数学を知らないと困るということは全くなく、ただ、修論で統計を使うのに、数式も記号も模様にしか見えないので、とりあえず、数?と数?の教科書を買ってみた。
たぶんおそらく、高校のときに習ったはずだが、本当に何一つ覚えていない。
ある日、ページをめくると、|x|みたいな記号があった。
xが囲まれちゃって、なんかかわいいと思ったら、これは、絶対値だという。そして、絶対値とは0からの距離を表す値のようである。
へえ、そんな概念があるのかと思い、|x|を含む数式を真夜中に解きながら、知らないというのは幸せだなと、改めて感じた。
こんなことを書くと、共通テストをひかえた高校生たちに喧嘩を売っているようで申し訳ないのだが、この年になって、なんのプレッシャーも必要性もなく、既存の知識やこれまでの「知った」ことでは全く手も足もでない未知の異世界を楽しめるというのは、本当に幸福なことだと思う。
私たちは、生きていく上で、どちらかというと、「知っている」ことが必要とされる。
特に大人といわれるようになって、知らないことが多いと、「そんなことも知らないの?!」と言われる。
絶対値も本当は、「そのくらい知っていないと恥ずかしい」類のものかもしれない。
だから私たちは知ることにはおそらく積極的であり、そういう積極さはポジティブな価値観として捉えられる。
また、世のなかで起きていることについて、ネットには、さまざまな専門家なる人たちの、さまざまな解説があふれていて、たいていのことは知ることができるような気もする。
そうして私たちは、いろいろなことを知るのだが、でも、その「知ること」を選択しているのは自分自身なので、結局、多くの場合、自分の知っている範囲の「知らないこと」にとどまる。その外側にある、全く未知なる世界には、なかなか触れる機会がないのではないだろうか。
実は最近始めた日本語会話教室でのボランティアでも、そう思うことがあった。
毎回、他愛のない話を、全くバックグランドの異なる外国籍の人とつらつらしていると、ときどき、「そういう見方があったか!」と目からうろこの話を聞くことがある。
そうしたとき、私の身の回りには、知っているつもりで、見えていないことが、実はとても多いということに気づかされる。
いろいろなことを「知っている」ことは大切だ。でもそれ以上に、私たちはもっと、「知らないこと」を大切にしてもよいのかもしれない。
ということで、自分にとって未知の世界である数学の問題を、毎日、ちょっとずつ解いているのだが、あまりにもわからなすぎて、数?にたどり着くまでに、あと5年くらいかかりそうである。
]]> そんなことを中華圏の方から聞かれ、はたと考えてしまった。「なんで」はフランクな場面で使う言葉かなというくらいは思いつくが、「なぜ」と「どうして」の違いはさっぱりわからない。
ネットで調べると、同様に疑問に思った人は少なからずいるようで、いくつか解説サイトがヒットした。それによると、「なぜ」は単純に理由を聞き、「どうして」には感情が含まれる、という。
中国語(普通語)の場合、「なんで」「どうして」に相当しそうな言葉に、「怎么(zen me)」という表現がある。これは「なんで行かないんだよ!」「どうしてそれ知っているの?!」というような場面で使われ、若干、感情がこもっていそうなイメージがある。
しかし、いわゆる「なぜ」に相当する「为什么(wei shen me)」「为何(wei he)」は、基本的には「なんのため」という目的をたずねる場合に使うし、日本語の「どうして」に相当する「如何(ru he)」は、経緯や状況をたずねる言葉で、単語自体として、感情がこもっている印象はあまりない。
一方、日本語には他にも「なにゆえ」「なぜに」などという言葉もあり、最近はあまり使われなくなったとはいえ、たまに冗談ぽく古めかしていうときに使用されたりする。
世界の「なぜ」事情はわからないが、少なくとも英語のwhyなどと比較すると、もしかしたら、日本語の「なぜ」表現は、なかなか「豊か」かもしれない。
では、日本語には、なぜ(どうして、なんで、なにゆえ、なぜに)こんなに「なぜ」のバリエーションがあるのだろうか。
それでふと思い出すのは、北京の公共系サービスでよくトラブルになったときのことだ。私が「なんでどうしてこうなるのよ!!」と怒っているのに対し、先方はその説明はすっとばし、あるいはいかに自分は問題なかったのか説明を延々とし続け、「だから、××(解決案)すればいいんだろ!!」とヒートアップするというコミュニケーションの齟齬が、比較的よくおきた。
このときうすうす感じたのは、日本では「なんでよ」の一言に、相手へ叱責と、誠実な説明及び誠心誠意の謝罪の請求などもろもろの感情がまるっとこめられていて、日本であれば、それは暗黙の了解でわりと伝わるのに、北京ではさっぱり伝わらない、ということだ。
ここから先は、何のエビデンスもない個人的仮定にすぎないが、日本で理由を問うとき、我々はそこにさまざまな意味を込める。そして、「なぜ」のバリエーションの豊富さは、日本的なあいまいさと空気を読む社会によって醸造された言語的文化の成れの果て、という側面があるのではないだろうか。
]]>「木のストロー」2月26日(土)15時30分〜16時30分。
主演が堀田真由さんと鈴木保奈美さんという豪華キャストで、社長役には小日向文世さんが友情出演しています。
住宅メーカーの広報の女性が、のちに大阪サミットに採用されることになる木のストローを開発するまでのお話です。
ビジネス本的なマニュアルな話はありませんが、どんづまりのなかで道を切り開いた女性の話には、どんづまりの中にある方にぜひ読んでいただいて、元気のもとにしていただきたいエピソードが満載です。
ドラマは木のストローを世に送り出すところまでですが、実はそこでおしまいではなく、その後もいろいろ紆余曲折あります。それは書籍のほうで読んでいただけるので、ぜひ、書籍もよろしくお願いします。
書籍はこちら。
]]>
退院後、ほどなくして、おばあさんも退院したという連絡をいただき、何度か、ご自宅に遊びに行った。おばあさんは、骨折は治ったものの、歩くことができなくなり、ベッドに寝た切りで、いつも一人で天井を見ていた。ご家族は家にはいたが、私がきたときはなんとなく距離を置かれているような気がした。
そして、おばあさんはだんだん小さくなっていくようでいたたまれず、その後、多忙を理由に行くのをやめてしまった。
そのころ私は、家出同然に実家を出て、四畳半一間の(六畳だったかも?)風呂なし、トイレ共同のアパートで一人暮らしをしていた。その部屋で、畳に大の字に寝そべり、木の板張りの天井を見上げ、孤独というのは、こういう感じだろうかと、おばあさんのことをぼんやり思った。そして、私に何ができるだろうかとも思ったが、答えは見つからなかった。
なぜ、年初にこんなことを書いているかというと、最近、孤独について考えることがあったからだ。さらに年末に、日経新聞で「新型コロナウイルス禍で40、50代を中心とする働き盛りの「孤独感」が、他の世代よりも深刻さを増している」という記事を読んで、ふと、当時のことを思い出した。
これは、東京都健康長寿医療センター研究所が全国15歳から79歳までの男女約3万人を対象に、2020年と2021年の夏に行った調査の結果だという。同研究所のHPには、まだ2021年の調査結果に関する論文は出ていないようで、実際のところはよくわからないが、日経新聞の記事をうのみにすると、「テレワークの拡大などに伴いコミュニケーションの手段が変わるなか、対面中心の意識から脱しきれないことなどが背景とみられる」そうである。
昨今、孤独・孤立対策担当大臣が新設されて、日本の国家として、経済損失が大きいのは、孤独なのか、孤立なのか、その両方なのかよくわからない。
ただ、孤立がある種のシステムや枠組みや集団など外部と切り離された状態であるとするなら、孤独は、個人のメンタルのありようやものごとの捉え方など内的な要素が大きいと思う。また、孤独を感じるポイントも人によって違うだろう。
例えば、元旦に私が感じた孤独は、カーテンを洗い、カーテンレールにとりつけようとしたものの、五十肩が痛くてなかなかとりつけられず、かといって、元旦から同じフロアの猫友さんにヘルプを頼むこともはばかられ、「孤独だわあ」と思ったというもので、これは孤独というより、一人暮らしの不便というべきものかもしれない。
また、中国にいたとき、ときどき聞いた「太孤独了(孤独すぎる……)」というつぶやきは、主に、故郷から遠く離れた、知り合いもほとんどいない北京でやっていかなければならない若者や出稼ぎの人たちの声であることが多かったように思う。
一方、日経新聞で(紋切型に)取り上げられていた日本の40代、50代の孤独感は、社会が大きく変革するなかで、新たなに生じた状況に適応しづらく、これまでの慣れ親しんだ枠組み内に留まろうとしてしまったことによるものであるように感じた。
仮に日本で、このような「孤独」を社会問題とするならば、これだけ従来の枠組みが通用しなくなっている昨今、孤独を感じないようにするより、むしろ、孤独を感じることを前提に、個々人が孤独の取り扱いとサバイバル方法を学ぶほうが、建設的な気がしなくもない。
ただ、そうした孤独のなかにも、根の深い、根源的な孤独もあると思う。
そして、冒頭で書いたような、年を取ったり、あるいはけがや病気で体がままならなくなったとき、場合によっては、もしかしたら、おわりもそう遠くないかもしれないとき、孤独を感じているかもしれない人が比較的身近にいたとしたら、自分に何ができるだろうか。
20代のときとは違って、いまは、「あなたのことを気にかけています」ということをもう少し伝えることはできるかもしれない。でも、他人の人生を背負うことはできないし、それが正しい答えとも思えない。
また、逆に、自分がそのような状況になったとき、自分はどう残りの生を生きるのだろうか。
マニュアルのように、こうしたらいいという答えがあるといいのにと思うけれど、いまだに答えが見つからない。でもそのことを失望ではなく、課題として、ひとまず今の現実を生きることに専念しようと思う。
]]>ある日、ベッドにこめかみをぶつけて悶絶した。
翌日、眉を描こうと思ったら、ぶつけたところが痛すぎて、眉を描けない。
結局、眉なしで出かけて、「なんて、倒霉(ダオメイ)なんだ」と思い、ふと、ひさしぶりに「倒霉」という言葉を使ったことに気づいた。
日本語では「アンラッキー」とか「ついていない」という意味になると思う。霉はカビで、倒は「倒れる」なので、へんな言葉だが、中国版グーグル「百度」によれば、もとは浙江あたりの方言で、「倒楣」と書き、由来は、科挙を受けるとき家の門に旗(楣)を立て、試験に落ちたらそれをおろした(倒)ことによるという。
この倒楣(ダオメイ)が転じて、同じ音の倒霉(ダオメイ)になったということらしい。
それはともかく、日本語では「ラッキー」という言葉はよく言うけれど、「アンラッキー」とか「ついていない」という言葉はあまり使わないような気がする。
では、眉なしで外出しなければいけないようなシーンをなんと表現するかと考えると、「最悪〜」などとなり、アンラッキーどころではなさそうだ。
ひるがえって中国では、「倒霉」という言葉をよく使った。バスに乗り遅れて「倒霉」、バケツをひっくり返して「倒霉」、おなかをこわして「倒霉」、あらゆるシーンに倒霉があった。日本語で「最悪!」と言いそうなところは、たいてい「倒霉」で乗り切った。
そしてもう一つ、「差不多(チャーブドー)」という言葉もよく使った。
これは「だいたい」「まあまあ」という意味で、これまた生活のいたるところに「差不多(チャーブドー)」があった。バスに乗り遅れて間に合ったか聞かれ「差不多」、バケツをひっくりかえした床を拭いてだいたいきれいになったら「差不多」、おなかをこわした翌日、よくなったかと聞かれたら「差不多」。
私がいた北京では、とかく、おじちゃんおばちゃんたちがよく使っていたような印象がある。今思えば、「倒霉」にしろ「差不多」にしろ、それらは、なにかとシビアなことが多かった暮らしの中で生まれた、ある種のゆるさをまとう言葉だったのかもしれない。
]]>専攻は医療通訳だが、目下、生化学とか分子生物学とか解剖学とか臨床医学(の、たぶんきっと入門的なやつ)の講義がめいっぱいで、全然、通訳にたどり着きそうにない。(ブログには、もっとたどり着けなくて、更新が滞っています)
そんななか、先日、国際感染症の授業で、アフリカ出身の専門家によるマラリアの講義があった。日本では遠い世界のマラリアだが、アフリカでは、貧困などの社会事情を背景に、大きな脅威になっているという。
オール英語の講義で、8割くらいしか聞き取れなかったのだが(ウソです、ほんとは半分くらいしかわかりませんでした)、そのなかで、中国人が発見した薬がマラリア治療のブレークスルーとなり、2001年から2015年までの間に、680万人の命が救われた、という話があった。
帰宅後に調べると、その中国人というのは、2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した屠呦呦(Tu Youyou)だった。
こういうとき、無知というのは楽しいもので、夜中に一人で、「へえ!」と声をあげて、感慨にふけってしまった。
私はそれまで、屠呦呦が、自然科学分野における新中国初のノーベル受賞者で、しかもほぼ無名だった人物、ということくらいしか知らなかった。
