数学を知らないと困るということは全くなく、ただ、修論で統計を使うのに、数式も記号も模様にしか見えないので、とりあえず、数?と数?の教科書を買ってみた。
たぶんおそらく、高校のときに習ったはずだが、本当に何一つ覚えていない。
ある日、ページをめくると、|x|みたいな記号があった。
xが囲まれちゃって、なんかかわいいと思ったら、これは、絶対値だという。そして、絶対値とは0からの距離を表す値のようである。
へえ、そんな概念があるのかと思い、|x|を含む数式を真夜中に解きながら、知らないというのは幸せだなと、改めて感じた。
こんなことを書くと、共通テストをひかえた高校生たちに喧嘩を売っているようで申し訳ないのだが、この年になって、なんのプレッシャーも必要性もなく、既存の知識やこれまでの「知った」ことでは全く手も足もでない未知の異世界を楽しめるというのは、本当に幸福なことだと思う。
私たちは、生きていく上で、どちらかというと、「知っている」ことが必要とされる。
特に大人といわれるようになって、知らないことが多いと、「そんなことも知らないの?!」と言われる。
絶対値も本当は、「そのくらい知っていないと恥ずかしい」類のものかもしれない。
だから私たちは知ることにはおそらく積極的であり、そういう積極さはポジティブな価値観として捉えられる。
また、世のなかで起きていることについて、ネットには、さまざまな専門家なる人たちの、さまざまな解説があふれていて、たいていのことは知ることができるような気もする。
そうして私たちは、いろいろなことを知るのだが、でも、その「知ること」を選択しているのは自分自身なので、結局、多くの場合、自分の知っている範囲の「知らないこと」にとどまる。その外側にある、全く未知なる世界には、なかなか触れる機会がないのではないだろうか。
実は最近始めた日本語会話教室でのボランティアでも、そう思うことがあった。
毎回、他愛のない話を、全くバックグランドの異なる外国籍の人とつらつらしていると、ときどき、「そういう見方があったか!」と目からうろこの話を聞くことがある。
そうしたとき、私の身の回りには、知っているつもりで、見えていないことが、実はとても多いということに気づかされる。
いろいろなことを「知っている」ことは大切だ。でもそれ以上に、私たちはもっと、「知らないこと」を大切にしてもよいのかもしれない。
ということで、自分にとって未知の世界である数学の問題を、毎日、ちょっとずつ解いているのだが、あまりにもわからなすぎて、数?にたどり着くまでに、あと5年くらいかかりそうである。
]]> そんなことを中華圏の方から聞かれ、はたと考えてしまった。「なんで」はフランクな場面で使う言葉かなというくらいは思いつくが、「なぜ」と「どうして」の違いはさっぱりわからない。
ネットで調べると、同様に疑問に思った人は少なからずいるようで、いくつか解説サイトがヒットした。それによると、「なぜ」は単純に理由を聞き、「どうして」には感情が含まれる、という。
中国語(普通語)の場合、「なんで」「どうして」に相当しそうな言葉に、「怎么(zen me)」という表現がある。これは「なんで行かないんだよ!」「どうしてそれ知っているの?!」というような場面で使われ、若干、感情がこもっていそうなイメージがある。
しかし、いわゆる「なぜ」に相当する「为什么(wei shen me)」「为何(wei he)」は、基本的には「なんのため」という目的をたずねる場合に使うし、日本語の「どうして」に相当する「如何(ru he)」は、経緯や状況をたずねる言葉で、単語自体として、感情がこもっている印象はあまりない。
一方、日本語には他にも「なにゆえ」「なぜに」などという言葉もあり、最近はあまり使われなくなったとはいえ、たまに冗談ぽく古めかしていうときに使用されたりする。
世界の「なぜ」事情はわからないが、少なくとも英語のwhyなどと比較すると、もしかしたら、日本語の「なぜ」表現は、なかなか「豊か」かもしれない。
では、日本語には、なぜ(どうして、なんで、なにゆえ、なぜに)こんなに「なぜ」のバリエーションがあるのだろうか。
それでふと思い出すのは、北京の公共系サービスでよくトラブルになったときのことだ。私が「なんでどうしてこうなるのよ!!」と怒っているのに対し、先方はその説明はすっとばし、あるいはいかに自分は問題なかったのか説明を延々とし続け、「だから、××(解決案)すればいいんだろ!!」とヒートアップするというコミュニケーションの齟齬が、比較的よくおきた。
このときうすうす感じたのは、日本では「なんでよ」の一言に、相手へ叱責と、誠実な説明及び誠心誠意の謝罪の請求などもろもろの感情がまるっとこめられていて、日本であれば、それは暗黙の了解でわりと伝わるのに、北京ではさっぱり伝わらない、ということだ。
ここから先は、何のエビデンスもない個人的仮定にすぎないが、日本で理由を問うとき、我々はそこにさまざまな意味を込める。そして、「なぜ」のバリエーションの豊富さは、日本的なあいまいさと空気を読む社会によって醸造された言語的文化の成れの果て、という側面があるのではないだろうか。
]]>「木のストロー」2月26日(土)15時30分〜16時30分。
主演が堀田真由さんと鈴木保奈美さんという豪華キャストで、社長役には小日向文世さんが友情出演しています。
住宅メーカーの広報の女性が、のちに大阪サミットに採用されることになる木のストローを開発するまでのお話です。
ビジネス本的なマニュアルな話はありませんが、どんづまりのなかで道を切り開いた女性の話には、どんづまりの中にある方にぜひ読んでいただいて、元気のもとにしていただきたいエピソードが満載です。
ドラマは木のストローを世に送り出すところまでですが、実はそこでおしまいではなく、その後もいろいろ紆余曲折あります。それは書籍のほうで読んでいただけるので、ぜひ、書籍もよろしくお願いします。
書籍はこちら。
]]>
退院後、ほどなくして、おばあさんも退院したという連絡をいただき、何度か、ご自宅に遊びに行った。おばあさんは、骨折は治ったものの、歩くことができなくなり、ベッドに寝た切りで、いつも一人で天井を見ていた。ご家族は家にはいたが、私がきたときはなんとなく距離を置かれているような気がした。
そして、おばあさんはだんだん小さくなっていくようでいたたまれず、その後、多忙を理由に行くのをやめてしまった。
