中国在住10年を経て帰国。
中国、という日本とは違った視点で、
日本をあれこれ考えてみる、
日中文化考ブログ by 田中奈美
中国でものごとを進めるために必要なこと(たぶん)

 中国では本当にぎりぎりの直前まで決まらないことが、わりとよくある。

 はやく決めたところで、直前でどんでん返しされることも日常茶飯事なので、結局、ぎりぎりまで決まらないことにはかわらない。

 

 仕事でもプライベートでも同様で、たとえば一カ月前に、北京の友達に「××日に行くよ!」といっても、「おーいらっしゃい!」で話は終わる。

 で、1週間前に「××日に行くけど、会えそう?」と聞くと、「没問題!」というくせに、前日もしくは当日まで、何時にどこで会うといったことは決まらないし、前日に連絡すると、「あ、ごめん、明日だめだ!」と言われることも普通にある。

 

 いろいろなことがゆるゆると流動的に運んでいき、優先順位もそのときの状況でゆるゆると変化する。

 

 きっちり一つずつものごとを進めていく日本流とはおそろしく相性が悪いが、今は逆に、中国流にもだいぶ慣れてしまって、日本で、1カ月先の約束のことを言われると、ちょっとひるむ。

 なるべく守るようにしているけれど、直前でごめんなさいをすることもあるので、あまり中国人のことは言えない。

 

 それでもやはり、日中間の仕事で、中国側が本当に直前まで決まらないと、胃がきりきりとしてくるのは、日本人の性だと思う。

 

 先日も、そんな渦中で、これがだめなら次このパターン、それがだめならさらに次はこうしようと、あれこれ先手を打とうとしていたら、一緒にいた中国人が一言、「田中さんまじめねえ」。

 

 かちんときて、「私がまじめなんじゃなくて、あなたがアバウトなんでしょ!」とか、「請け負った仕事は、責任もって果たそうよ!!」と心の中で呟いてしまったのだが、思えば、日本人的な真面目さが、必ずしも中国での現状を打破できるとはかぎらない。

 というより、それが空回りして、足かせになることもある。

 

 それでふと、(だいぶ余談になるが)、中国武術のことを思った。

 中国武術で、鬆緊(ソンジン)という考え方がある。直訳すると、鬆(ゆるんでいる状態)と緊(緊張している状態)のことで、かなり乱暴に表現すれば、筋(筋肉ではない)の鬆緊が力量を生むという考え、といえるだろうか。

 

 ただ、ゆるむといってもゆるゆるではなく、緊張しているといってもがちがちではなく、ちょうどよくゆるんでちょうよく張る中庸な状態がよしとされるが、これにぴったりの日本語がない。

 そして私はその「ちょうどいい」がいまだによくわからない。

 

 ただ、中国では、そういう中庸ななかでものごとをとらえることが、パワーの発揮につながるようなところがあるように思う。

 一方、日本人としては、きっちりした型のなかでしっかりそれをこなしていくほうが、やりやすいだろう。

 

 型といえば、以前、ある中国武術の「套路(とうろ)」(日本の武道でいうところの型)を、日本の生徒さんの教材用にビデオを撮ろうとしたら、中国の先生のそれは、毎回、ちょっとずつ内容が違っていて、日本の先生が困っておられたことがあった。

 でも、中国の先生いわく、「套路なんてそんなもん」。

 

 アバウトといえばアバウトなのだが、そのアバウトさにも得るものがあるのが、中国武術の醍醐味だと思う。

 

 結局、物事の進め方でも、鬆(ソン)でもなく、緊(ジン)でもなく、なんとなくゆるゆるっとやっていくところに、コツがある気がする。

 臨機応変といえばそうかもしれないが、ただ、目の前の事象に反射的に対応するというより、もともと中庸なのでどちらにふれても、どっちもいける、みたいなイメージだ。

 

 なお、くだんの案件は、最終的には、ぎりぎりでどうにかなった。

 だいたいいつもそうやって、ぎりぎりでどうにかはなる。

 

 だから、いままでは、なんとかしてどうにかいかせなくては!と緊張していたのだけれど、もう少しズルズルでもいったほうがうまくいくのかもしれない。

 と思いつつも、最後にどうにもならなくなることも、たまにないわけではない。

 やはり、「ちょうどいい加減」は、いまひとつ見つけられないままでいる。

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