マラリア薬で受賞というニュースは見ていたと思うのだが、いままで、マラリアの脅威を感じることもなくのうのうと生きてきて、それがどれほど重大な発見だったかということを実感することも全くなかった。
でも、その講義で、脳症や重度の貧血など、感染後の重篤な合併症を発症した子どもの写真を見て、現地のリアルな話を聞き、マラリアの深刻さを知り、それが屠呦呦のノーベル賞受賞と結びついたとき、なんだかしみじみとしてしまった。
屠呦呦の研究は文革時代に始まったもので、長らく日の目をみることもなかったそうだ。屠自身、もともと、今をときめく&潤沢な研究費を提供される中国科学院の会員ですらなく、留学経験があるわけでもなく、ただ、地道に研究を続けてきた一人の研究者であったという。(ちょっと違うけど、無名の地道な研究は、mRNAワクチンで一躍脚光をあびたカタリン・カリコのワクチン開発秘話を彷彿とさせる……)
世界は個人の力であふれている、と、改めて思う。
人の命を救うような世紀の大発見でなくても、本当に身近なところにたくさん、人の力みたいなものがあふれている。
そしてそうした個人から、中国を見たとき、見える景色が違ってくるということを考える。
最近、『私たちはこうしてゼロから挑戦した 在日中国人14人の成功物語』という本をいただいた。
これは、日本とゆかりのある中国出身の、世間ではあまり知られていないかもしれないけれど実は「すごい」、熱く魂を燃やす人たちの物語である。
あるいは、北京の木木美術館で開催されている坂本龍一展。
少し前の「PEN」(5/1・15号)の第二特集で、北京在住の大先輩が本展を取材し、すてきな紹介をしていた。
木木美術館は、コレクターの林瀚(リン・ハン)とインフルエンサーの晩晩(ワンワン)の若いカップルがたちあげた新進気鋭の美術館で、世界的にも注目されていると思う。(そういえば、あつ森にも登場していた)。
コロナがなければ絶対行きたかったのだが、それはこの展覧会が、ただリッチになった中国の、リッチな美術館が、世界をあっと言わせるイベントを開催したとか、そういう次元の話では全然なく(そういう次元だったら、そもそも実現はしなかっただろう)、企画にかかわった日中双方のスタッフやアーティストたちの高度なコラボレーションがあってこそ生み出された、他では見ることのできない貴重な展覧会だと思ったからだ。
だから、今こそ、個人の力を!とか、そんなたいそうな話ではない。
ただ、さまざまな分断や弾圧のニュースが流れる日々において、政治や権力などといったものとは次元の違うところで、個々の力があふれ、この世界を構成しているということは、一つの希望だと思う。
そして、日本の個人も中国の個人もフラットに交わり、すばらしいものや新しいものを生み出して、世界や私たちが、それをフラットに享受することができるということに、何か明かりがポッとともるような気がするのである。
]]>あまりにおいしくて、お礼に鼎泰豊の香辣醤をお土産に持参したら、喜んでくださって、今度は「バオズ(肉まん的に身の入っている主食)をたくさんつくったから」と、お裾分けをいただいた。
これまたとてもおいしくて、お礼に晩白柚を持っていたら、おばさんは一瞬、戸惑ったような表情になった。
私はたぶん、過分にお礼をしてしまったのだと思う。
それでふと、10年くらい前の出来事を思い出した。
チベットエリアで、チベット人の集まる学会に参加したときのこと。
この学会は、「考察ツアー」という名目の、なかば観光ツアーがセットになっていて、日本からも、日本人のおばさまが数人参加していた。
ツアーの途中で、チベット人に、私とおばさまグループが、ちょっとしたお茶か何かをごちそうになることがあった。
おばさまたちは、チベット人のお兄さんからごちそうになることを遠慮していたのだが、チベット人的にはホームグランドで、外国のお客様にお金を出させるのはメンツが立たない。
ということで、少々、すったもんだした結果、結局、おばさまたちはごちそうになったように見えた。
でも、おばさまたちが部屋に戻ったあと、テーブルに、こっそりお金がおかれているのをチベット人のお兄さんが見つけた。それはおばさまたちの「奥ゆかしいふるまい」だった。
お兄さんは眉をひそめ、とても傷ついたようだった。
「こういうのは本当に嫌だ」と、そんな話をしていた。
おばさまたちには、まったく悪気はなかったと思う。
ただ、日本にいるときと同じようにふるまっただけだろう。
でもそれが、人を傷つけることがあるということを目の当たりにして、以来、中国ではなるべく遠慮せず、好意はストレートに受けるようにしていた。
特に私が住んでいた北京は、好意をど〜んと受け止めることで、人間関係をうまく構築できるようなところがあると思う。
中国人同士では持ちつ持たれつ的な感じだと思うのだが、私は外国人ということもあって、相手を頼りにしてお願いするくらいするくらいのほうがうまくいったような気がする。
いずれにしても、生活をしていくうえで、いろいろな人に助けてもらわざるをえない。
もともと、人から助けてもらうのも、人の好意を受け取るのも苦手な私には、ちょっとした苦行だったが、今、考えれば、それがよい交流にもなっていた。
ところが、である。
日本に戻ってきて数年、さらにコロナ禍で、人とのリアルな交流がめっきり減った。
仕事は普通にしているし、オンラインで会議に出たり、セミナーを受けたりしているし、たまには友達と立ち話もするけれど、そのくらいである。
そういえば、同じフロアの猫友さんご夫婦に、重くて一人では外せないロールスクリーンの修理を手伝ってもらう話をしていたのだが、感染拡大してからはお願いしづらく、スクリーンは紐が切れて傾いたままになっている。
そうして、私の「人から好意を受ける能力」もすっかり退化してしまった。
お礼の匙加減もおかしくて、うっかり倍返しで打ち返してしまう。
コロナで出歩けなくなっても、もともと一人で平気だし、と思っていたが、意外にもそうではなかったことを知る。
マントウとバオズのおばさんには、「あんまりおいしかったので作り方教えて」とチャットしてみた。
するとすぐに作り方が送られてきた。
さっそく作ってみたものの、粉を発酵させるのもこねるのもはじめてで、おばさんのようにうまく作れない。
「今度、習いにいっていいですか」と聞くと、「一度やったら簡単だから、おいで」とのこと。
コロナが落ち着いたら、作り方を習いに、おばさんちまで遊びに行こうと思う。
コロナ禍で、当たり前のものが当たり前でなかったことに気づくことは多いけれど、人とリアルで交流しないことの「弊害」を、こんなところで実感する次第である。
]]>これまで使っていたのは台湾スマホのZenFone3。
新しいものは中国スマホのOPPO Reno3 A。
ZenFone3を買ったのはたしか2年ほど前だったと思う。
まだまだ現役で使えるし、当面しつこく使うつもりだった。
そもそも、ZenFone3にしたのは、デュアルSIM仕様で、中国の通信バンドをカバーしていて、日本でも中国でもSIMの切り替えなしで使えるためである。
そんなスマホは、日本ではとても少ない。どうせ通話とSNSと電子決済にしか使っていないので、壊れるか充電できなくなるまで使い倒そうと思っていた。
ところが、である。
楽天モバイルが新料金プラン「Rakuten UN-LIMIT」を打ち出し、楽天キャリアの私は、キャンペーン内容にほだされた。
そして、プラン変更しようとしたら、ZenFone3は新プランに必須の楽天回線に対応していなかったのである。
結局、「Rakuten UN-LIMIT」のキャンペーン対象で、中国でも(たぶん)使えるデュアルSIMスマホがOPPOだった。
2年ほど前、楽天モバイルでさかんにキャンペーンしていたZenFoneもHuaweiも今は鳴りを潜め、OPPOが台頭しているところに、隔世の感を禁じ得ない。
さらに、新しいスマホは顔認証機能やおサイフケータイや防水機能までついていて3万円台(キャンペーンを使えば実質14800円!ただし、楽天ポイントで還元!)。
おまけに写真がすごくきれい。
いままでこういう機能は高いスマホにしかないと思っていた。
スマホを顔の前にもっていくとロックが解除されることに「おお!」となり、店でピッとやるだけで買い物できることに「おお!」となり、Pontaポイントのアプリが一瞬でたちあがることにも地味に感動する。
(ZenFone3ではポイントアプリが立ち上がるまでに6〜7秒くらいかかっていたので、自宅隣のローソンのレジで、いつも店員さんがイラッとしていた)
スマホというのは、今の社会で起きているIT技術の進化(変化?)の一端を、半径数メートルくらいの生活範囲で、最も凝縮して継続的に体感するアイテムではないか、ということを、いまさらながら感じる。
ひと昔前は、パソコンが「最先端社会」に触れるアイテムだったと思う。
でもいまやパソコンの機能自体は固定化し、スマホが、おそらく世界中の誰もが持ちうるもので、かつ、我々の生活を変えるものとなり、加えてそのスマホを持つ人々が暮らす社会を投影しうるものとなった。
今、私の手元には、10年ほど前に、中国で買ったiphone4がある。
初めて買ったスマホで、今でも現役で使える。
私がiphoneを買ったのはこの1回限りだけれど、これを見るだけでも、初期のiphoneがどれだけ革新的だったかということが伝わってくる気がする。
ボタンで操作するガラケー全盛期だった時代に、タッチパネルで操作でき、高性能カメラを搭載し、手のひらに収まるくらいのフォルムは、今でもとてもおしゃれできれい。
でも、あれからほんの10年で、スマホ業界はすっかり様がわりした。それはそのまま世界の構図の変化でもあったように思う。
そして、スマホは毎年、どんどん新しい機種が出て、アプリも年々重くなるので、格安スマホは2、3年で買い替えないと、現行のサービスにスマホのスペックが追い付かないほどになった。
格安といってもけして使い捨てできる金額ではなく、しかも個人情報の塊のようなスマホを、3年くらいで買い替えないといけないような社会が、果たしてよいかどうかわからない。
今回、私が買ったOPPO Reno3 Aはミドルレンジで、当然、5Gにも対応していない。
これでもし、5Gがまもなく本格的に日本人の生活を変えるようになったら、また、買い替えることになるのだろうか。
その前に、中国ではあっという間に5Gが進み、4GのSIMが使えなくなる日も来るかもしれない。そうしたら、中国と日本で使える4Gスマホを選んだ意味もなくなるだろう。
もういっそ、スマホ代は、今の社会で起きているIT技術の変革を、半径数メートルの生活で感じるための「授業料」と思えばいいのだろうかと思いつつ、そうしたデジタルの便利を得るために、スマホの移行ツールではできないアプリの個別設定を、アナログで夜中までかかってやりながら、やはり今のIT社会の「理不尽」を体感するのである。
]]>青銅器や仏像のミニチュアが石膏?で固められていて、それを付属の発掘キットで掘っていくと、お宝が出てくるというものである。
日本でもGEOWORLDの恐竜発掘シリーズなどいくつか似たような商品が販売されている。
ただ、日本のそれは完全に子供向け、対して「考古盲盒」は若者を中心とした青年〜大人向けで、パッケージもオシャレで知的なお土産といった面持ちである。
昨今、中国ではこうした「文創(文化創意)産品」すなわち「カルチャー×クリエイション×プロダクト」がホットだそうだ。
振り返れば、ここ数年、敦煌研究院や清華大学の方からいただくお土産が、えらくオシャレだったことを思い出す。
私が北京に留学した2003年ごろ、中国の方からいただくお土産は、なんというか、ちょっと置き場所や使い道に困るものが多かった。
私も帰国のたびに、お土産選びが悩ましかった。
その後、2008年の北京五輪くらいを境に、少しずつ、歴史や文革モチーフのオシャレグッズが出始めた。でも北京では、その割合はまだまだ低く、帰国前にお土産になりそうなものを掘り出すのが楽しみな時代だった。
それがこの数年で、著しく進化したように思う。おそらく今、北京に行っても、お土産には困らない気がする。
博物館グッズのオシャレ化ブームの背景には、「国家宝蔵(ナショナルトレジャー)」のような国宝ドキュメンタリー番組のヒット、さらに2018年から放映されている「上新了、故宮」というテレビシリーズの影響もあるようだ。
「上新了、故宮」は、歴史バラエティとでもいうべき番組で、故宮博物院のオリジナルグッズデザイン事務所「故宮文創」のデザイナー役の二人が主人公という設定。
毎回、故宮に関するお題が出され、その解答をもとめて専門家(本物)とともに故宮をめぐり、そこからインスピレーションを得て商品を開発するというちょっと変わった番組である。
そしてこの故宮グッズが、えらくおしゃれなのである。
たとえばこんな感じ↓
https://palacemuseum.world.tmall.com/
こうした文化的デザインの著しい進化から、ただリッチになり、経済大国になり、科学技術大国になり、世界に君臨せんとするだけではない、中国の変化を感じるのである。
“考古盲盒”爆红:文物“出圈”,文化“入圈”
http://epaper.bjnews.com.cn/html/2020-12/10/content_794389.htm?div=-1
テレビ番組『上新了・故宮』放送開始
http://japanese.cri.cn/20181112/df25c62a-eb95-6723-2f04-195930ec8c5c.html