そのころ私は、家出同然に実家を出て、四畳半一間の(六畳だったかも?)風呂なし、トイレ共同のアパートで一人暮らしをしていた。その部屋で、畳に大の字に寝そべり、木の板張りの天井を見上げ、孤独というのは、こういう感じだろうかと、おばあさんのことをぼんやり思った。そして、私に何ができるだろうかとも思ったが、答えは見つからなかった。
なぜ、年初にこんなことを書いているかというと、最近、孤独について考えることがあったからだ。さらに年末に、日経新聞で「新型コロナウイルス禍で40、50代を中心とする働き盛りの「孤独感」が、他の世代よりも深刻さを増している」という記事を読んで、ふと、当時のことを思い出した。
これは、東京都健康長寿医療センター研究所が全国15歳から79歳までの男女約3万人を対象に、2020年と2021年の夏に行った調査の結果だという。同研究所のHPには、まだ2021年の調査結果に関する論文は出ていないようで、実際のところはよくわからないが、日経新聞の記事をうのみにすると、「テレワークの拡大などに伴いコミュニケーションの手段が変わるなか、対面中心の意識から脱しきれないことなどが背景とみられる」そうである。
昨今、孤独・孤立対策担当大臣が新設されて、日本の国家として、経済損失が大きいのは、孤独なのか、孤立なのか、その両方なのかよくわからない。
ただ、孤立がある種のシステムや枠組みや集団など外部と切り離された状態であるとするなら、孤独は、個人のメンタルのありようやものごとの捉え方など内的な要素が大きいと思う。また、孤独を感じるポイントも人によって違うだろう。
例えば、元旦に私が感じた孤独は、カーテンを洗い、カーテンレールにとりつけようとしたものの、五十肩が痛くてなかなかとりつけられず、かといって、元旦から同じフロアの猫友さんにヘルプを頼むこともはばかられ、「孤独だわあ」と思ったというもので、これは孤独というより、一人暮らしの不便というべきものかもしれない。
また、中国にいたとき、ときどき聞いた「太孤独了(孤独すぎる……)」というつぶやきは、主に、故郷から遠く離れた、知り合いもほとんどいない北京でやっていかなければならない若者や出稼ぎの人たちの声であることが多かったように思う。
一方、日経新聞で(紋切型に)取り上げられていた日本の40代、50代の孤独感は、社会が大きく変革するなかで、新たなに生じた状況に適応しづらく、これまでの慣れ親しんだ枠組み内に留まろうとしてしまったことによるものであるように感じた。
仮に日本で、このような「孤独」を社会問題とするならば、これだけ従来の枠組みが通用しなくなっている昨今、孤独を感じないようにするより、むしろ、孤独を感じることを前提に、個々人が孤独の取り扱いとサバイバル方法を学ぶほうが、建設的な気がしなくもない。
ただ、そうした孤独のなかにも、根の深い、根源的な孤独もあると思う。
そして、冒頭で書いたような、年を取ったり、あるいはけがや病気で体がままならなくなったとき、場合によっては、もしかしたら、おわりもそう遠くないかもしれないとき、孤独を感じているかもしれない人が比較的身近にいたとしたら、自分に何ができるだろうか。
20代のときとは違って、いまは、「あなたのことを気にかけています」ということをもう少し伝えることはできるかもしれない。でも、他人の人生を背負うことはできないし、それが正しい答えとも思えない。
また、逆に、自分がそのような状況になったとき、自分はどう残りの生を生きるのだろうか。
マニュアルのように、こうしたらいいという答えがあるといいのにと思うけれど、いまだに答えが見つからない。でもそのことを失望ではなく、課題として、ひとまず今の現実を生きることに専念しようと思う。
]]>ある日、ベッドにこめかみをぶつけて悶絶した。
翌日、眉を描こうと思ったら、ぶつけたところが痛すぎて、眉を描けない。
結局、眉なしで出かけて、「なんて、倒霉(ダオメイ)なんだ」と思い、ふと、ひさしぶりに「倒霉」という言葉を使ったことに気づいた。
日本語では「アンラッキー」とか「ついていない」という意味になると思う。霉はカビで、倒は「倒れる」なので、へんな言葉だが、中国版グーグル「百度」によれば、もとは浙江あたりの方言で、「倒楣」と書き、由来は、科挙を受けるとき家の門に旗(楣)を立て、試験に落ちたらそれをおろした(倒)ことによるという。
この倒楣(ダオメイ)が転じて、同じ音の倒霉(ダオメイ)になったということらしい。
それはともかく、日本語では「ラッキー」という言葉はよく言うけれど、「アンラッキー」とか「ついていない」という言葉はあまり使わないような気がする。
では、眉なしで外出しなければいけないようなシーンをなんと表現するかと考えると、「最悪〜」などとなり、アンラッキーどころではなさそうだ。
ひるがえって中国では、「倒霉」という言葉をよく使った。バスに乗り遅れて「倒霉」、バケツをひっくり返して「倒霉」、おなかをこわして「倒霉」、あらゆるシーンに倒霉があった。日本語で「最悪!」と言いそうなところは、たいてい「倒霉」で乗り切った。
そしてもう一つ、「差不多(チャーブドー)」という言葉もよく使った。
これは「だいたい」「まあまあ」という意味で、これまた生活のいたるところに「差不多(チャーブドー)」があった。バスに乗り遅れて間に合ったか聞かれ「差不多」、バケツをひっくりかえした床を拭いてだいたいきれいになったら「差不多」、おなかをこわした翌日、よくなったかと聞かれたら「差不多」。
私がいた北京では、とかく、おじちゃんおばちゃんたちがよく使っていたような印象がある。今思えば、「倒霉」にしろ「差不多」にしろ、それらは、なにかとシビアなことが多かった暮らしの中で生まれた、ある種のゆるさをまとう言葉だったのかもしれない。
]]>専攻は医療通訳だが、目下、生化学とか分子生物学とか解剖学とか臨床医学(の、たぶんきっと入門的なやつ)の講義がめいっぱいで、全然、通訳にたどり着きそうにない。(ブログには、もっとたどり着けなくて、更新が滞っています)
そんななか、先日、国際感染症の授業で、アフリカ出身の専門家によるマラリアの講義があった。日本では遠い世界のマラリアだが、アフリカでは、貧困などの社会事情を背景に、大きな脅威になっているという。
オール英語の講義で、8割くらいしか聞き取れなかったのだが(ウソです、ほんとは半分くらいしかわかりませんでした)、そのなかで、中国人が発見した薬がマラリア治療のブレークスルーとなり、2001年から2015年までの間に、680万人の命が救われた、という話があった。
帰宅後に調べると、その中国人というのは、2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した屠呦呦(Tu Youyou)だった。
