中国在住10年を経て帰国。
中国、という日本とは違った視点で、
日本をあれこれ考えてみる、
日中文化考ブログ by 田中奈美
北京のあるタクシードライバーの20年

 先日、北京でタクシーに乗ったときのこと。

 ドライバーはいかにも北京の下町っ子という風情の、ちょっと粋な50代風男性。

 渋滞にはまり、ぽつりぽつり世間話をしているうちに、「自分はドライバーの仕事をして、もう20年以上になる」と話し始めた。

 

 もともと、ヒューレットパッカーで運転手をしていたそうだ。

 定年退職したものの、息子はまだ大学生で、フランス語専攻。この先、留学もするだろう。ということで、タクシードライバーを続けている。

 といっても、それほど経済的にカツカツという感じでもないようで、指には大きな琥珀の指輪、時計もそれなりに高そうなものを身に着けている。

 のんびり働いて月の収入は3000元程度、という話。

 

 私が日本人だと知ると、「そうそう、そういえばヒューレットパッカー時代、一人だけ、日本人の駐在の青年がいたよ」とドライバー。

 

 日本支社からの出向であったようだ。当時30歳すぎ。英語は達者だったが、中国語はあまり話せない。

 あるとき、この青年から、片言の中国語で「普段はどんな酒を飲むか」と聞かれ、「燕京ビール」だと答えたところ、今度は「一晩で何本くらい飲むのか」と聞かれた。

 「3〜4本は飲むよ」というドライバーに、青年は「あなたはそんなに金持ちなのか!」と驚いた。

 

 燕京ビールというのは北京っ子が愛する安ビールで、当時、1本1元(日本円の感覚では数十円)程度。

 ドライバーが、なぜ、そんなにびっくりするのかと聞いたところ、青年は北京随一の高級ホテル北京飯店に住んでいて、ホテルのバーで飲む燕京ビールは30元もしたのだそうだ。

 

 「それで、翌日、彼を地元の店につれていったら、すごく喜んでね」とドライバー。以来、しょっちゅう一緒に飲むようになったのだという。

 「彼のことはいまでもよく覚えているよ。彼ももう50歳を超えただろうな」

 

 それからしばらくこの20〜30年の北京の劇的な変化について、ドライバーはまたぽつりぽつりと話し始めた。

 三環路という北京中心部のメインストリート的環状線がまだ完成していなくて、北京が小さな町だったこと、いまではターミナル3まで拡大した北京首都空港が、ターミナル1つでそれもずいぶんこじんまりしていたこと、そして住んでいた胡同の取り壊し。

 

 彼の仲間の多くは、海外に移民したと言う。

 「でも、自分のためではないよ、みんな子供の教育のため。中国の学校教育は試験で点数を取るためだけにあるようなものでよくないから」

 

 けれど、今の若者はもう移民なんてしないだろうと話が続く。

 「若い世代にとっては、国内のほうがチャンスがあるから。移民は大変だよ。文化習慣も言葉も違うし、外国人が仕事を見つけるのも一苦労だ。その点、中国なら生まれ育ったところだし、それにこの国は、まだまだいろいろな面で成熟していないから、その分ビジネスチャンスも多い」

 

 では、今と昔、どちらがよいか。

 思い立ってそうたずねると、「う〜ん、なんと言ったらいいんだろうなあ」と、首をひねった彼は言った。

 「昔は経済的に苦しくて不安もあった。今は経済的な問題は解消されたけれど、生活コストも上がってプレッシャーは昔より大きい。すべてがめまぐるしくてせわしないよ」

 

 北京中心部のマンションは1平米10万元(現在のレートでざっと170円)を超えた。その上、全然、下がる気配がない。

 燕京ビールのほうは、ちょっと値上って3元程度。まだまだ安いものの、ローカルスーパーには、1本数十元の輸入ビールがずらっと並び、どうやら最近の人気らしい。

 

 さっこん、「ささやかな幸せ」のコストもあがった。

 かつて、日本人駐在員が1元ビールに感激したしたような感動も、彼がこのドライバーさんと共有したであろうささやかな幸福も、ずいぶん遠い昔の話になった。そう思うと、少々寂しい気もする。

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