]]>
以下、ネタバレ含むのだが、話は、アメリカで暮らす40代初め(だったか?)の中国人夫婦のもとに、一本の電話がかかってくるところから始まる。
それは、夫の母親が急死したという知らせの電話で、夫は急遽帰国する。
彼の故郷である蘇州の空港で彼を出迎えたのは、姚晨扮する彼の妹、蘇明玉、本編の主人公である。
30代にして、蘇州の大企業で会長の片腕を務めるほどに成功した蘇明玉は、しかし兄二人を偏愛する母と、その母に尻に敷かれ何事も事なかれ主義な父親のもとで育った。
彼女が空港で出迎えた一番上の兄との仲は悪くなかったが、大学進学でアメリカに留学し、彼女が高校のときに家を離れた。
二番目の兄とは小さいころから犬猿の仲で、けんかが絶えず、そのけんかがきっかけで彼女は家出し、自殺を考えたこともあった。
母は、留学する長男の学費のため、また、結婚する次男の新居購入のため、住んでいた長屋の一部を、その都度切り売りして資金を工面したが、成績優秀だった彼女が清華大学に進学したいといったときは、お金がないからと、地元の師範大学に行くか就職することを強要した。
父親は、彼女が助けを求めても、ただ、彼女に背を向けるだけだった。(倪大紅が演じるこの父親のダメっぷりがまたすばらしいのである)
彼女は泣いて抗議をしたが聞き入れられず、結局、彼女は母親の決めた大学に進学すると同時に家を出て、その後、母親との大喧嘩をきっかけに、完全に実家との関係をたち、実力だけで現在の地位を手に入れた。
そして、その母が脳溢血で倒れ、病院に運ばれたものの、そのまま亡くなった。
一人になった父親は、自分の妻が倒れた家に帰りたくないと言って、次男夫婦のマンションに身を寄せる。
でも、次男は母親に甘やかされて育ったマザコンで、なにかにつけて実家からお金をもらっていた典型的なすねかじり族。
その次男の奥さんは一人っ子でいわゆるいまどきの現代っ子。二人とも仕事が忙しく、帰宅はいつも遅く、食事は外食かテイクアウト。
そんな若い二人に老人(といってもまだ60代)の父親を世話する甲斐性はなく、父親は内心不満がいっぱいだった。
そんな折、長男が母の葬儀のために帰国した。
すっかり意気消沈している父親を見て、長男は自分が父親をアメリカに呼び寄せて面倒を見ると宣言。
すると、いまにも死にそうに嘆き悲しんでいた父親は、けろっと起き上がり、大喜びをして、すっかり元気になる。
そして長男がアメリカに戻ったあと、父親は昔の職場の同僚たちを招いて大宴会を開き、長男がアメリカに招いてくれたことを自慢し、かつて自分を馬鹿にしていた同僚たちに一矢を報いる。
ところが、アメリカに戻った長男は、今回の急な一時帰国がきっかけで、リストラされ、無職になってしまう。新しい仕事を探そうにも、彼の年齢で、しかも競争の激しいアメリカ社会で、望む仕事は簡単には見つからない。
しかも、父親や弟たちに無職になったことを言えず、それどころか、自分の妻に、父親を引き取ると言ってしまったことも言い出せずにいた。
そうこうするうち、父親のアメリカ滞在ビザが下りてしまう。
父親がアメリカに来るという直前で、そのことを知った彼の妻は「そんな大事なことを黙って進めていたの!」と大激怒。
それに対し、「自分は長男なのだから、父親に対して責任がある。その責任を果たすことのどこが悪いんだ!」と逆切れし、妻に「なぜ、自分のできる範囲でできることをしないの! 自分の家族や娘の将来をどう考えているの!」と言われても、「長男としてやるべきことをやることのどこが間違っているんだ!」と言い張り、泥沼に突入していく。
という感じで、次々ににっちもさっちもいかない問題が起こるのだが、その問題を毎回、陰ながらサポートし、解決への道筋をつけていくのが主人公の蘇明玉だ。
このドラマが中国で大人気をはくした理由の一つは、今の中国で誰にも起こりうる「伝統的問題」をどう解決するか、みんな答えを模索しているからだと、北京の新聞「新京報」が分析していた。
実際、蘇明玉の手腕は実にあっぱれで、「なるほどそう来たか!」と、毎回、スカッとする。
でもその一方で、彼女の中にはいつも、家族の中で感じていた深い孤独があり、それが美しい蘇州の風景や情緒あふれる古い家屋、あるいはゴージャスな屋敷などの光景を通じて、ひしひしと伝わってきて、見ているこちらの気持ちまでヒリヒリする。(ドラマに出てくるお金持ちの屋敷がこれまたすごい)
そして最後に(これもネタバレなのだが)、アルツハイマー型認知症を発症した父親の面倒を見るため、彼女は、仕事を辞め、社長の座も捨てる。
そこに至るまでに犬猿の仲だった二番目の兄との和解があったり、またラストシーンでは認知症の父親が彼女のため一生懸命参考書を買おうとしてくれたり、厳しかった母親に優しくしてもらった記憶がよみがえったりして、彼女が涙するシーンもあり、なんとなく、ハッピーエンドのような面持ちである。
でも、すばらしいなと思ったのは、最終回の放映後、主人公の蘇明玉を演じた姚晨が、中国版twitter「ウェイボー」でつぶやいていたコメント。
――多くの人がこのドラマはハッピーエンドだと思っていますが、私の解釈では、それはただの悲しい現実です。(父親の)蘇大強は記憶を失ったあと父親の愛を取り戻し、(娘の)明玉は最後に愛を解き放ちました。でももはや二度と父がそれに応えることはありません。実生活でもそうであるように、私たちはしばしば愛や和解といったものの傍らを通り過ぎ、それらを実際に手にできることはめったにありません。運命の無力さを前に、ただ私たちは笑ってこう言うだけです、「すべてうまくいっています(都挺好All IS WELL)」と。
さらに「せめて慰めとなるのは、この話は終結したものの、まだ次があることです」と書かれていて、続編も作られているようだ。
放映から約2年一筋縄ではいかないドラマのその後を、心しておこうと思う。
《都挺好》凭何带火“原生家庭”剧?
https://news.bjd.com.cn/culture/2021/01/23/44748t161.html
姚晨亲自解读《都挺好》大结局:并不是大团圆
https://baijiahao.baidu.com/s?id=1629046663304389510&wfr=spider&for=pc
]]>とりわけ、河北省石家庄で数百人の陽性が確認されてから、全市をあげたPCR検査の現地報道などは、さながら激戦地の最前線を報じるがごとくで、医療関係者から市民ボランティアまで、24時間不眠不休の徹底抗戦ぶりを伝えている。
気温零下のなか、簡易テントでPCR検査を行う医療従事者は、何時間もぶっつづけで立ち続け、しまいには地べたに座り込むものがいたり、あるいは抗菌手袋をしただけの手が寒さで腫れ上がるものがいたりという過酷さで、親が亡くなっても帰れず家の方向に頭を下げるスタッフの姿も報じられた。
そして3日で1300万人の採取を完了したという。
「ともに困難に立ち向かい、乗り越える」「どれだけ困難でも誰も退くものはいない」「時間との闘い」といった中国語が繰り返されるので、聞いているこちらもそらんじられるようになるほどである。
先日はまた、石家庄の郊外の何もない茶色い大地(もとは農地?)に、隔離拠点の建設が始まったという。
しかもこれは患者用ではなく、濃厚接触者および濃厚接触者の接触者の隔離用ワンルーム仮設住宅で、1月13日に工事が始まり20日には、第一期606棟が完成、第二期もすでに内装の段階とのこと。ちなみに、家具、エアコン、テレビ、WIFI付きだそうだ。
工事を請け負うのは中央政府管轄の中央企業および傘下企業で、全国各地から人を集め、最初の目標は仮設住宅3000棟、でもそれでは足りず4000棟(!)を作るという。
時間との闘いで、人手も足りず、現地では三日三晩不眠不休の作業が続いている、という話だが、取材中、「全然寝てないんですよね」と記者に話を向けられた作業員のおじさんが、ちょっと言葉に詰まって「ええ、休んでいません。残業が続いていますね」と答えていたので、不眠、というわけではないかもしれない。
それにしても、茶色の大地にあっという間にプレハブの仮設住宅が並ぶところはまさに圧巻。
番組中では、いかにみなが疲労困憊のなか一致団結して戦い抜いているかということが、格調高く報じられている。
そのラストを締めくくるのは、この仕事中に子供が生まれたという現場責任者の一人。
子供は早産で、まだ保育器の中だそうだ。
「今が一番苦しいときですね、今の一番の願いはなんですか?」とカメラを向けられた現場責任者が、「はやくここの工事が完成して、妻と子供に会えることですね」と答えたところで、カメラはスタジオに戻り、キャスターの締めの言葉。
「ウイルスは私たちを物理的に隔てます。しかし、私たちの心に隔たりはありません。命を至上のものとし、国をあげて心を一つにし、(中略)全国の人民の心は、感染地域の人々とともにあります」
なんかもう中国すごいの一言につきるのだが、個人を犠牲にして人民(という名のもとの国)に尽くす人々は英雄で、そうした個々人の犠牲と惜しみない貢献のもと、国民が一致団結して国難に立ち向かうという構図に、少しばかり複雑な気持ちになる。
《焦点访谈》 20210122 石家庄:抢建隔离点
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「ベルサイユ文学」とは、すなわち、つつましやかに、豪華絢爛ぶりを自慢すること。
よく紹介されている例が、「だんながランボルギーニをプレゼントしてくれたんだけれど、あのピンクはださいわよね、うちのだんなってセンスないのよ」というもの。
由来は、「ベルサイユのばら」だそうなので、日本語的には「ベルばら文学」と訳したいところだが、それでは池田理代子先生に大変申し訳ないので、ここでは「ベルサイユ文学」と直訳する。
中国のツイッター兼フェイスブック的微信のモーメンツで、人々が必要以上にゴージャスなリア充をさらし、プチ自慢をするようになってもう10年近くになるだろうか。
日本のフェイスブックなどでも、ときどき謙遜しつつ自慢している人はいるけれど、中国のほうは桁とスケールが違うと思う。
この「ベルサイユ文学」、もともとは「小奶球(ミルクボール)」というウェイボーユーザーの発案で、彼女(彼)がネット仲間と、微信のうざいプチ自慢を「ベルサイユ文学」と称して楽しんでいたところから、火がついたそうだ。
それにしても中国人のこの手のネーミングセンスと、おちょくりテクニックと、ネガティブなものをポジティブなものに変える転換パワーはあっぱれだと思う。
このちょっとしたネーミングで、おそらく少なからずの人が眉をひそめていた、あるいはもやっとしていたものが、みんなで大いにもりあがるエンタメに変容するのである。
そういえば、胡錦涛政権時代、「和諧社会(調和のとれた社会)」という名の統制が打ち出されると、「和諧」と同じ読み方の「河蟹」という言葉が、たちまちネットで一世を風靡し、「あいつは河蟹された」などいう用法で、大いに活用され、もりあがった。
今は、政治的な敏感語は、完全に許容されなくなってしまったが、それでも「ベルサイユ文学」のような、たわいものない、けれど本質的なところで本領が発揮される。
実はこのポジティブ転換パワーについて、個人的にとても思うことがある。
少し話が飛ぶのだが、自分が乳がんになったとき以来ずっと読んでいる、日本人の乳がん患者さんのブログがある。
おそらく年齢は私よりちょっと上くらいだと思う。
もと看護師さんで、看護学校の先生をしていた。大学生と高校生の娘さん二人と旦那さんとの四人暮らし。
彼女は乳がんが全身に転移するなか、その時々のさまざまな治療について、看護婦さんの目線からとてもわかりやすく、副作用やその対応についても明るく前向きに書いていた。
ここまで転移してもこれだけ治療法があり、彼女が元気でいられるということは、転移性乳がんの患者さんたちにとってはとても大きな励みになっていたと思う。
彼女は、本当に自然体にポジティブな人で、全身への転移がわかったとき、たしか看護学校の先輩だったかに、「あら、それは大変、終活しなくっちゃ」と言われて、思わず吹き出してしまったというエピソードを紹介していた。
だんなさんはおそらく発達障害で、コミュニケーションがとれない、というか、彼女が本当に具合悪くご飯も食べられずにいても、悪気なく、自分のごはんだけ買ってくるような感じの人なのだが、彼女はそれを「宇宙人パパ」と称し、だんなさんとの間に娘二人を持てたことを感謝し、娘さんたちを本当に大事にしていた。
あるとき、田舎で一人暮らしをしていただんなさんのお兄さん「あんちゃん」に、末期の大腸がんが見つかった。
そのとき、彼女もすでに全身に転移したがんを治療中だったにもかかわらず、だんなさんが全く何もしない(できない)なか、「あんちゃん」を彼女たちが住む町によび、きちんと治療をうけられるよう、できるだけおだやかに暮らせるようにあれこれと手配した。
この「あんちゃん」がまた偏屈もので、「抗がん剤は悪」ときめつけて、はじめのうちは治療も、病気に向かうことも完全拒否。
彼女や娘さんたちが、「あんちゃん」のためにいろいろ心を砕いても、お礼を言うどころか、難癖付けて文句を言っていた。
でもそのうち「あんちゃん」も偏屈ながらちょっと心を開き、治療にも向き合うようになり、結局、偏屈はかわらないけれど、穏やかに亡くなった。
彼女が語る、彼女の周りの人々は、どんな変人でも、どこかかわいく思えてしまうのは、彼女のポジティブな発想の転換パワーだなとずっと思っていた。