こういうとき、無知というのは楽しいもので、夜中に一人で、「へえ!」と声をあげて、感慨にふけってしまった。
私はそれまで、屠呦呦が、自然科学分野における新中国初のノーベル受賞者で、しかもほぼ無名だった人物、ということくらいしか知らなかった。
マラリア薬で受賞というニュースは見ていたと思うのだが、いままで、マラリアの脅威を感じることもなくのうのうと生きてきて、それがどれほど重大な発見だったかということを実感することも全くなかった。
でも、その講義で、脳症や重度の貧血など、感染後の重篤な合併症を発症した子どもの写真を見て、現地のリアルな話を聞き、マラリアの深刻さを知り、それが屠呦呦のノーベル賞受賞と結びついたとき、なんだかしみじみとしてしまった。
屠呦呦の研究は文革時代に始まったもので、長らく日の目をみることもなかったそうだ。屠自身、もともと、今をときめく&潤沢な研究費を提供される中国科学院の会員ですらなく、留学経験があるわけでもなく、ただ、地道に研究を続けてきた一人の研究者であったという。(ちょっと違うけど、無名の地道な研究は、mRNAワクチンで一躍脚光をあびたカタリン・カリコのワクチン開発秘話を彷彿とさせる……)
世界は個人の力であふれている、と、改めて思う。
人の命を救うような世紀の大発見でなくても、本当に身近なところにたくさん、人の力みたいなものがあふれている。
そしてそうした個人から、中国を見たとき、見える景色が違ってくるということを考える。
最近、『私たちはこうしてゼロから挑戦した 在日中国人14人の成功物語』という本をいただいた。
これは、日本とゆかりのある中国出身の、世間ではあまり知られていないかもしれないけれど実は「すごい」、熱く魂を燃やす人たちの物語である。
あるいは、北京の木木美術館で開催されている坂本龍一展。
少し前の「PEN」(5/1・15号)の第二特集で、北京在住の大先輩が本展を取材し、すてきな紹介をしていた。
木木美術館は、コレクターの林瀚(リン・ハン)とインフルエンサーの晩晩(ワンワン)の若いカップルがたちあげた新進気鋭の美術館で、世界的にも注目されていると思う。(そういえば、あつ森にも登場していた)。
コロナがなければ絶対行きたかったのだが、それはこの展覧会が、ただリッチになった中国の、リッチな美術館が、世界をあっと言わせるイベントを開催したとか、そういう次元の話では全然なく(そういう次元だったら、そもそも実現はしなかっただろう)、企画にかかわった日中双方のスタッフやアーティストたちの高度なコラボレーションがあってこそ生み出された、他では見ることのできない貴重な展覧会だと思ったからだ。
だから、今こそ、個人の力を!とか、そんなたいそうな話ではない。
ただ、さまざまな分断や弾圧のニュースが流れる日々において、政治や権力などといったものとは次元の違うところで、個々の力があふれ、この世界を構成しているということは、一つの希望だと思う。
そして、日本の個人も中国の個人もフラットに交わり、すばらしいものや新しいものを生み出して、世界や私たちが、それをフラットに享受することができるということに、何か明かりがポッとともるような気がするのである。
]]>あまりにおいしくて、お礼に鼎泰豊の香辣醤をお土産に持参したら、喜んでくださって、今度は「バオズ(肉まん的に身の入っている主食)をたくさんつくったから」と、お裾分けをいただいた。
これまたとてもおいしくて、お礼に晩白柚を持っていたら、おばさんは一瞬、戸惑ったような表情になった。
私はたぶん、過分にお礼をしてしまったのだと思う。
それでふと、10年くらい前の出来事を思い出した。
チベットエリアで、チベット人の集まる学会に参加したときのこと。
この学会は、「考察ツアー」という名目の、なかば観光ツアーがセットになっていて、日本からも、日本人のおばさまが数人参加していた。
ツアーの途中で、チベット人に、私とおばさまグループが、ちょっとしたお茶か何かをごちそうになることがあった。
おばさまたちは、チベット人のお兄さんからごちそうになることを遠慮していたのだが、チベット人的にはホームグランドで、外国のお客様にお金を出させるのはメンツが立たない。
ということで、少々、すったもんだした結果、結局、おばさまたちはごちそうになったように見えた。
でも、おばさまたちが部屋に戻ったあと、テーブルに、こっそりお金がおかれているのをチベット人のお兄さんが見つけた。それはおばさまたちの「奥ゆかしいふるまい」だった。
お兄さんは眉をひそめ、とても傷ついたようだった。
「こういうのは本当に嫌だ」と、そんな話をしていた。
おばさまたちには、まったく悪気はなかったと思う。
ただ、日本にいるときと同じようにふるまっただけだろう。
でもそれが、人を傷つけることがあるということを目の当たりにして、以来、中国ではなるべく遠慮せず、好意はストレートに受けるようにしていた。
特に私が住んでいた北京は、好意をど〜んと受け止めることで、人間関係をうまく構築できるようなところがあると思う。
中国人同士では持ちつ持たれつ的な感じだと思うのだが、私は外国人ということもあって、相手を頼りにしてお願いするくらいするくらいのほうがうまくいったような気がする。
いずれにしても、生活をしていくうえで、いろいろな人に助けてもらわざるをえない。
もともと、人から助けてもらうのも、人の好意を受け取るのも苦手な私には、ちょっとした苦行だったが、今、考えれば、それがよい交流にもなっていた。
ところが、である。
日本に戻ってきて数年、さらにコロナ禍で、人とのリアルな交流がめっきり減った。
仕事は普通にしているし、オンラインで会議に出たり、セミナーを受けたりしているし、たまには友達と立ち話もするけれど、そのくらいである。
そういえば、同じフロアの猫友さんご夫婦に、重くて一人では外せないロールスクリーンの修理を手伝ってもらう話をしていたのだが、感染拡大してからはお願いしづらく、スクリーンは紐が切れて傾いたままになっている。
そうして、私の「人から好意を受ける能力」もすっかり退化してしまった。
お礼の匙加減もおかしくて、うっかり倍返しで打ち返してしまう。
コロナで出歩けなくなっても、もともと一人で平気だし、と思っていたが、意外にもそうではなかったことを知る。
マントウとバオズのおばさんには、「あんまりおいしかったので作り方教えて」とチャットしてみた。
するとすぐに作り方が送られてきた。
さっそく作ってみたものの、粉を発酵させるのもこねるのもはじめてで、おばさんのようにうまく作れない。
