、返ってきた答えが「脳の奥」。

 

 もしかしたら、そうしてリピート客をつくるというビジネスモデルなのかもしれない。

 不安商法といえばそうかもしれないが、本当に不安なら大きな病院できちんと検査をすればよいだけのことなので、とりたてて実害はない。

 

 これが中国なら、悪くないところを悪いと言われて不要な手術でがっぽりとられるとか、そこまでではなくても、あとからいろいろ追加検査されて請求されるかもしれない、などと妄想が膨らんでしまう。

 そう考えると、手軽にさくっと脳ドッグを受けられるサービスがあるのはありがたいことだといえるのではないだろうか。

 

 そして、日本で格安脳ドッグのようなビジネスが成り立つのは、監督体制がそれなりに機能しているというだけでなく、それだけ社会が成熟して安定しているということなのかもしれないと、そんなことを考えるのである。

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電車の遅延アナウンスに想うこと

 某日、京王線に乗っていると、緊急信号を受信したとかで、電車が2回急停止した。結局、安全を確認したということですぐに発車したのだが、その後、「緊急停止を2回したために、3分遅れが生じました。ご迷惑をおかけしました」という車内アナウンスが、駅につくたびに繰り返された。

 

 加えてその帰り道、今度は山手線で3分の遅延が出て、やはり駅に着くたびに説明とお詫びのアナウンスが流れていた。

 

 丁寧で誠実といえばそうかもしれないが、なにもそこまでしなくても……と思ったのは、私一人ではないだろう。

 

 また、ある時、都電荒川線に乗ると、運転席近くに「乗務員が体調維持のため、停車中に水分補給を行う場合があります」という張り紙があり、おもわずのけぞったこともあった。

 北京のバスでは、運転手も車掌のおばちゃんも、お茶入りマイボトル持参は当たり前の光景だったので、まさかあえて説明をするようなことであるとは思いもよらなかった。

 

 それにしても、運転手がお茶を飲むことや、たかが3分の遅延におことわりや謝罪が必要だとしたら、そんな社会はずいぶん息苦しそうだ。

 そう考え、はたと思った。

 

 この種のアナウンスに違和感を覚えるのは、単にトゥーマッチというだけでなく、「謝罪するのでお許しください」的な「保身」と表裏一体なところがあるからではないだろうか。

 であるならば、保身という防御において、バカまじめさをさらけ出して謝罪するという戦略がまかり通る日本は、やはりきわめて「いい国」といえるかもしれない。

 

 中国でも近年は謝罪が増えたが、基本的には、攻撃は最大の防御である。

 例えば、去年、北京に行ったときのこと。

 予約したホテルに行くと、ガラス扉の向こうは真っ暗だった。一時的な停電かと思い、ドアをあけると、真っ暗なフロントにいた若いスタッフいわく、「公安からの営業停止を受けたので今日は泊められません」。

 

 そして「かわりに、姉妹店があるので、そちらに案内する」とのこと。ただ、聞けば、かなり遠方の郊外。私はこの場所に用事があって、ここのホテルをとったのだから困ると言えば、「じゃあ、自分でなんとかしてください」。

                                             

 そこからはもういわずもがなのバトルである。こちらが「そっちの都合で泊められないんだから、近隣のホテルに連絡して替わりの部屋を手配すべき」と言えば、「私たちだって公安に言われた被害者。姉妹店に案内するといっているのに勝手を言っているのはそっちのほう」とやり返す。

 

 あとから聞いた話では、実はドミトリーの一室で盗難があり、盗難にあったのがアメリカ人で、1000ドルという大金であったために警察沙汰となったそうだ。それで、店主も責任を問われ、前日から拘留され、スタッフも徹夜で対応に追われていたという。

 

 結局、かなりのすったもんだのすえ、なんのことはない、歩いて数百メートルのところにもう一軒姉妹店があり、そこに一部屋取ってもらうことができた。

 最初からそこに案内しなかったのは、オンシーズンで、私が入ると満室になってしまうので、あけておきたかったようだ。

 

 ホテルの「自分たちも被害者」という言い分は、確かに一理あるのだが、それでもこういうとき、自分は悪くなくてもとりあえず謝る日本式が恋しくなる。

 

 さて、話をもどすと、冒頭の電車の遅延謝罪アナウンス。

 せっかくなので、海外ではおそらくあまりみることができないだろうそれを、東京五輪に向けて、英語と中国語と韓国語でも流したらどうだろうか。

 

 それが海外の人にとって「心地よい」かどうかはわからないが、戦略的にやれば「名物」になるかもしれない。

 そうしたら、3分遅延で謝罪のアナウンスも、もっと楽しいものになるのでは、と妄想するのである。

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「おいしい」の佇まい

 先日、KINBRICKS NOWさん主催の忘年会で、「中国という隣人」の水彩画さんから、空也の最中をいただく機会があった。

 

 空也は銀座に店を構える、最中で有名な和菓子の老舗で、ネット販売はしていないので、店舗に行かないと買うことができないそうだ。しかも、最中は連日ほぼ予約で完売してしまうので、電話予約必須、さらにその電話もずいぶんつながりにくかったと言う。

 

 でもだからといって虎屋の羊羹みたいな高級品でなく、いたって庶民的お値段で、その価格とクオリティを保つために、このような販売スタイルになっている、というのは、後日、ネットで読んだ情報である。

 

 さて、そのいただいた最中、バクっと一口でいけてしまうくらいの小ぶりながら、あんこがぎゅーっとつまっていて、さらに皮がなんとも香ばしい。

 1週間くらい日持ちするということで、1日1個ずつ食べることにすると、日がたつにつれて皮が微妙にしっとりしてきて、なんともいえないじんわりとしたおいしさが増した。

 

 それを味わいながら、ふと、日本の「おいしい」の佇まいとはこういうものか、と思った。

 華美を求めず、シンプルで、品数は増やさず、数点、時には1点勝負で、こだわりとまごごろを凝縮して味を極める。日本の「おいしい」の佇まいは、どこかミニマムでつつましい。

 

 そう感じるのは、中国の「おいしい」の佇まいが、看板メニューを筆頭に、豊富な品数でバラエティにとんだメニューをドーンと展開するマキシマムなところにあるからかもしれない。

 シンプルな麺屋さんでも、日本のラーメン店みたいに、メニュー数品などということはまずなくて、各種具材を変えた麺が並ぶ。

 道端の出店ですら、メニュー1点勝負ということはなく、中国式クレープとでもいうべき煎餅(ジエンビン)でも、粉の種類が選べたり、中に挟むものを選べたりする。

 

 餃子にいたっては、餡の肉の種類だけでもブタ、ウシ、ヒツジなどがあり、さらにブタと白菜、ウシとニンジンなど野菜との組み合わせが定番からオリジナルまで無限にあって、それが店の個性を生んでいる。

 

 ところが、日本の餃子専門店の場合、逆に具はシンプルでこだわりぬいた××、というところに個性が発揮される。

 

 国民性の違いといえばそれまでかもしれないし、そもそも大人数でワイワイ食べることが多い中国と、個人もしくは少人数での食事が一般店な日本の外食スタイルの違いもあるかもしれない。

 

 ただ、では、今の日本において、1点もしくは数点勝負のミニマムな「おいしい」の佇まいを支えているものが何かと考えてみると、それはもしかしたら、これぞ「個性」とみなが(あるいはメディアが)いうものに「個性」を求めておけば安心的なさっこんの風潮ではないか、とも思うのである。

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