そして、その転換パワーは、絶望的に思えるような状況を変えうる力になるのだ、とも感じていた。
昨年末に体調をくずして入院していて、数日、更新がなかったけれど、またいつもみたいに、「ちょっと今回は大変でした」と復活されるのではないかとどこかで思っていた。
でも、そうではなかった。
2度目の非常事態宣言が発出された日、彼女の娘さんの書き込みで、彼女がなくなったことを知った。
娘さんが最後の更新をしたあと、次々に大量のコメントがよせられていた。
どのコメントも、彼女への暖かい言葉と感謝にあふれていて、これもまた、彼女がブログというインターネットを通じてまいたポジティブ転換パワーの波動のようなものだなと思った。
さて、長くなったが、話を戻すと、中国の人々のポジティブな発想の転換パワーは、これまで長らく大変な時代が続いてきたことと、どこか関係しているかもしれないということをぼんやり思う。
それは、(中国に行けなさすぎて)ちょっと中国の人を美化しているのかもしれないが、その転換パワーは困難ななかを生きる知恵のようなものではないか、とも思うのである。
ひるがえって、日本は、社会としては比較的穏やかで、戦後の高度成長以来、これほど長期にわたり、先の見通しがたたないことも、日常が取り崩されるようなことも、ほとんどなかったのではないだろうか。
そう考えると、逆にこの未曽有の状況のなか、これまで自分が当たり前にしてきたことを少し変えることくらいは、案外、お安い御用だと思えるのではないか、という気もする。
そもそも、自分の行動が、多少なりとも人の命に貢献することなど、この先一生ないかもしれないのだ。
厳しく余裕のない状況で、ポジティブな発想を持つというのは難しい。
ただ、もしそれだけの力を持つことができたなら、何か新しいものを生む原動力になるのではないか、ということを考える。
JUGEMテーマ:中国
※「ベルサイユ文学」については、人民網日本語版の解説がわかりやすいです。
http://j.people.com.cn/n3/2020/1112/c206603-9779220.html
※「名づけ親」のインタビュー
凡学创始人小奶球:凡学只是我和网友之间的小娱乐而已
https://new.qq.com/rain/a/20201111A081J300
※ひなこ日記 〜乳がん子ちゃんとの記録〜
https://ameblo.jp/tanpopo-hinako/
心よりご冥福をお祈り申し上げます
]]>それは、すべてが「ワリカン」の結婚生活に嫌気がさし、なけなしのお金で買ったマイカーで、放浪の旅に出た56歳の女性の話だ。
中国の動画サイトにアップされた彼女の独白に、百万を超す「いいね」がついたという。
その独白は、出発初日に、車の中で自撮りされたもので、淡々とそこにいたるまでの経緯が語られている。
話の内容はこうだ。
結婚以来、夫婦共稼ぎにもかかわらず、家事から育児、さらには夫の世話まで、彼女が一人でやってきた。
あげくに、夫はすべて「ワリカン」の人で、彼女にプレゼントを贈ったことが一度もないどころか、例えばたまたま一度だけ、夫のETCカードで高速にのったら、その料金まで請求されたこともあったという。
何度も離婚を考えたが、そのたびに子供が成人するまで、結婚するまで、孫が生まれるまでとずるずる我慢し続け、孫が生まれたら今度は孫の世話で忙しくなり、結局、この年になるまで自分のことは何もできずにきてしまった。
孫が小学校にあがり、夫婦二人の生活に戻ったとき、何も変わらない夫にとことん愛想をつかし、娘が出してくれた2万元に自分の貯金を合わせて自分の車を購入、旅に出ることにしたそうだ。
そして「みなさん、私は南へ向かいます」と、女性はカメラに語りかける。
毎月多少の年金が入るので、生活費はそれでなんとか賄いながら、雲南など南方をまわっているという。
今後どうするという計画は特になく、ただ、夫に対する恨み辛みが、「同情」にかわったら家に戻ろうかと思うと、そんな話。
彼女に対する賞賛や、彼女から勇気をもらったという女性たちの声を目にすると、今の中国で、同じような境遇の人はけして少なくないのだと思う。
と同時に、女性が人生をやりなおしたいと考えたとき、それができるというのは、ある種の豊かさなのかなとも思う。
食べていくのもままならないような状況のとき、何かにチャレンジするというのは、なかなか難しいだろう。
でも一方で、豊かさが当たり前になり、勝ち組負け組といった成功のカタチがパターン化すると、先が見えない状態で、チャレンジしたり、逸脱したり、あるいはそのために失敗したりする自由を得にくくなるようなところがあるとも感じる。
そして今、社会が大きな困難と転換の過程にあるなか、チャレンジしたり、逸脱したりできるだけの豊かさと自由があることの大切さについて、改めて考える。
结婚几十年都是AA制,忍了半辈子!56岁阿姨“抛夫”自驾游获赞百万
https://3w.huanqiu.com/a/84a414/40nBIcLDPOd?agt=20&tt_group_id=6897533946704167431
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今年も一年間、ゆるゆる更新のブログにお付き合いいただき、ありがとうございました!
来年も引き続き楽しんでいただけましたらうれしいです。
2021年もどうぞよろしくお願い申し上げます!
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]]>JUGEMテーマ:中国
中国でおそらくこの10年以上ずっと目にし続けている、でも日本ではあまり目にすることのない単語がある。それが「規範化」だ。
直訳すると、文字通り規範化あるいは標準化、正規化、もしくはルール化といった日本語になると思うのだが、いつもぴったりの訳を見つけられない。
たとえば、自動車学校ができ始めたばかりの10年ほど前は、管理が「規範化」されておらず、教官に袖の下を渡すことが当たり前だったが、近年は料金体系も透明になり、デジタル管理により「規範化」が進んだ、というような話で使われる。
ちなみに「規範化」されて万事解決か、というとそういうわけでもないようで、最近は、規範化された管理のもと、「保過費(テスト通過保障費)」という名目で授業料以上の費用が徴収する自動車学校が「不法である!」と問題になっていた。
また、いまどきだなと思うのが、ライブ配信の投げ銭(打賞)の「規範化」問題。
昨今、中国ではライブ配信が盛んで、アプリの投げ銭機能を利用した「激情型」「高額」「未成年」の投げ銭が問題になっているそうだ。
9歳の女の子が9万元!(1元=約16円)の投げ銭をしたという話から、国営企業の職員が太っ腹なところをみせたくて、最初は銀行でお金をかりていたが、しまいに会社のお金に手をつけて785万元!!もの大金を使い込んだという話まであり、近々、ライブ配信の投げ銭について指導規範を打ち出すという。
一方、「規範化」なきところに商機あり、という話もある。
その一つが、新車の販売からアフターサービスまで請け負う4S店。
中国には各自動車メーカーと契約したブランド専用の4S店があり、新車の販売から購入後のメンテナンスまで一手に請け負うのだが、近年、この4S店のアフターサービスは高いうえに、料金体系も不明瞭で、さらにはきちんとメンテナンスされているかもわからない、ということで物議をかもしていた。
そこに、参入したのがアフターサービスを請け負うネット企業。かつてネットのアフターサービスなど恐ろしくて使えなかったが、今はネットのほうが明瞭会計で圧倒的に安く、サービスもよいという。
そして口コミのよいところに客が集まる、ということで、4S店の客が、ネットのアフターサービス企業に流れているそうだ。
日本はマーケットが生まれるとき、まずニーズがあるとルールができ、そのルールにのっとって発展するようなところがあると思うのだが、中国ではまずニーズがあると、それを商売にする人たちがどんどん湧いて出て、いろいろ入り乱れて、「規範化」が行われる傾向がある。
例えば、この2年ほど、「縄跳び教室」が流行っているという。小学校にあがると体育の授業で縄跳びがあり、1分間で何回飛ばないといけないなどというルールのある学校があるそうだ。
それで縄跳びスキル?を高めるための「縄跳び教室」が出現し、授業料もどんどんはねあがり、12回で4000元とか1年間で2万元などと高騰していることが報じられていた。
「規範化」で、中国のネットを検索すると、そのとき話題になっていることがあれこれ出てくる。
そしてそういう報道を見ていると、中国の規範化ニュースは、今、かの国で起きている変化を映す鏡のようなものだなと思うのである。
驾校收“保过费”,等于在考场“闯红灯”
https://comment.bjd.com.cn/2020/10/29/12594t112.html
打赏不能打出事儿来,直播打赏热应该降降温了
https://comment.bjd.com.cn/2020/10/30/12773t112.html
不想去4S店“挨宰”,又怕路边店“挖坑”,老司机修车养车投奔互联网
https://deep.bjd.com.cn/2020/10/30/12771t115.html
学个跳绳花三四千,有这个必要吗?
]]>中国のネットをつらつらみていたら、その中国版的なサイトがあった。
題して「ルームメイトからもらった『絶交みやげ(絶交特産)』」。
https://m.gmw.cn/toutiao/2020-11/20/content_1301818864.htm?tt_group_id=6896983732486406664
中国の大学は基本全寮制で、ルームメイトと寝食を共にする。
出身地は北から南までみなそれぞれ。そんなルームメイトからもらった、「感動のあまり涙する」地元の特産品の話である。
その一、福建の土筍凍。
ウィキペディアによれば、「中国福建省の泉州市、アモイ市近郊の郷土料理で、星口動物のサメハダホシムシ類を煮こごりにした料理」らしい。
その二、広東・潮汕の血蚶。ハイガイというものではないかと思うが、血がしたっている。
その三、山東の金蝉。見た目通り蝉。そういえば、探偵ナイトスクープで中国人が蝉を食べるという話を放送していたけれど、中国的にも蝉は「いやげ物」であるらしい。
なお、「絶交みやげ(絶交特産)」は、中国版ウィキペディア「百度百科」にも登録されている。以前行われたネット投票によると、三大絶交みやげは鶏仔胎(卵の中に孵化する前のヒナが入っているやつ)、老鼠干(老鼠=ねずみ、干=ひもの、文字通り!そのまんま!)と、上述の血蚶であるという。
鶏仔胎も老鼠干も、福建がルーツのようなので、南方はゲテモノ系?が多いのかも、と思っていたら、北京の「豆汁」もランクインしていた。
豆汁は、緑豆の発酵ドリンクで、中国臭いもの系の一つ。
臭いといっても、もっと臭いものは他にもあるし、見た目にインパクトがあるわけでもないし(ちょっとドブか下水っぽいけれど)、そもそもおいしくて栄養満点、と思ったのだが、思えば、他の「絶交みやげ」も地元の人にとっては、栄養満点のおいしいものなのだろう。
それにしても、この手の話でもりあがるのは、日本も中国も同じだなと思うのである。
]]>ここにはペットの共同墓地があり、私が高校の時に亡くなった犬も埋葬されている。
ペット墓地の常香炉の前で、線香に火をつけようとしたのだが、風が強くて小さなマッチごときではまったく火がつきそうにない。
チャッカマンもってくればよかったなあと思いながら、何本もマッチを無駄にしていると、初老のご夫婦らしい男女がやってきた。
同じくペットのお墓参りのようで、手にお花とお線香を持っている。
「火がつかなくて時間がかかりそうなので、お先にどうぞ」とゆずろうとすると、男性のほうが「ろうそくがあるから使いなさい」と、カバンから取り出したろうそくに火をつけ、常香炉のふちに置いてくれた。
すごくありがたかったのだが、ずうずうしく受けるべきか、遠慮をすべきかちょっと戸惑う。
そうこうしているうちに、ろうそくの火が消えそうになり、慌てて、手で風をさえぎる。
「どうぞ、先に使って」と、奥さんにうながされ、ありがたく火をいただいた。
「ここはいつも風があるからね」
と、男性が言った。
「それでろうそくもってきたんだが、今日は風が強いね」
「すごく助かりました、ありがとうございます」
頭を下げると、
「なあに、一緒のお墓に入っているんだから」
と、男性。
聞けば、犬を飼っていたそうだ。
「寂しいですね」
そんな言葉が口をついて出る。
「ええ、やっぱり寂しいわねえ」
奥さんがつぶやくように言い、男性が静かにほほ笑んだ。
それから二人は、線香を香炉に立て、持参した花を花入れにさすと、少しだけ手をあわせて帰っていった。
空にのぼる線香の煙を見ながら、そういえば、東京で親切を受けるのは、久しぶりだなと思った。
久しぶりというより、前回、どこで親切を受けたかも思い出せない。
北京にいたときは、外国人ということもあって、親切を受けることが多かったように思う。
シェアバイクの使い方がわからなくて、通りすがりの人に教えてもらったり、バス停の乗り場が見つけられなくてたずねたり(そして自信満々に間違った場所を教えられたり)。
アパートの階下のおばさんにもずいぶん親切にしてもらった(ノックもそこそこで家に入ってきちゃったりもしたけれど)。