「今度、習いにいっていいですか」と聞くと、「一度やったら簡単だから、おいで」とのこと。
コロナが落ち着いたら、作り方を習いに、おばさんちまで遊びに行こうと思う。
コロナ禍で、当たり前のものが当たり前でなかったことに気づくことは多いけれど、人とリアルで交流しないことの「弊害」を、こんなところで実感する次第である。
]]>これまで使っていたのは台湾スマホのZenFone3。
新しいものは中国スマホのOPPO Reno3 A。
ZenFone3を買ったのはたしか2年ほど前だったと思う。
まだまだ現役で使えるし、当面しつこく使うつもりだった。
そもそも、ZenFone3にしたのは、デュアルSIM仕様で、中国の通信バンドをカバーしていて、日本でも中国でもSIMの切り替えなしで使えるためである。
そんなスマホは、日本ではとても少ない。どうせ通話とSNSと電子決済にしか使っていないので、壊れるか充電できなくなるまで使い倒そうと思っていた。
ところが、である。
楽天モバイルが新料金プラン「Rakuten UN-LIMIT」を打ち出し、楽天キャリアの私は、キャンペーン内容にほだされた。
そして、プラン変更しようとしたら、ZenFone3は新プランに必須の楽天回線に対応していなかったのである。
結局、「Rakuten UN-LIMIT」のキャンペーン対象で、中国でも(たぶん)使えるデュアルSIMスマホがOPPOだった。
2年ほど前、楽天モバイルでさかんにキャンペーンしていたZenFoneもHuaweiも今は鳴りを潜め、OPPOが台頭しているところに、隔世の感を禁じ得ない。
さらに、新しいスマホは顔認証機能やおサイフケータイや防水機能までついていて3万円台(キャンペーンを使えば実質14800円!ただし、楽天ポイントで還元!)。
おまけに写真がすごくきれい。
いままでこういう機能は高いスマホにしかないと思っていた。
スマホを顔の前にもっていくとロックが解除されることに「おお!」となり、店でピッとやるだけで買い物できることに「おお!」となり、Pontaポイントのアプリが一瞬でたちあがることにも地味に感動する。
(ZenFone3ではポイントアプリが立ち上がるまでに6〜7秒くらいかかっていたので、自宅隣のローソンのレジで、いつも店員さんがイラッとしていた)
スマホというのは、今の社会で起きているIT技術の進化(変化?)の一端を、半径数メートルくらいの生活範囲で、最も凝縮して継続的に体感するアイテムではないか、ということを、いまさらながら感じる。
ひと昔前は、パソコンが「最先端社会」に触れるアイテムだったと思う。
でもいまやパソコンの機能自体は固定化し、スマホが、おそらく世界中の誰もが持ちうるもので、かつ、我々の生活を変えるものとなり、加えてそのスマホを持つ人々が暮らす社会を投影しうるものとなった。
今、私の手元には、10年ほど前に、中国で買ったiphone4がある。
初めて買ったスマホで、今でも現役で使える。
私がiphoneを買ったのはこの1回限りだけれど、これを見るだけでも、初期のiphoneがどれだけ革新的だったかということが伝わってくる気がする。
ボタンで操作するガラケー全盛期だった時代に、タッチパネルで操作でき、高性能カメラを搭載し、手のひらに収まるくらいのフォルムは、今でもとてもおしゃれできれい。
でも、あれからほんの10年で、スマホ業界はすっかり様がわりした。それはそのまま世界の構図の変化でもあったように思う。
そして、スマホは毎年、どんどん新しい機種が出て、アプリも年々重くなるので、格安スマホは2、3年で買い替えないと、現行のサービスにスマホのスペックが追い付かないほどになった。
格安といってもけして使い捨てできる金額ではなく、しかも個人情報の塊のようなスマホを、3年くらいで買い替えないといけないような社会が、果たしてよいかどうかわからない。
今回、私が買ったOPPO Reno3 Aはミドルレンジで、当然、5Gにも対応していない。
これでもし、5Gがまもなく本格的に日本人の生活を変えるようになったら、また、買い替えることになるのだろうか。
その前に、中国ではあっという間に5Gが進み、4GのSIMが使えなくなる日も来るかもしれない。そうしたら、中国と日本で使える4Gスマホを選んだ意味もなくなるだろう。
もういっそ、スマホ代は、今の社会で起きているIT技術の変革を、半径数メートルの生活で感じるための「授業料」と思えばいいのだろうかと思いつつ、そうしたデジタルの便利を得るために、スマホの移行ツールではできないアプリの個別設定を、アナログで夜中までかかってやりながら、やはり今のIT社会の「理不尽」を体感するのである。
]]>青銅器や仏像のミニチュアが石膏?で固められていて、それを付属の発掘キットで掘っていくと、お宝が出てくるというものである。
日本でもGEOWORLDの恐竜発掘シリーズなどいくつか似たような商品が販売されている。
ただ、日本のそれは完全に子供向け、対して「考古盲盒」は若者を中心とした青年〜大人向けで、パッケージもオシャレで知的なお土産といった面持ちである。
昨今、中国ではこうした「文創(文化創意)産品」すなわち「カルチャー×クリエイション×プロダクト」がホットだそうだ。
振り返れば、ここ数年、敦煌研究院や清華大学の方からいただくお土産が、えらくオシャレだったことを思い出す。
私が北京に留学した2003年ごろ、中国の方からいただくお土産は、なんというか、ちょっと置き場所や使い道に困るものが多かった。
私も帰国のたびに、お土産選びが悩ましかった。
その後、2008年の北京五輪くらいを境に、少しずつ、歴史や文革モチーフのオシャレグッズが出始めた。でも北京では、その割合はまだまだ低く、帰国前にお土産になりそうなものを掘り出すのが楽しみな時代だった。
それがこの数年で、著しく進化したように思う。おそらく今、北京に行っても、お土産には困らない気がする。
博物館グッズのオシャレ化ブームの背景には、「国家宝蔵(ナショナルトレジャー)」のような国宝ドキュメンタリー番組のヒット、さらに2018年から放映されている「上新了、故宮」というテレビシリーズの影響もあるようだ。
「上新了、故宮」は、歴史バラエティとでもいうべき番組で、故宮博物院のオリジナルグッズデザイン事務所「故宮文創」のデザイナー役の二人が主人公という設定。
毎回、故宮に関するお題が出され、その解答をもとめて専門家(本物)とともに故宮をめぐり、そこからインスピレーションを得て商品を開発するというちょっと変わった番組である。
そしてこの故宮グッズが、えらくおしゃれなのである。
たとえばこんな感じ↓
https://palacemuseum.world.tmall.com/
こうした文化的デザインの著しい進化から、ただリッチになり、経済大国になり、科学技術大国になり、世界に君臨せんとするだけではない、中国の変化を感じるのである。
“考古盲盒”爆红:文物“出圈”,文化“入圈”
http://epaper.bjnews.com.cn/html/2020-12/10/content_794389.htm?div=-1
テレビ番組『上新了・故宮』放送開始
http://japanese.cri.cn/20181112/df25c62a-eb95-6723-2f04-195930ec8c5c.html
]]>
以下、ネタバレ含むのだが、話は、アメリカで暮らす40代初め(だったか?)の中国人夫婦のもとに、一本の電話がかかってくるところから始まる。
それは、夫の母親が急死したという知らせの電話で、夫は急遽帰国する。
彼の故郷である蘇州の空港で彼を出迎えたのは、姚晨扮する彼の妹、蘇明玉、本編の主人公である。
30代にして、蘇州の大企業で会長の片腕を務めるほどに成功した蘇明玉は、しかし兄二人を偏愛する母と、その母に尻に敷かれ何事も事なかれ主義な父親のもとで育った。
彼女が空港で出迎えた一番上の兄との仲は悪くなかったが、大学進学でアメリカに留学し、彼女が高校のときに家を離れた。
二番目の兄とは小さいころから犬猿の仲で、けんかが絶えず、そのけんかがきっかけで彼女は家出し、自殺を考えたこともあった。
母は、留学する長男の学費のため、また、結婚する次男の新居購入のため、住んでいた長屋の一部を、その都度切り売りして資金を工面したが、成績優秀だった彼女が清華大学に進学したいといったときは、お金がないからと、地元の師範大学に行くか就職することを強要した。
父親は、彼女が助けを求めても、ただ、彼女に背を向けるだけだった。(倪大紅が演じるこの父親のダメっぷりがまたすばらしいのである)
彼女は泣いて抗議をしたが聞き入れられず、結局、彼女は母親の決めた大学に進学すると同時に家を出て、その後、母親との大喧嘩をきっかけに、完全に実家との関係をたち、実力だけで現在の地位を手に入れた。
そして、その母が脳溢血で倒れ、病院に運ばれたものの、そのまま亡くなった。
一人になった父親は、自分の妻が倒れた家に帰りたくないと言って、次男夫婦のマンションに身を寄せる。
でも、次男は母親に甘やかされて育ったマザコンで、なにかにつけて実家からお金をもらっていた典型的なすねかじり族。
その次男の奥さんは一人っ子でいわゆるいまどきの現代っ子。二人とも仕事が忙しく、帰宅はいつも遅く、食事は外食かテイクアウト。
そんな若い二人に老人(といってもまだ60代)の父親を世話する甲斐性はなく、父親は内心不満がいっぱいだった。
そんな折、長男が母の葬儀のために帰国した。
すっかり意気消沈している父親を見て、長男は自分が父親をアメリカに呼び寄せて面倒を見ると宣言。
すると、いまにも死にそうに嘆き悲しんでいた父親は、けろっと起き上がり、大喜びをして、すっかり元気になる。
そして長男がアメリカに戻ったあと、父親は昔の職場の同僚たちを招いて大宴会を開き、長男がアメリカに招いてくれたことを自慢し、かつて自分を馬鹿にしていた同僚たちに一矢を報いる。
ところが、アメリカに戻った長男は、今回の急な一時帰国がきっかけで、リストラされ、無職になってしまう。新しい仕事を探そうにも、彼の年齢で、しかも競争の激しいアメリカ社会で、望む仕事は簡単には見つからない。
しかも、父親や弟たちに無職になったことを言えず、それどころか、自分の妻に、父親を引き取ると言ってしまったことも言い出せずにいた。
そうこうするうち、父親のアメリカ滞在ビザが下りてしまう。
父親がアメリカに来るという直前で、そのことを知った彼の妻は「そんな大事なことを黙って進めていたの!」と大激怒。
それに対し、「自分は長男なのだから、父親に対して責任がある。その責任を果たすことのどこが悪いんだ!」と逆切れし、妻に「なぜ、自分のできる範囲でできることをしないの! 自分の家族や娘の将来をどう考えているの!」と言われても、「長男としてやるべきことをやることのどこが間違っているんだ!」と言い張り、泥沼に突入していく。
という感じで、次々ににっちもさっちもいかない問題が起こるのだが、その問題を毎回、陰ながらサポートし、解決への道筋をつけていくのが主人公の蘇明玉だ。
このドラマが中国で大人気をはくした理由の一つは、今の中国で誰にも起こりうる「伝統的問題」をどう解決するか、みんな答えを模索しているからだと、北京の新聞「新京報」が分析していた。
実際、蘇明玉の手腕は実にあっぱれで、「なるほどそう来たか!」と、毎回、スカッとする。
でもその一方で、彼女の中にはいつも、家族の中で感じていた深い孤独があり、それが美しい蘇州の風景や情緒あふれる古い家屋、あるいはゴージャスな屋敷などの光景を通じて、ひしひしと伝わってきて、見ているこちらの気持ちまでヒリヒリする。(ドラマに出てくるお金持ちの屋敷がこれまたすごい)
そして最後に(これもネタバレなのだが)、アルツハイマー型認知症を発症した父親の面倒を見るため、彼女は、仕事を辞め、社長の座も捨てる。
そこに至るまでに犬猿の仲だった二番目の兄との和解があったり、またラストシーンでは認知症の父親が彼女のため一生懸命参考書を買おうとしてくれたり、厳しかった母親に優しくしてもらった記憶がよみがえったりして、彼女が涙するシーンもあり、なんとなく、ハッピーエンドのような面持ちである。
でも、すばらしいなと思ったのは、最終回の放映後、主人公の蘇明玉を演じた姚晨が、中国版twitter「ウェイボー」でつぶやいていたコメント。
――多くの人がこのドラマはハッピーエンドだと思っていますが、私の解釈では、それはただの悲しい現実です。(父親の)蘇大強は記憶を失ったあと父親の愛を取り戻し、(娘の)明玉は最後に愛を解き放ちました。でももはや二度と父がそれに応えることはありません。実生活でもそうであるように、私たちはしばしば愛や和解といったものの傍らを通り過ぎ、それらを実際に手にできることはめったにありません。運命の無力さを前に、ただ私たちは笑ってこう言うだけです、「すべてうまくいっています(都挺好All IS WELL)」と。
さらに「せめて慰めとなるのは、この話は終結したものの、まだ次があることです」と書かれていて、続編も作られているようだ。
放映から約2年一筋縄ではいかないドラマのその後を、心しておこうと思う。
《都挺好》凭何带火“原生家庭”剧?