いろいろなところで、いろいろな人にごはんをたらふくごちそうになったし、困っていると、なんだかんだで助けてもらった(バトルもいっぱいしたけれど)。
北京の親切は、距離が近い。そして賑やかだ。
バスに乗り、降りる駅がわからなくて、車掌さん(当時は車掌さんが乗っていた)に聞くと、隣に座っていた地元の人らしきおっちゃんやおばちゃんが、「いや××の方が近い」「〇〇から行ったほうがいいんじゃないか」などと口をはさみ、ワーワーと盛り上がったりした。
ひるがえって、東京は、もともと人の距離がちょっと遠い。
バスで運転手さんに降りる駅を聞いている乗客に、他の乗客がわざわざ話かけたりはしないだろう(きっと変な人だと思われる)。
帰国したばかりのころ、信号を渡ろうとしたら、カートを押したおばさんが、車道から歩道の段差をのりこえられずに難儀をしていた。
「お手伝いしますか?」と手をのばそうとしたら、「触らないで!」とすごく怒られた。
そんなこんなで、東京では、親切をすることも受けることもすっかりご無沙汰してしまっていた。
そうして、ペット霊園で久しぶりにいただいた親切は、ちょっとだけ距離が遠く、そして静かで、でもじんわりと暖かかったように思う。
]]>公開3日間で9億元(約146億円)、最終興収30億元(約500億円)というメガヒットのこの映画、中国でおきた実話をもとにしている。
実話のほうは、慢性骨髄性白血病の男性が、国内で承認されていた高価な薬を買えず、インド製のジェネリックを個人輸入して服用、さらに同病の患者にも販売したことで、偽薬を違法輸入して販売したとされ逮捕、有罪判決を受けたが、患者仲間やその家族、さらには一般市民の間で減刑求める世論が盛り上がり、くだんの男性患者は釈放された、というもの。
映画のほうは、インドから輸入した(あやしい?)バイアグラもどきなどを売っていたうだつのあがらない男性のもとに、慢性骨髄性白血病の男性が、インド製のジェネリックを輸入してほしいと話をもちかけてきたところから始まる。
主人公は違法行為はやらないと、いったんは断ったものの、父親が脳卒中で倒れ、高額の手術代が必要になり、インドまで買い付けに出かける。
そしてこのジェネリックの密売が大当たりするのだが、諸事情で販売をやめる。その結果、薬が再び手に入らなくなってしまった患者が死に向かうことになる……。
もともと中国は医療費が高額で、貧しい患者が治療を受けられないという現実がある。この映画が大ヒットしたことで、抗がん剤の価格引き下げや、「薬品管理法」の改正にもつながったそうだ。
またそれにより、海外で正規に認可された薬であれば、個人輸入してもわりと多めにみてもらえるというニュアンスの措置も盛り込まれたという。
そんなバリバリ社会派の映画なのだが、個人的には、方向性としては「鬼滅の刃」だなと、思ってしまった。
というのも、元来、深刻な話が、味わい深くコミカルな(かつ泣ける)エンターテイメントに仕上がっている。
(「鬼滅の刃」も、妹が鬼になってしまった主人公が、妹を人間に戻す方法を探しながら鬼退治をする&主要人物もバッタバッタ亡くなるというハードな話だけれど、そこかしこで笑えて、なごんで、泣ける)
それから登場人物のキャラクター設定。
(「鬼滅の刃」はキャラ設定が細かくて絶妙、特に脇役が曲者ぞろいではまる。主人公はむしろ脇役の引き立て役なくらい。)
「薬の神じゃない」では、おこりっぽくて汚らしくてヘタレな主人公に、とりたててキャラがたっているわけではないのにその風貌からなぜか印象にのこってしまう半主役の白血病患者、聖職者なのに信徒に白血病患者をかかえ密輸に加担してしまう神父さん……。
それぞれにバックグランドがあり、ついつい、いとおしさを感じてしまう。
ということで、笑って泣いて十分楽しい映画だったのだが、同時に、単なる「中国あるある」で終わる話ではないとも思った。
映画に出てきた薬は、ノバルティス社の「グリベック」という分子標的薬で、日本でも、薬価は1錠約3000円!!! 服用量は1日2〜4錠!!!
日本には高額医療制度という、大変すぐれた医療制度があるけれど、それを使っても、年収400万円の家庭で月約8万円はかかる計算になるだろうか。しかもこの薬はずっと飲み続けないといけないそうだ。
今は日本のメーカーからもジェネリックが出ているようだが、それもそこそこの価格なので、高額医療制度が使えるなら、ジェネリックにかえても、患者側の金銭的メリットはあまりないかもしれない。
余談ながら、映画に出てきたインド製の薬は、200円くらい。
でも、国際特許の切れていないはずの薬のジェネリックが、なぜ作れたのだろうと思ったら、インドは特許制度がゆるく、後発薬の開発が盛んなのだという。
グレー(ブラック?)なジェネリックでも、インドの貧困層やアフリカなどの発展途上国で必要不可欠だからという事情があるようで、ノバルティス社はグリベックの特許認定を求め、インドで裁判をおこしたが、最終的にインドの最高裁で棄却されている。
閑話休題。
近年、分子標的薬やオプジーボのような免疫チェックポイント阻害薬などの新薬が開発され、治療の選択肢も増え、治療効果も各段にあがった。
でもその一方で、万一、そうした薬が治療の選択肢に入るような病気になったとき、私たちは、命とお金の問題に直面せざるをえない。
独占市場でむやみに薬価をあげている場合もあるだろうし、本当にそれだけ莫大な開発費用も掛かっているということもあるだろう。
それは素人にはわからないし、どちらにしても、他に選択肢がなければどうしようもない。
それに、その高い薬価がなければ、ニッチな病気の薬も開発されなくなってしまう。
ちなみに、世界一薬価の高い薬を調べたら、同じくノバルティス社の「ゾルゲンスマ」(一般名:オナセムノゲン アベパルボベク)という乳幼児の難病治療薬で、日本では2020年5月20日から保険適用され、価格は1億6707万7222円!!!
でも、病気の子供を持つ親にとっては本当に心底待ち望んだ薬だと思う。
映画の中で、「命は金だ」というセリフがあった。また、インド製の薬を所持していて逮捕された患者が、警官に、「これは、あなたの身にも起こりうることなのよ」と言うシーンも。
日本は医療保険制度が比較的整っているので、中国のように医療費が社会問題になることはそうそうないかもしれない。
でもこの先、さらにさまざまな新薬が開発され、選択肢が増えたとき、命とお金の問題は、日本も対岸の火事ではないと思う。
]]>それは山西省太原で起きた事件で、警備会社勤務の男性が妊娠中の猫に熱湯をかけ、大やけどを負わせて死なせたという事件。
目撃した人が瀕死の猫を病院に運び込んだものの、母猫もおなかの子猫も助からなかったそうだ。
これがネットで明るみに出ると、男性は職場を解雇され、猫の治療代5000元(1元=約16円)を支払うことになった。
ただ、中国には動物愛護法がなく、その男性を法的に罰することができない。
そこで、動物の虐待防止法をつくるべきだと、世論が盛り上がっているという。
この話は、日本のyahooニュースにも流れていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e5fba729ef84dcd5013c3c33a2a450c69b54c9a7
近年、中国では動物の虐待の話が後を絶たない。
ニュースになるということは、関心も高いのだと思う。
ただ、ラジオ番組のDJは、この種の立法は難しいと言う。
どこまでが虐待なのか、例えば、しつけのために3日、ごはんを与えなかったら虐待なのか、その線引きが難しいと続ける。
それは明らかに虐待でしょ!と思うのだが、日本でも同じような考えの人はいるだろうことを思うと、中国のことは笑えない。
振り返れば、日本の現行の動物愛護法ができたのは、高度経済成長期最後の昭和48年。
それも議員によって発議された議員立法だった。
その後、幾度かの改正をへて、直近では去年の改正でさらに具体化&厳罰化され、虐待にも実刑がついた(それまでは罰金のみ)。
動物を殺傷した場合は、5年以下の懲役又は500万円以下の罰金、動物を遺棄・虐待した場合は1年以下の懲役又は100万円以下の罰金で、現在は、ペットを捨てても、場合によっては実刑判決をうけることもありえるようになっている。
虐待の関連項目を引用すると下記の通り。
―――
第四十四条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、五年以下の懲役又は五百万円以下の罰金に処する。
2 愛護動物に対し、みだりに、その身体に外傷が生ずるおそれのある暴行を加え、又はそのおそれのある行為をさせること、みだりに、給餌若しくは給水をやめ、酷使し、その健康及び安全を保持することが困難な場所に拘束し、又は飼養密度が著しく適正を欠いた状態で愛護動物を飼養し若しくは保管することにより衰弱させること、自己の飼養し、又は保管する愛護動物であつて疾病にかかり、又は負傷したものの適切な保護を行わないこと、排せつ物の堆積した施設又は他の愛護動物の死体が放置された施設であつて自己の管理するものにおいて飼養し、又は保管することその他の虐待を行つた者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
3 愛護動物を遺棄した者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
―――
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=348AC1000000105#299
ちなみに、猫を飼うと、猫が人間をしつけるのであって、人間が猫をしつけるということはあまりないと思う。
例えば、猫があけるドアは猫があけられないように工夫する、猫がのるテーブルで食事をするときはトレイなどを使う(猫に、トイレの砂をかいた足でテーブルにのるなといっても、どうせ飼い主の留守中にのるので)、猫が爪とぎをする壁にはビニールシートなどをはるか、いっそ爪とぎをはるなどなど……。
さて、話を中国に戻すと、中国では最近、TNRについても言われるようになってきた。
TNRとは野良猫を捕獲し、去勢・避妊手術をして、手術済みの目印である耳カットを入れてもとの場所に戻す活動で、戻された猫は地域猫として、一代かぎりの命を生きる、そしてそれにより、殺処分ゼロを目指すというものである。
日本では、志のある各地のNPOやボランティア団体の本当に地道な活動と、行政との協働で少しずつ活動が広まっていると思う。
(でも、それによってボランティアへの負担も大きくなっているとも思う)
一方、中国のTNR活動は萌芽の段階だ。
先日、北京の日刊紙「新京報」を見ていたら、市民からの投書欄に、野良猫や野良犬への無責任な餌やりについての意見が掲載されていて、「お!」と思うことがあった。
その投書には、「良かれと思って、野良猫や野良犬に餌をあげることで、ますます野良猫、野良犬が増え、近隣の人が噛まれたり、排せつ物などで困っている、餌やりをするのであれば、TNRをして責任を持ちましょう」という意見が書かれていた。
実は、我が家の猫も、もともと北京で野良猫をしていた。私が住んでいたエリアは、昔ながらの住人と、いわゆる成金と欧米人が混在するところで、野良猫にえさやりをする人も多かった。
そのため、猫は次から次へと生まれ、アパートの中庭は猫のトイレ場になっていた。
我が家の猫も、子猫を生みシングルマザーとして困窮していた時に出会った。
そこから紆余曲折あって、うちで暮らすことになり、日本まで彼女の子供達と一緒にやってくることになった。
でも、彼女と出会った10年前、北京では、保護した野良猫の譲渡活動をする団体はあっても、TNRという言葉を聞くことはなかった。
ただ、私が彼女の避妊手術をした病院は、院長が韓国人で、野良猫の手術には割引があったので、そのころにはすでに、TNR的なことは始まっていたのだろうと思う。
もっとも、割引価格だと麻酔は国産、正規価格だと確かアメリカの薬といわれ、正規価格を払ったことを今でも思い出す。
あれから10年がたち、今、中国で、人間社会のはざまで生きる小さな命たちの福利厚生にも、目がむけられるようになりつつあることが、感慨深い。
そしてこれから先、動物愛護法がどのように形なっていくのか、あるいはやはり当面、形になることはないのか、とても興味深い。
なぜなら、動物愛護とは、人間を取り巻く人間以外の命を前に、交錯するさまざまな価値観について考えることであり、そこには社会のありようが投影されると思うからだ。
TNRしかり、保護した猫の譲渡しかり、飼育のしかたしかり、猫なんて適当にえさやっとけばいいんだよ!という人もいれば、猫は大嫌いだから一匹残らずいなくなってほしいという人だっているだろう。
中国の「動物愛護」がどのような方向に向かうのか、よい方向に向かうことを願って、少しだけワクワクする。
]]> 間伐材からストローをつくるまでが試行錯誤の連続で、さらに完成後も、記者発表会の直前にあり得ないトラブルであやうく頓挫しかけるというようなこともあり、でも最終的には完成した木のストローは、昨年のG20のすべての会合で採用され(たぶんトランプ大統領も飲んだ、はず)、さらに横浜市では、市所有の森林の間伐材を使い、市内の障害者施設で製造し、市内のホテルで消費するという地産地消モデルまで生まれた、という下町ロケットばりの実話です。
木のストローは今年の地球環境大賞(農林水産大臣賞)も受賞しています。
読み物として純粋に面白いと思うので、お時間あるときぜひ!