https://news.bjd.com.cn/culture/2021/01/23/44748t161.html
姚晨亲自解读《都挺好》大结局:并不是大团圆
https://baijiahao.baidu.com/s?id=1629046663304389510&wfr=spider&for=pc
]]>とりわけ、河北省石家庄で数百人の陽性が確認されてから、全市をあげたPCR検査の現地報道などは、さながら激戦地の最前線を報じるがごとくで、医療関係者から市民ボランティアまで、24時間不眠不休の徹底抗戦ぶりを伝えている。
気温零下のなか、簡易テントでPCR検査を行う医療従事者は、何時間もぶっつづけで立ち続け、しまいには地べたに座り込むものがいたり、あるいは抗菌手袋をしただけの手が寒さで腫れ上がるものがいたりという過酷さで、親が亡くなっても帰れず家の方向に頭を下げるスタッフの姿も報じられた。
そして3日で1300万人の採取を完了したという。
「ともに困難に立ち向かい、乗り越える」「どれだけ困難でも誰も退くものはいない」「時間との闘い」といった中国語が繰り返されるので、聞いているこちらもそらんじられるようになるほどである。
先日はまた、石家庄の郊外の何もない茶色い大地(もとは農地?)に、隔離拠点の建設が始まったという。
しかもこれは患者用ではなく、濃厚接触者および濃厚接触者の接触者の隔離用ワンルーム仮設住宅で、1月13日に工事が始まり20日には、第一期606棟が完成、第二期もすでに内装の段階とのこと。ちなみに、家具、エアコン、テレビ、WIFI付きだそうだ。
工事を請け負うのは中央政府管轄の中央企業および傘下企業で、全国各地から人を集め、最初の目標は仮設住宅3000棟、でもそれでは足りず4000棟(!)を作るという。
時間との闘いで、人手も足りず、現地では三日三晩不眠不休の作業が続いている、という話だが、取材中、「全然寝てないんですよね」と記者に話を向けられた作業員のおじさんが、ちょっと言葉に詰まって「ええ、休んでいません。残業が続いていますね」と答えていたので、不眠、というわけではないかもしれない。
それにしても、茶色の大地にあっという間にプレハブの仮設住宅が並ぶところはまさに圧巻。
番組中では、いかにみなが疲労困憊のなか一致団結して戦い抜いているかということが、格調高く報じられている。
そのラストを締めくくるのは、この仕事中に子供が生まれたという現場責任者の一人。
子供は早産で、まだ保育器の中だそうだ。
「今が一番苦しいときですね、今の一番の願いはなんですか?」とカメラを向けられた現場責任者が、「はやくここの工事が完成して、妻と子供に会えることですね」と答えたところで、カメラはスタジオに戻り、キャスターの締めの言葉。
「ウイルスは私たちを物理的に隔てます。しかし、私たちの心に隔たりはありません。命を至上のものとし、国をあげて心を一つにし、(中略)全国の人民の心は、感染地域の人々とともにあります」
なんかもう中国すごいの一言につきるのだが、個人を犠牲にして人民(という名のもとの国)に尽くす人々は英雄で、そうした個々人の犠牲と惜しみない貢献のもと、国民が一致団結して国難に立ち向かうという構図に、少しばかり複雑な気持ちになる。
《焦点访谈》 20210122 石家庄:抢建隔离点
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「ベルサイユ文学」とは、すなわち、つつましやかに、豪華絢爛ぶりを自慢すること。
よく紹介されている例が、「だんながランボルギーニをプレゼントしてくれたんだけれど、あのピンクはださいわよね、うちのだんなってセンスないのよ」というもの。
由来は、「ベルサイユのばら」だそうなので、日本語的には「ベルばら文学」と訳したいところだが、それでは池田理代子先生に大変申し訳ないので、ここでは「ベルサイユ文学」と直訳する。
中国のツイッター兼フェイスブック的微信のモーメンツで、人々が必要以上にゴージャスなリア充をさらし、プチ自慢をするようになってもう10年近くになるだろうか。
日本のフェイスブックなどでも、ときどき謙遜しつつ自慢している人はいるけれど、中国のほうは桁とスケールが違うと思う。
この「ベルサイユ文学」、もともとは「小奶球(ミルクボール)」というウェイボーユーザーの発案で、彼女(彼)がネット仲間と、微信のうざいプチ自慢を「ベルサイユ文学」と称して楽しんでいたところから、火がついたそうだ。
それにしても中国人のこの手のネーミングセンスと、おちょくりテクニックと、ネガティブなものをポジティブなものに変える転換パワーはあっぱれだと思う。
このちょっとしたネーミングで、おそらく少なからずの人が眉をひそめていた、あるいはもやっとしていたものが、みんなで大いにもりあがるエンタメに変容するのである。
そういえば、胡錦涛政権時代、「和諧社会(調和のとれた社会)」という名の統制が打ち出されると、「和諧」と同じ読み方の「河蟹」という言葉が、たちまちネットで一世を風靡し、「あいつは河蟹された」などいう用法で、大いに活用され、もりあがった。
今は、政治的な敏感語は、完全に許容されなくなってしまったが、それでも「ベルサイユ文学」のような、たわいものない、けれど本質的なところで本領が発揮される。
実はこのポジティブ転換パワーについて、個人的にとても思うことがある。
少し話が飛ぶのだが、自分が乳がんになったとき以来ずっと読んでいる、日本人の乳がん患者さんのブログがある。
おそらく年齢は私よりちょっと上くらいだと思う。
もと看護師さんで、看護学校の先生をしていた。大学生と高校生の娘さん二人と旦那さんとの四人暮らし。
彼女は乳がんが全身に転移するなか、その時々のさまざまな治療について、看護婦さんの目線からとてもわかりやすく、副作用やその対応についても明るく前向きに書いていた。
ここまで転移してもこれだけ治療法があり、彼女が元気でいられるということは、転移性乳がんの患者さんたちにとってはとても大きな励みになっていたと思う。
彼女は、本当に自然体にポジティブな人で、全身への転移がわかったとき、たしか看護学校の先輩だったかに、「あら、それは大変、終活しなくっちゃ」と言われて、思わず吹き出してしまったというエピソードを紹介していた。
だんなさんはおそらく発達障害で、コミュニケーションがとれない、というか、彼女が本当に具合悪くご飯も食べられずにいても、悪気なく、自分のごはんだけ買ってくるような感じの人なのだが、彼女はそれを「宇宙人パパ」と称し、だんなさんとの間に娘二人を持てたことを感謝し、娘さんたちを本当に大事にしていた。
あるとき、田舎で一人暮らしをしていただんなさんのお兄さん「あんちゃん」に、末期の大腸がんが見つかった。
そのとき、彼女もすでに全身に転移したがんを治療中だったにもかかわらず、だんなさんが全く何もしない(できない)なか、「あんちゃん」を彼女たちが住む町によび、きちんと治療をうけられるよう、できるだけおだやかに暮らせるようにあれこれと手配した。
この「あんちゃん」がまた偏屈もので、「抗がん剤は悪」ときめつけて、はじめのうちは治療も、病気に向かうことも完全拒否。
彼女や娘さんたちが、「あんちゃん」のためにいろいろ心を砕いても、お礼を言うどころか、難癖付けて文句を言っていた。
でもそのうち「あんちゃん」も偏屈ながらちょっと心を開き、治療にも向き合うようになり、結局、偏屈はかわらないけれど、穏やかに亡くなった。
彼女が語る、彼女の周りの人々は、どんな変人でも、どこかかわいく思えてしまうのは、彼女のポジティブな発想の転換パワーだなとずっと思っていた。
そして、その転換パワーは、絶望的に思えるような状況を変えうる力になるのだ、とも感じていた。
昨年末に体調をくずして入院していて、数日、更新がなかったけれど、またいつもみたいに、「ちょっと今回は大変でした」と復活されるのではないかとどこかで思っていた。
でも、そうではなかった。
2度目の非常事態宣言が発出された日、彼女の娘さんの書き込みで、彼女がなくなったことを知った。
娘さんが最後の更新をしたあと、次々に大量のコメントがよせられていた。
どのコメントも、彼女への暖かい言葉と感謝にあふれていて、これもまた、彼女がブログというインターネットを通じてまいたポジティブ転換パワーの波動のようなものだなと思った。
さて、長くなったが、話を戻すと、中国の人々のポジティブな発想の転換パワーは、これまで長らく大変な時代が続いてきたことと、どこか関係しているかもしれないということをぼんやり思う。
それは、(中国に行けなさすぎて)ちょっと中国の人を美化しているのかもしれないが、その転換パワーは困難ななかを生きる知恵のようなものではないか、とも思うのである。
ひるがえって、日本は、社会としては比較的穏やかで、戦後の高度成長以来、これほど長期にわたり、先の見通しがたたないことも、日常が取り崩されるようなことも、ほとんどなかったのではないだろうか。
そう考えると、逆にこの未曽有の状況のなか、これまで自分が当たり前にしてきたことを少し変えることくらいは、案外、お安い御用だと思えるのではないか、という気もする。
そもそも、自分の行動が、多少なりとも人の命に貢献することなど、この先一生ないかもしれないのだ。
厳しく余裕のない状況で、ポジティブな発想を持つというのは難しい。
ただ、もしそれだけの力を持つことができたなら、何か新しいものを生む原動力になるのではないか、ということを考える。
JUGEMテーマ:中国
※「ベルサイユ文学」については、人民網日本語版の解説がわかりやすいです。
http://j.people.com.cn/n3/2020/1112/c206603-9779220.html
※「名づけ親」のインタビュー
凡学创始人小奶球:凡学只是我和网友之间的小娱乐而已
https://new.qq.com/rain/a/20201111A081J300
※ひなこ日記 〜乳がん子ちゃんとの記録〜
https://ameblo.jp/tanpopo-hinako/
心よりご冥福をお祈り申し上げます
]]>それは、すべてが「ワリカン」の結婚生活に嫌気がさし、なけなしのお金で買ったマイカーで、放浪の旅に出た56歳の女性の話だ。
中国の動画サイトにアップされた彼女の独白に、百万を超す「いいね」がついたという。
その独白は、出発初日に、車の中で自撮りされたもので、淡々とそこにいたるまでの経緯が語られている。
話の内容はこうだ。
結婚以来、夫婦共稼ぎにもかかわらず、家事から育児、さらには夫の世話まで、彼女が一人でやってきた。
あげくに、夫はすべて「ワリカン」の人で、彼女にプレゼントを贈ったことが一度もないどころか、例えばたまたま一度だけ、夫のETCカードで高速にのったら、その料金まで請求されたこともあったという。
何度も離婚を考えたが、そのたびに子供が成人するまで、結婚するまで、孫が生まれるまでとずるずる我慢し続け、孫が生まれたら今度は孫の世話で忙しくなり、結局、この年になるまで自分のことは何もできずにきてしまった。
孫が小学校にあがり、夫婦二人の生活に戻ったとき、何も変わらない夫にとことん愛想をつかし、娘が出してくれた2万元に自分の貯金を合わせて自分の車を購入、旅に出ることにしたそうだ。
そして「みなさん、私は南へ向かいます」と、女性はカメラに語りかける。
毎月多少の年金が入るので、生活費はそれでなんとか賄いながら、雲南など南方をまわっているという。
今後どうするという計画は特になく、ただ、夫に対する恨み辛みが、「同情」にかわったら家に戻ろうかと思うと、そんな話。
彼女に対する賞賛や、彼女から勇気をもらったという女性たちの声を目にすると、今の中国で、同じような境遇の人はけして少なくないのだと思う。
と同時に、女性が人生をやりなおしたいと考えたとき、それができるというのは、ある種の豊かさなのかなとも思う。
食べていくのもままならないような状況のとき、何かにチャレンジするというのは、なかなか難しいだろう。
でも一方で、豊かさが当たり前になり、勝ち組負け組といった成功のカタチがパターン化すると、先が見えない状態で、チャレンジしたり、逸脱したり、あるいはそのために失敗したりする自由を得にくくなるようなところがあるとも感じる。
そして今、社会が大きな困難と転換の過程にあるなか、チャレンジしたり、逸脱したりできるだけの豊かさと自由があることの大切さについて、改めて考える。
结婚几十年都是AA制,忍了半辈子!56岁阿姨“抛夫”自驾游获赞百万
https://3w.huanqiu.com/a/84a414/40nBIcLDPOd?agt=20&tt_group_id=6897533946704167431
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今年も一年間、ゆるゆる更新のブログにお付き合いいただき、ありがとうございました!