ちなみに帯を外すと裏側に木目が印刷されていて、木のストローのレプリカを作れます。
(表紙をクリックするとAmazonにとびます。アフェリエイトではありません)
]]>
https://comment.bjd.com.cn/2020/10/10/8961t112.html
なんでこんな話がニュースになるのだろうと思ったら、中国では、空前の旅行ブームのなか、旅先の路上で写真をとりまくる人があとを絶たないそうだ。
青海省のゴルムドには「網紅公路(映えロード)」と呼ばれる記念撮影スポットがあり、旅行客がこぞって道路の真ん中で写真をとっていて、たびたび事故が起きているという。
この場所にかぎらず、ツアーガイドの中には、客の行為を止めるどころか、道路の真ん中で写真を撮ることを「売り」にしている人もいるそうだ。
もともと写真大好きなお国柄。さらに近年は、微信(ウィーチャット)や微博(ウェイボー)に、映え写真をあげてプチ自慢をして「いいね」しあう、みたいな風潮の中、さもありなんという話である。
そして、記事では、「今回の賈青の件は、単にゴシップではなく、一種の警鐘である。誰もが自分の命の安全を第一として、景色がどれだけ美しくても、写真がどれだけきれいにとれても、安全あってこそ人生が楽しめるということを忘れないようにしましょう」としめくくる。
「そんなこと、あえて言う?!」的なニュースのなかに、中国の世相を垣間見るようである。
]]>係員は、窓口での新規開設の手続きの受付は2時までで、ネットならいつでも開設できると言うのだが、女性はスマホもパソコンもない、午前中はパートで2時までには来られないと困惑している。
そもそも、新規開設が2時までという案内はどこにもなく、フロアも特に混んでいるわけではない。
また、他の銀行に行こうにも、昨今の支店統合で、近所に店舗のある銀行は、ここしかない。
そこに、母親と大学生らしい息子たちもきて、やはり新規開設をしようと思ったようだが、係員と女性の話を聞いてとまどっている。
結局、二組とも、あきらめて帰っていった。
これが中国で、自分の身に起こったことだったら、もうちょっとごり押しするだろうなと思いながら見ていたのだが、そもそも、中国の銀行で、時間内に来た新規の客を追い返すということは考えにくい。
以前、ネットバンクを開設したときは、サービスカウンターにパソコンがおいてあり、客が操作するのを係員が手伝ってくれたし、スマホの設定がわからないというと、私のスマホをちゃちゃっといじって、設定してくれた。
ついでに、銀行からの(不要な)投資案内などお知らせも届くよう設定されていた。
日本の銀行では、こういうサービスは、セキュリティ問題うんぬんで難しいかもしれないし、中国の銀行のサービスがすばらしいと言いたいわけでもない。
ただ、営業時間内にもかかわらず、せっかく銀行まで足を運んだ新規顧客を追い返すというのは、いったい日本の銀行で何が起こっているのだろうかと思ってしまう。
今、日本で起きていることの末端の光景を見た気がしなくもない。
]]>「人設崩塌」というネット用語がよくつかわれるようになって数年になるという。
「人設」は、「人物設定」の略語、日本のアニメ漫画由来。「崩塌」はそのまま「崩壊」。
主に、芸能人や中国的ユーチューバー(中国の場合はティックトッカー)などの有名人に対して使われる。
たとえば、清純派のタレントが暴言を吐いているところを暴露されて「人設崩塌」、誠実さが売りのキャスターが実は金の亡者で「人設崩塌」、高学歴という触れ込みの俳優が実はそうではなかったとばれて「人設崩塌」という具合。
イメージ失墜、というニュアンスが近いだろうか。
日本でも、有名人が何かとイメージ失墜しているけれど、それがネット用語になるようなことはない。
思えば中国は、ほんの少し前まで、テレビや映画のスターは、雲の上の人だった。いろいろゴシップはあったけれど、それもあくまで、雲の上のゴシップだった。
ところがこの15年ほどの間に、中国はあっという間にネット社会になり、特にこの10年足らずで、「ネットの有名人」というある種の「職業」が出現した。
誰でもネットで有名になれるようになり、それは金儲けの手段にもなった。
「人設崩塌」ラッシュの背景には、利益優先の道徳欠如があると指摘する人もいる。
そう考えると、日本にはない「人設崩塌」というネット用語には、中国のネット社会の虚実が投影されているようである。
]]>
重慶市武隆区白馬山の観光スポットに今年1月にできたアトラクションで、その名も「飛天之吻(飛天のキッス)」。
これはやばい、やばすぎる……。
高さ1000メートルのがけの上に作られていて、飛天の高さは55メートル、収容人数は60人、とのこと。
https://baijiahao.baidu.com/s?id=1667579862802838170&wfr=spider&for=pc
近年、中国では、どひゃっというほど度肝を抜くアトラクションが増えた気がする。
重慶の奥陶記景区の高所アトラクションしかり、武漢の漢秀劇場しかり。
数年前、杭州に、富士急ハイランドの世界一歩行距離が長いお化け屋敷「戦慄迷宮」の慈急総合病院を、ちょびっとひねった慈急病院なる中国版お化け屋敷ができ、「ギネス認定!」「富士急と提携!」とほらを吹いて、物議を醸したこともあった。
このときに思ったのだが、日本のアトラクションは「作り込み」が売りになるのに対し、中国はどちらかというと、規模の大きさと見た目のすごさのアプローチが強い気がする。
アトラクションではないけれど、湖南省の張家界の峡谷には、「雲天渡」という全長536メートル、幅6メートルのガラスの橋なるものも登場した。
https://baijiahao.baidu.com/s?id=1652240680302659141&wfr=spider&for=pc
また、各地の観光スポットでは、崖から飛び出す方式のブランコや、虹色(!)の巨大スライダー、筒状のガラスの中に水を流しそこを滑るスライダーといった目新しい刺激系アトラクションも増えているという。
https://baijiahao.baidu.com/s?id=1666360151975896398&wfr=spider&for=pc
https://www.sohu.com/a/319238592_100285731
ただいずれも、アトラクション名のあとに「事故」をつけて検索すると、事故がヒットし、中には人が亡くなっているケースもある。
さらにジェットコースターを検索しようと「过山车(ジェットコースター)、哪里(どこ)」と、中国版グーグル「百度(バイドゥ)」に入力したら、「……最安全(一番安全)」という検索候補が自動で表示された。
話を戻すと、飛天のキッス。そもそも、自然豊かな山を切り崩して、こんなものを作ってしまうのは環境破壊ではないかと思わなくもないのだが、しばらく中国には行けそうにないなかで、いつか行ける日がくるまで、事故も故障もなくぜひがんばってほしいとも、思ってしまう。
追記:その後、実際に体験した人が撮った映像をさがしたもののヒットしない、あるのは行ってみたけど動いてなかった、みたいな映像。あとはネットでダサい、景観を損ねるなどの非難。もしかしてドローンで撮ったような映像はフェイクだったりして、、、と妄想してしまう。
]]>
加强隐患排查,打造安全安心黄金周
http://epaper.bjnews.com.cn/html/2020-09/21/content_789755.htm?div=-1
きっかけは、9月に重慶の奥陶記景区で起きた墜落死亡事件。
この奥陶記景区は、がけっぷちからとびだした透明の回廊など、高いところ好きにはたまらない(私にとっては背筋の凍る)高所アトラクションで知られた観光スポットである。
http://www.mafengwo.cn/gonglve/ziyouxing/53288.html
高所好きの方はぜひクリック!↑
このアトラクションの一つで、高さ数百メートルのがけの上に設置された「高空速滑」という高速リフトから人が落下する映像がネットに流れて騒然となった。
後日、当局の発表によると、作業員が宣伝用の映像を撮影しているときにあやまって落下し、残念ながら亡くなったということだった。落下の原因は調査中とのこと。
また、同じ9月に、無錫の遊園地のジェットコースターで、利用客20名が宙づりになる事故や、武漢の漢秀劇場で二人が死亡する事故などが続いている。
劇場で、なんで人が亡くなったのだろうと思ったら、この劇場、実は度肝を抜くほどすごくて、演出の途中で水が噴き出したり、一部の座席は演出にあわせて移動するようになっているのだという。
ただ、座席には安全バーなどはなく、移動中、椅子から落ちた子供を助けようとした夫妻が回転する座席に挟まれて亡くなったそうだ。
こうした事故をふまえ、新京報では、今年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、ながらく営業を休止していた施設も多く、また再開にあたり、資金面などの理由から、十分な安全検査がなされていないところもあるかもしれないので、「隠れたリスク排除の強化を!」と、さくっと怖い警鐘を鳴らす。
思い出すのは15年以上前、まだ中国がこんなふうにリッチになる少し前のこと。
北京の銀座、王府井に移動式の回転ブランコが出現したことがあった。
「わー、乗ってみたい!」と無邪気にお金を払おうとした私は、中国人の友人に強く止められた。「中国のこういうものは、安全性に問題があるから、絶対にやめておいたほうがいい」と。
あのときから比べたら、今の中国は全く別世界のようだ。国はリッチになり、アメリカと丁々発止でやりあうほど強大にもなった。
ただそれでもいまだに、社説で「安心安全」が唱えられるほど、一般庶民の「安心安全」が担保されないことがあるということに、少々複雑な気持ちになる。
※最近、中国の新聞がすっかりつまらなくなってしまい、あまり見ていませんでした。
以前は、言論の自由が保障されていないなかでも、緻密な取材に基づいた骨太な報道があったり、庶民目線の世相を反映したたのしげな記事があったりして、眺めるだけでもわくわくしたのですが、この数年、読み応えのある記事を目にすることがぐっと少なくなったように思います。いまの政権が続くかぎり、新聞が面白くなることはないかもしれません。
また、情報の取り方もすっかり様変わりし、今、旬の情報源は、もっぱらWECHATのグループ内に流れるネット記事、ということも関係しているかもしれません。(ちなみに今はトランプ大統領の新型コロナ感染関連の話がホットなようです)
ともあれ、新聞もネットニュースも、見方次第かなあと思うこともあり、ぼちぼち、ブログも再開してゆければと思います。気が向いたときにのぞいていただけましたらうれしいかぎりです。(またご無沙汰にならないように精進します!)
]]>本書では、「ファッションとは文化でありビジネスであり 生きることである」と語る栗野さんに、社会の流れを読むこと、洋服を着るということについて、深く切りこんでいただきました。
新型コロナで一転した世界では、お洒落をして集まることもなかなかままなりませんが、今日、何を着ようかなと考えてみること、どんなおしゃれをしようかなとわくわくすることが、そのまま生きる、ということにつながっているのだなあと、(ファッションにうとい)私でも感慨深くなる一冊です。
そもそも、おしゃれとは何かも考えるきっかけとなりました。
全然、おしゃれではない私は、なんとなく流行って苦手、と思っていたのですが、「仮に長いスカートが流行ったとして、本当に流れをつくる人というのは、初めに長いスカートを世に出す人である。そして、「長いスカート」が流行になるのには、必ず理由がある」というお話、だからこそ、社会の潮流をよみとくことが大切だということ、そのために常日頃どのようなアンテナをはっているのか、小売りとしての矜持などなど、アパレル業界から遠いところにいる私にとっても、多くの学びをいただきました。
ぜひ多くの方にお手にとっていただけましたら幸いです。
※下記のタイトルまたは写真をクリックしていただくと、出版社の頁にとびます。
そこからAmazonなど購入サイトを選択していただけます。
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■体裁
・四六判 276ページ(口絵4ページ)
・本体1500円+税
・ISBN 978-4-594-08573-5
■出版社 扶桑社
■発売日 2020年8月11日
]]>文学好きのとても聡明な13歳の少女が憧れのカリスマ国語教師に強姦され、その関係から抜け出せなくなり、やがて壊れていくという身もふたもない物語を、繊細なガラス細工のような文体と、語り手の「わたし」が主人公から複数の登場人物の「わたし」へと移ろい、幾層にも重なり合うという難解な技巧によって綴った一編の非常に精緻な文学……、なのだが、実は筆者の体験に基づいた実話であり、筆者が刊行の2か月後、26歳で自殺するという衝撃も重なって、台湾では大変なベストセラーになったそうだ。
訳者あとがきによれば、台湾では「犯人」の教師をあぶりだす騒動にも発展し、疑いの人物はやり玉に挙げられたものの、結局、証拠不十分として不起訴となった。
しかし、その過程で少なからずの教師による未成年の教え子との交際や性的暴力が明るみに出ることとなり、最終的には社会問題となって条例が修正される事態になったという。
大陸でも本書は強く関心をもって読まれたようで、北京の日刊紙、新京報のサイトには四周忌にあたる今年4月にも、筆者の命日にあわせて、とても長い追悼記事が掲載されていた。
その一方で、本書が単に性暴力の告発本でないことは、筆者本人が亡くなる一週間ほど前の取材で語っている。
本書は、「誘惑された、あるいは強姦された女の子の物語」ではなく、「強姦犯を愛した女の子の物語」だと言いたいという。
そして「そこには愛という文字がある。いわば思?の運命が後戻りできない破滅に向かっているのは、彼女の胸が優しい気持ちにあふれ、欲望があり、愛があり、ひいては最終的に性があるから。だからこれは決して彼女の怒りの本でも、告発の本でもないのです」ともいう。
と同時に、「かすかな希望を感じられたら、それはあなたの読み違いだと思うので、もう一度読み返したほうがいいでしょう」と読者を突き放し、「全ての読者に思?と同じ苦痛を感じてほしいし、罪が救われると思ってほしくない」と、読み手に苦しさをなする。
そして多くの読者が本書を読んでとにかく苦しいと思いを吐露する。
あるいはどうしたら彼女を救えたのだろうかと苦しさを募らせる。
いろいろな読み方ができる本だと思うので、何が正解で何が不正解ということはけしてないだろう。ただ感じたのは、彼女を追い詰めたものは、彼女を取り巻くそういう善意に溢れた「普通の世界」だったのではないか、ということだ。
かつて 『平気でうそをつく人たち』や『良心をもたない人たち』という本がベストセラーになったことがあった。
サイコパス、という言葉も流行った。
人をある種の単語で分類し単純化することの是非はともあれ、実際、これらの本に記されるような、社会的には実に「善人」であり優秀であり魅力的であり、しかし、「普通」の人が関りを持つと心を破壊され地獄を見るはめになる、という人は、世の中には確かに存在する。
もっとも、彼ら自身も「普通」に存在しているだけなので、本当に何が「普通」なのか、わからない。
ただ、お互いにアナザー・ワールドに暮らしているうちはよいけれど、まじりあうと、大なり小なりの惨事が起こる。
「そういう人」はとても生存能力に長けているので、ちょっとやそっとでは社会的に抹殺されることはない。むしろ、関わったこちら側が抹殺されかねない。だから絶対に近づくべきではないのだが、「そういう人」こそ、実に魅力的で人をひきつけるものを持っているのも確かだと思う。
本書の主人公が「愛してしまった」強姦犯も、筆者を強姦し壊した教師も、そのような人物だったのではないだろうか。
そして、聡明で繊細で、おそらく同年代の子たちよりも少し早く大人になりかけていた少女は落ちてはいけない穴に落ちて抜け出せなくなり、「普通の世界」では精神病と言われるようになってしまった。
もし彼女が、柔らかく暖かい愛というものがある「普通」の世界を知らなければ、あるいはこの小説は生まれなかったかもしれないし、彼女も命を絶つまで病むことはなかったかもしれない。
そう考えるとやはり、彼女を救える方法などなかったようにも思う。
私たちは、往々にして、自分たちの住む世界やその中での価値観しか知らない。
他の世界や価値観がある、ということは、頭では知っていても、その本当のところはわからない。目を向けているつもりでも、結局、自分が見たいようにしか見てないのかもしれない。
ウィズ・コロナというアナザー・ワールドの入口で、私の知らない世界をのぞかされる本書を手に取って、異なる世界、というものについて改めて考えた。
]]>私の自転車はママチャリではないが、電動でもなく、人力のミニベロである。
北京でもよく自転車を使ったが、北京の街中にはおよそ坂というものがない。だから「坂」という中国語も使った記憶がない。
一方、東京はとにかく坂だらけ。とりわけ最近はずっと電車に乗らず、用事のあるときは自転車で移動していたので、東京の坂が身に染みる。
特に私が住む豊島区の大塚というところは、少々低いところにあるようで、ここから山手線内エリアを移動しようとすると、たいていの場所は長い坂を上らなければならない。
例えば東大農学部。一昨年、猫の抗がん剤治療で農学部内の動物医療センターに半年ほど通ったのだが、ここは坂の上にある。このため、大塚から後楽園までゆるゆると上ったあと、春日駅をすぎたあたりから、さらに傾斜のきつい坂を上ることになる。
それでもまだまだ序の口で、音楽でいえばフォルテくらい。東大農学部の手前数百メートルまでくると、傾斜はフォルティッシモに達し、オーケストラでシンバルがバンバン鳴っている感じ。
さらに東大から上野まではほぼ一直線で行けるのだが、今度は谷中まで一気に坂を下ったあと、上野のお山まで、何かの罰ゲームのように上り続けることになる。帰りはこれを逆に繰り返す。
自転車愛好家には坂マニアがいるそうだ。急な坂は「激坂」と称され、坂マニアたちを魅了してやまないようだが、私はただの自転車乗りなので、できれば道は平らなほうがよい。
先日、麹町の友人宅に届け物をしに自転車で行った時には、道中、上るか下るかのオール坂だった。
中でも神楽坂に出る手前、赤城神社脇の道は、徒歩でも前のめりにつんのめりそうな急坂で、自転車ではとうてい上りきれず、早々にあきらめ、押して歩いた。ついでに麹町も坂だらけ。お金持ちエリアはたいてい坂の上にある。
急坂といえば、曙橋の近くに急傾斜かつ途中でVの字に折れ曲がっている念仏坂という坂(今は階段)がある。
現在、道の両側はビルになっているが、坂名の標識によると、江戸時代は左右が谷で、念仏を唱えて通った難所だったそうだ。
他にも、私は通ったことないのだが、よく行く雑司ヶ谷の近くには都内一の急坂として知られる「のぞき坂」がある。名前の由来は坂のてっぺんの端っこに立たないと、下が見えないくらい急斜面だからだという。
思えば、東京の坂には、さまざまな名前がついている。
念仏坂ように標識を立て、歴史を紹介しているところもある。
そして、気を付けてみていると、坂の名がまたユニークだ。暗闇坂、禿坂などという名前の坂もあったりする。
私は知らなかったのだが、実は東京の坂の歴史文化は深く熱い。坂はいろいろな人に研究され、坂学会なるものもあり、タモリさんが坂道ブームに火をつけてから、坂愛好家もぐっと増えたようだ。そういえば、美女が坂道を駆け上がるだけの「全力坂」という番組もあった。
横関英一著『江戸の坂 東京の坂』によると、江戸の坂は、「江戸が新開地であったがために、江戸以前の古いころの坂名」と「江戸ができたから、とくに徳川の時代にあってからできた坂の名は、少しばかり違っていた」という。
江戸の坂の名は江戸の庶民がつけたので、江戸っ子気質そのまま、「単純明快、即興的で要領よく、理屈がなくて、しかもしゃれっ気があふれている」そうだ。
富士山が見えれば富士見坂、海が見えれば潮見坂、樹木などが茂って薄暗い坂は暗闇坂、急な坂は胸突坂、といった具合(文京区の胸突坂は上記のぞき坂の近くにある)。
江戸っ子にとって、坂名は地名的役割を果たしていたようである。
中にはおいはぎ坂とか幽霊坂のようにあまり人聞きのよろしくない坂の名前もあり、自治体によっては標識をたてていないところもあるらしい。
そこでふと思い出すのが、北京の胡同(フートン)である。
北京の街に碁盤の目のようにはりめぐらされた路地には、かつて一本一本に名前がつけられていた。 北京五輪前後の大開発で古い胡同はだいぶ失われてしまったけれど、胡同の名前は古い路地とともに、まだまだ健在だ。
それらは北京の歴史や北京っ子たちの暮らしと密接に結びつき、金魚胡同や百花深処みたいな趣き深い名もあれば、銭糧胡同、炒豆胡同のように由来がわかりやすいもの、菊児胡同や帽児胡同なんて北京なまりの名前などもある。
中にはストレートすぎる名前もあり、例えば「糞場胡同」は、かつて糞便処理場があったことからそう名付けられたそうだ。
近年、そうしたいささか人聞きの悪い胡同名は改名され、糞場胡同は「奮章胡同」という無難な今風の名前に代わっている。
それでも昔ながらの胡同の名前はいとおしい。そこには、北京の歴史や人々の暮らしが凝縮され、今も残る路地の風景ととともに、北京的アイデンティテイを保っているようだ。
ひるがえって東京の坂の名称にも、かろうじて、江戸の歴史と暮らしの記憶が残る。そう思えば、つんのめりそうな東京の急坂もいとおしく感じるような気がしなくもない。
しかし、東京の街は、北京以上に昔の面影を一掃してそっけなくなり、坂もだいぶ削られたり舗装されたりして様変わりした。
そして、渋谷の道玄坂のラブホ街を昼間、自転車でぜいぜい言いながら走り抜けつつ、道玄坂という坂名に想起するものは、江戸的アイデンティテイより、東京の街が失ったナニカであるようにも思う。
]]>こういうとき、思い返すのは、日々をちゃんと生きる、ということの意味である。
ちゃんと生きる、というのはたいそうなことではなくて、たとえばちゃんと掃除するとか、ちゃんとご飯をつくるとか、ちゃんと身だしなみをするとか、平時ではあまり気にしないような、こまごまとした、でも改めて意識してやってみると、自分はちゃんと生きてるのだと思えるような日々のささやかなことをする、ということである。
なぜ、こんなことを考えるようになったかというと、昨年、乳がんの手術で入院していたときのこと。入院中に(というか、手術の翌日に)、部屋を移動することになった。ベッドごと移動するというのでてっきりベッドに横になって移動するのかと思ったら、おもむろに起こされ、荷物をベッドに乗せて、歩いていくように言われた。
まさかベッドも自分でひっぱってくのかと思ったら、さすがにそれは看護婦さんがあとから運んでくれると言う。
ということで、数百メートル先の部屋へ移動した。(ちなみに、術後すぐくらいから、わりとばりばり元気だったので、歩くことはどうということもなかった)
部屋に入ってすぐ、お隣さんとなる窓際のベッドスペースが目に入った。
ちょうどカーテンが開いていて、お隣さんは留守だったのだが、その空間は花であふれ、見た瞬間に、「ああ、このベッドの方は、ものすごく周囲から愛されている方だなあ」とそんな気がした。
それからほどなくして、私のベッドが到着し、荷物をバタバタ整理していると、私より少し年上くらいの女性がよろよろと部屋に戻ってきた。しんどそうだったので、元気に挨拶することがためらわれ、軽く会釈をしたところ、一瞬、足をとめたその女性は少し笑顔になり会釈を返し、そしてまた、ゆるゆるとしんどそうに、花に囲まれた隣の空間に入っていってカーテンを引いた。
それが隣人の患者さんとの最初の出会いだった。
その女性は、末期のがん患者だった。
私が移動してくる少し前に、余命半年と医者から言われた、という話をカーテン越しに聞いてしまった。
なにしろカーテン一枚なので、会話が全部聞こえてしまうのである。来客中はなるべく席をはずそうと思ったのだが、とにかく見舞い客が多いので、なかなか席を外すということもできない。
見舞い客の他に、毎日、夕方になると、すらっとかっこいいだんなさんがやって来て、病院の食事の時間にあわせ、自分も持参した夕飯を食べていた。お子さんはいらっしゃらないようだった。彼女はすでに食事がとれないようだったが、夫婦のささやかな団らんの時間だったのではないかと思う。
彼女は、おそらくどこかわりと大きな会社で、部長クラスの役職にでもついていたのではないだろうか。
仕事仲間、後輩や上司など会社関係の人から友人、親戚まで、いろんな人が毎日、お見舞いに来ていた。
そして、その人たちに余命宣告を受けたということを、さくっと報告していた。
聞いた相手はたいてい、えっと一瞬かたまる。そこで女性は、「まあこれが半年後に笑い話にでもなればいいんだけどねえ」とフォローをし、相手も「そうだよねえ」と相槌を打って、その後は普通にあれこれよもやま話をしていく。そんなことが毎日繰り返されていた。
いろいろな人がいろいろな手土産を持ってきていた。そのたびに彼女は、「わあこれ素敵! え〜うれしい!!」と、本当にうれしそうに喜びを表現した。
中には食べ物をもってくる人もいて、彼女はおそらく食べられないだろうけれど、同じようにすごく喜んで、カーテン越しに相手がにこにこしている表情まで伝わってくるようだった。
ただ、親しいがん友らしい友人が来たときは、彼女の余命を聞いてショックを受ける相手に、「ごめん、一足先にいくことになっちゃうと思うけれど」と、そんなふうに話した。