来年も引き続き楽しんでいただけましたらうれしいです。
2021年もどうぞよろしくお願い申し上げます!
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]]>JUGEMテーマ:中国
中国でおそらくこの10年以上ずっと目にし続けている、でも日本ではあまり目にすることのない単語がある。それが「規範化」だ。
直訳すると、文字通り規範化あるいは標準化、正規化、もしくはルール化といった日本語になると思うのだが、いつもぴったりの訳を見つけられない。
たとえば、自動車学校ができ始めたばかりの10年ほど前は、管理が「規範化」されておらず、教官に袖の下を渡すことが当たり前だったが、近年は料金体系も透明になり、デジタル管理により「規範化」が進んだ、というような話で使われる。
ちなみに「規範化」されて万事解決か、というとそういうわけでもないようで、最近は、規範化された管理のもと、「保過費(テスト通過保障費)」という名目で授業料以上の費用が徴収する自動車学校が「不法である!」と問題になっていた。
また、いまどきだなと思うのが、ライブ配信の投げ銭(打賞)の「規範化」問題。
昨今、中国ではライブ配信が盛んで、アプリの投げ銭機能を利用した「激情型」「高額」「未成年」の投げ銭が問題になっているそうだ。
9歳の女の子が9万元!(1元=約16円)の投げ銭をしたという話から、国営企業の職員が太っ腹なところをみせたくて、最初は銀行でお金をかりていたが、しまいに会社のお金に手をつけて785万元!!もの大金を使い込んだという話まであり、近々、ライブ配信の投げ銭について指導規範を打ち出すという。
一方、「規範化」なきところに商機あり、という話もある。
その一つが、新車の販売からアフターサービスまで請け負う4S店。
中国には各自動車メーカーと契約したブランド専用の4S店があり、新車の販売から購入後のメンテナンスまで一手に請け負うのだが、近年、この4S店のアフターサービスは高いうえに、料金体系も不明瞭で、さらにはきちんとメンテナンスされているかもわからない、ということで物議をかもしていた。
そこに、参入したのがアフターサービスを請け負うネット企業。かつてネットのアフターサービスなど恐ろしくて使えなかったが、今はネットのほうが明瞭会計で圧倒的に安く、サービスもよいという。
そして口コミのよいところに客が集まる、ということで、4S店の客が、ネットのアフターサービス企業に流れているそうだ。
日本はマーケットが生まれるとき、まずニーズがあるとルールができ、そのルールにのっとって発展するようなところがあると思うのだが、中国ではまずニーズがあると、それを商売にする人たちがどんどん湧いて出て、いろいろ入り乱れて、「規範化」が行われる傾向がある。
例えば、この2年ほど、「縄跳び教室」が流行っているという。小学校にあがると体育の授業で縄跳びがあり、1分間で何回飛ばないといけないなどというルールのある学校があるそうだ。
それで縄跳びスキル?を高めるための「縄跳び教室」が出現し、授業料もどんどんはねあがり、12回で4000元とか1年間で2万元などと高騰していることが報じられていた。
「規範化」で、中国のネットを検索すると、そのとき話題になっていることがあれこれ出てくる。
そしてそういう報道を見ていると、中国の規範化ニュースは、今、かの国で起きている変化を映す鏡のようなものだなと思うのである。
驾校收“保过费”,等于在考场“闯红灯”
https://comment.bjd.com.cn/2020/10/29/12594t112.html
打赏不能打出事儿来,直播打赏热应该降降温了
https://comment.bjd.com.cn/2020/10/30/12773t112.html
不想去4S店“挨宰”,又怕路边店“挖坑”,老司机修车养车投奔互联网
https://deep.bjd.com.cn/2020/10/30/12771t115.html
学个跳绳花三四千,有这个必要吗?
]]>中国のネットをつらつらみていたら、その中国版的なサイトがあった。
題して「ルームメイトからもらった『絶交みやげ(絶交特産)』」。
https://m.gmw.cn/toutiao/2020-11/20/content_1301818864.htm?tt_group_id=6896983732486406664
中国の大学は基本全寮制で、ルームメイトと寝食を共にする。
出身地は北から南までみなそれぞれ。そんなルームメイトからもらった、「感動のあまり涙する」地元の特産品の話である。
その一、福建の土筍凍。
ウィキペディアによれば、「中国福建省の泉州市、アモイ市近郊の郷土料理で、星口動物のサメハダホシムシ類を煮こごりにした料理」らしい。
その二、広東・潮汕の血蚶。ハイガイというものではないかと思うが、血がしたっている。
その三、山東の金蝉。見た目通り蝉。そういえば、探偵ナイトスクープで中国人が蝉を食べるという話を放送していたけれど、中国的にも蝉は「いやげ物」であるらしい。
なお、「絶交みやげ(絶交特産)」は、中国版ウィキペディア「百度百科」にも登録されている。以前行われたネット投票によると、三大絶交みやげは鶏仔胎(卵の中に孵化する前のヒナが入っているやつ)、老鼠干(老鼠=ねずみ、干=ひもの、文字通り!そのまんま!)と、上述の血蚶であるという。
鶏仔胎も老鼠干も、福建がルーツのようなので、南方はゲテモノ系?が多いのかも、と思っていたら、北京の「豆汁」もランクインしていた。
豆汁は、緑豆の発酵ドリンクで、中国臭いもの系の一つ。
臭いといっても、もっと臭いものは他にもあるし、見た目にインパクトがあるわけでもないし(ちょっとドブか下水っぽいけれど)、そもそもおいしくて栄養満点、と思ったのだが、思えば、他の「絶交みやげ」も地元の人にとっては、栄養満点のおいしいものなのだろう。
それにしても、この手の話でもりあがるのは、日本も中国も同じだなと思うのである。
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