そしてだんなさんと二人になると、しばしば痛み止めの麻薬をつかった。患者が自分で操作して鎮痛剤を投与できる機械があり、彼女もそれを使っていた。それを使う頻度は、日に日に増えていくようだった。
でも、だんなさんが来ると、来客中の気合の入った元気とは違う、穏やかな元気に、少しだけなるようだった。
あるとき、だんなさんが「柔軟剤初めて使ってみたんだけどさ」と話をしていたことがあった。「へえ」と彼女。「なんか……」とだんなさんが言葉を区切り、「うん」と彼女が相槌をうつ。
一呼吸おいて、 「柔軟剤って、無駄にいい匂いがするんだな」と旦那さん。
彼女は少し笑ったようだった。
それから、加入したばかりのAmazonプライムを解約しなきゃとか、そんな話をぽつぽつして、静かな暖かい(と、私には思えた)時間が過ぎていった。
私が退院する少し前、彼女は病院からホスピスをすすめられたようだった。
「それもいいんだけれど」と、彼女が旦那さんに話しているのが聞こえた。
「でもそれって本当におわりみたいじゃない」
それからほどなくして私は退院した。
その後、彼女とは会っていない。
でも、ときどき、彼女のことを考える。
カーテン越しのただの隣人という関係で、話もほとんどできなかったけれど、私は彼女をとても尊敬していた。
それは、彼女を通じて、日々を生きる、ということを改めて考えたからだと思う。
昨日と今日がかならずしも同じように続いていくとはかぎらない。
先が見えなくなったとき、あるいはその先に本当の意味でのおわりが見えたとき、できることは、ただ、いまこの瞬間をちゃんと生きる、ということである。
そして、生きることを考え続ける、考えることをやめない、ということである。
そうすれば道が開ける、なんてことは思わないけれど、少なくとも「生きる」という「やること」があるということは、貴重なことだと思う。
不安は何も生まない。
それなら生きること、どうやって生きるかということにコミットしたほうがいい。
と、いうことで、最近いろいろ準備していたことがとんで、いつになった中国に行けるようになるかもわからず、このままいったら、自分の老後問題が深刻化しそうになり、唐突ながら人生で初めて卵焼き器を買ってみた。別に卵焼き職人になろうとかではなく、私はだし巻き玉子を作れないので、ひとまずおいしい卵焼きができたら生きている実感が一つ増えそうな気がしたのだ。
だいたい日本は卵焼き文化がなぜか熱い。専用のフライパンまであるなんておかしすぎる、、、と思いつつ、今のところ上手く作れない。そしてむしろ、失敗するたびに、生きている実感を味わう日々である。
]]>
「はたらく細胞」とは、人間の体内ではたらく細胞たちのスリリングな日常を擬人化した大人気コミックおよびアニメ。「〜BLACK」は、不摂生した人間の体内ではたらく細胞たちの、とってもブラックな日常を描いた、さならがらホラーのようなコミックである。
「はたらく細胞BLACK」のPVアニメはこちら
https://www.youtube.com/watch?v=_hpb6P9gurA
この「〜BLACK」、主人公の赤血球が(おそらく輸血かなにかで)別の体内に運ばれてくるところから始まるのだが、その体が糖尿病で、腎臓の糸球体は糖分のとりすぎでへろへろ、膵臓のランゲルハンス島のβ細胞にいたっては自殺してしまう、みたいな中で、赤血球はせっせと酸素を送り届けようとするも、次から次へとトラブルが起き続け、働く意味を失いかけてしまうといったストーリーある。
(なお、はたらく細胞の内容には、科学的に間違っているところもあるそうなのだが、そもそも細胞がヒト化している時点でファンタジーである)
では、なぜ、ダイヤモンド・プリンセス号で「〜BLACK」がリフレインしたか。
これはまたとても失礼な書き方になってしまうかもしれないのだが、感染症が発生した巨大なクルーズ船という難しい環境に加え、おそらく政府や船会社など多数の大人の事情が複雑に絡みあうであろう非常に困難な状況で、問題の収束をはからなければならないというミッションは、ブラックな体内環境で壊れそうになる体を、なんとか正常に保とうとはたらく細胞たちの仕事のようだと思ってしまったのである。
もともと健康体であれば、きちんと薬飲んで、はやく寝て栄養とってというごく一般的な正攻法で問題は解決するかもしれない。
でも、厚労副大臣が船内のゾーニングの状況として、「左手が清潔ルート、右側が不潔ルートです」と、ルートの先が一つの部屋につながる写真をTwitterで告発?するもあっという間に削除する、みたいな謎なことがおきている状況で、正しいことを正しくせよというのは、とてもとても無理ではないだろうか。
でも、こういう状況になると、正しいことを正しくすべしと声高にとなえる人たちがメディアでもネットでもたくさん出現してきて、「はたらく細胞」的にいえばサイトカインをばらまく活性化した樹状細胞のようである。
サイトカインは本来、体を守るためにつくられるものだけれど、放出しすぎると、自分の免疫機能で自分を壊してしまうそうだ。
もちろん確かに、ダイヤモンド・プリンセス号については、他にやりようがあったのかもしれないし、少なくとも困難だという状況自体をもう少しうまく外部に伝えられていたらどうなっていただろうかと素人考えでは思う。でもそこには、どんな状況でも「きちんとやっています」と言い続けなければならない事情があったのだろうか。
思えば、今の日本自体が、BLACKな人体そのものなのかもしれない。これまでは、いろいろ不具合が出つつも、まあまあやってこられた。しかし、実際のところは、まるっと臓器移植して若返るみたいなSFなことがないかぎり、もはやちょっとの運動や栄養管理で健康な体に戻るような状況ではないようにも思う。
となると、まずはこのBLACKな体内で、BLACKなりにどう生き延びるかを考えるかのほうが現実的ではないか。この国で、炎症がおきるたびにサイトカインを放出する人々をみているとそんなことを考えてしまう。
]]>ひとまず税務署に電話をしてみると、リフォームの内容によって、資産と修繕とにわかれ、計上の仕方が異なるので、どれが何にあたるか、税務署まで出向いて相談を、との回答だった。
それはさすがに面倒くさい。数日後、もう少し別の方法がないかと思い、改めて電話をしてみた。
すると今度は、「その内容と金額なら、まとめて資産的支出となるので、減価償却費として計上できる」とのこと。
では、耐用年数はどうしたらよいのかと問うと、リフォーム費としては耐用年数の規定がないので、マンションの新築時の耐用年数、すなわち47年を適応するしかないという。
200万円くらいのリフォーム費用を47年かけて償却するというのは、なんか変である。というか現実的ではない。
そこでまた後日、もう一度、税務署に電話をしてみた。電話口に出たおじさんは、これまでの2人より、あきらかに知識が豊富そうで、「賃貸に出したマンション自体も、法定耐用年数内であれば、資産として計上して、減価償却できるはずです。(中略)平成19年3月31日以前に取得したものであれば、(中略)もう少し短く償却できますし、2年目以降は、リフォーム費と合算できて(後略)」といって、なにやらたくさん専門的な解説をしてくれた。
が、(略)の部分は専門用語のオンパレードで、さっぱり理解できなかった。(理解できなかったので、上記の内容も間違っているかもしれない)
「ありがとうございます」と電話を切りつつ、途方にくれた。
3人の回答がそれぞれまったく違うところが、なんだか北京に戻ったようである。
とりあえず、気を取り直し、3人目のおじさんの内容をところどころ思い出しながら、ネット検索してみた。
で、見つけた。国税庁のページに、「中古資産を非業務用から業務用に転用した場合の減価償却」とか「中古資産の耐用年数の計算式」なるものが解説されていた。
それは素人がぱっと読んで理解できるような内容ではなかったけれど、これを頼りにもっとわかりやすい解説を探してみると、税理士さんのホームページなどで、具体例付の計算式が出ていたりして、ようやくなんとかなりそうである。
こうして最終的にはきちんとした規定にたどりつけ、しかしそれがまたおそろしく複雑でややこしい、というところに、やはり自分は日本にいるのだということを実感する。
]]>何が釈然としないのか、釈然としないまま、ただ、はっきりしているのは、1月23日、武漢が封鎖された直後、北京の恩師にEMSで送ったマスクが、29日に北京に到着して以来、ずっと未配達のままになっているということと、1月31日に別の恩師に、やはりEMSで送ったマスクが、いまだに日本すら出ていないということ、そして私が知るかぎり、薬局からもスーパーからもマスクが消え、Amazonやオークションサイトで販売されているマスクがえらく高騰している、ということである。
思い返せば、2003年、私の北京生活は、SARSの到来とともに始まった。
別にSRASを狙って留学したわけではないけれど、留学した直後にSARSの大波が来て、大学外に暮らしていた私は、大学に入ることすらできなくなった。そして町は人の気配がまばらになり、ちょっとしたゴーストタウンのようになった。
それでも、当時は日本でマスクが買えなくなるような事態も聞かなかったし、そもそも、日本に大量の中国人がやってくるということは全く想像すらできなかった。
改めて、この10年で、日本と中国はフラットになったと、しみじみ感じる。
私は、フラットになるということはよいことだと思っていたし、それはいまでも変わらない。考え方や価値観に大いなる違いがあっても、育ってきた背景が全く異なっても、それでも、どちらがどちらに行っても、来ても、上とか下とか関係なく、フラットに向き合えるということは、とても大事なことだと思う。
しかし同時に、日本のようなちっちゃな国が、中国のような巨大な国のすぐ隣にあり、人やモノの流れがフラット、もしくは大→小という関係下で起きるマイナスのインパクトについて、この国は無力だとも感じる。
実際、マスクが買えない問題に対して、関係省庁が買い占めがおきないよう通達を出したり、首相官邸がマスクの予防効果はいまいちというお知らせ?を出すという状況である。EMSの大幅に遅延については、もうなすすべもない。
なにかとサバイバルな隣国で生まれ育った人々であれば、おそらく、政府がいくら冷静に対応をとか、マスクの予防効果がいまいちと言っても、そんなのどこ吹く風で、買えるだけのマスクをとりあえず買うだろう。
私が暮らす日本は、私が生まれてからこれまで知ってきた日本とはもはや違うのだと、改めて思う。
それでも、この国を動かしている人々にとっては、相変わらず、従来通りの日本であることに、どこか釈然としないものを感じつつ、巣鴨の場末の薬局に、わずかに残ったマスクを見つけて、思わず、買い占めてしまうのである。
]]>きっかけは、中国武術の師から、「君の個人的問題は解決したのか?」と聞かれたこと。
個人的問題ってなんだろうと思ったら、結婚問題のことだそうだ。
今生では解決しそうにないと告げると、師は、数年前にシングルになった北京の男性がいるので、会ってみないかという。
もう明日には東京に帰るという日で、できれば練習に集中したかったのが、断るのも失礼な気がして、会ってみますと返事をした。
すると、師は、おもむろに、その場で電話をかけ、男性を呼び出した。
生徒さんの一人だという男性は、わりと遠方にいたそうなのだが、師に呼ばれ、とりあえずやってきた。
それからぽつぽつと話をして、WECHATを交換し、東京に戻ってからもぽつぽつとやり取りが続いた。
日本には行ったことがないが、北海道には行ってみたいというので、では今度、北海道で集合してはどうかと提案し、それはいいねと、相手も乗り気だった。
それでふと、日本と中国の、人の距離の近さに、しみじみした。
これが10年前なら、おそらくWECHATの前身のQQで、ちょっとしたメッセージのやりとりは続いたかもしれない。だが、当時、スマホはなかったので、パソコンを立ち上げているときでなければチャットはできなかったし、何より、北海道で集合しようなどということは、ビザや経済状況などの諸事情で、簡単に言い出せることではなかった。
それがいまや、WECHATのビデオ通話でいつでも顔を見て話ができ、北海道で会わない?的な話が気楽にできる。なんなら、向こうのほうがよほどリッチなので、逆にこちらが自分のお財布事情を気にしてしまうくらいである。
さらにこの先、5Gが普及していけば、目の前にいるバーチャルな相手と話をするような時代になるのかもしれない。
昨今は、クローンペットのように、死んだものとの距離も大幅に「短縮」されるくらいだから、生きている人間の「距離」はますます近しくなるようである。
と、思っていたものの、あるときから少々、状況がかわった。
それまでは、もっぱら、WECHATの文字メッセージで、やりとりをしていたのだが、音声チャットでやりとりするようになってから、相手の音声が再生できなくなったのだ。
WECHATには、いちいち、文字を打ち込まなくても、しゃべればそれが録音されて、音声メッセージとして相手に送信できるトランシーバー的な機能があり、文字を打つのに慣れていない、もしくはそれをまだるっこしいと感じる少なからずの中国人が多いに利用している。
くだんの彼も、「文字より声のほうが、温かみがあっていいじゃん」と、音声メッセージを送ってくるようになった。ところが、これがなぜか2回に1回かそれ以上の割合で、再生されないのである。
最初は私のスマホの問題かと思ったものの、他の友人の音声メッセージは、どんなに長くても再生できる。
ということは、音声メッセージになんらかのフィルターがかかっているのかと、妄想してしまう。
メッセージの内容はまったくもってたわいのないことだし、あまりなんでもかんでも、当局のせいにするのもどうかと思うのだが、それ以外、どんな理由があるのかさっぱり思いつかない。
そして、再生できないので、返事もできず、毎回、「再生できない」と相手に伝えるのも、なんだか言い出しにくく、結局、そのままフェイドアウトした。
そして、思うのである。
近年、技術の著しい発展で、人の「距離」はますます近しくなるものの、こと、中国においては、その技術の発展ゆえに、距離がますます遠くなることがある、かもしれない、と。
そんな次第で、私の個人的問題は、やはり今生には解決しそうもない。
【ブログを見てくださるみなさまへ】
本年も、拙ブログを見てくださり、本当にありがとうございました。
今年は、個人的にはささやかながら人生最大の(と思いたい)ピンチの年で、なかなかブログも更新できませんでした。
でも、私の乳がん治療も、あとはホルモン剤を粛々と5年間飲むだけとなりました。少し前、副作用の関節痛が出て、足の悪いお年寄りのように立ち上がるのにプルプルしていましたが、いまはすっかり元通りです。
最近、太って、バイト先の検診では、代謝異常でひっかかりました。かかりつけ医に、「これも副作用ですか」と聞いたら、「みんなそういうけど、だいたいは手術終わってほっとして、元気になって、食べ過ぎるんだよ!」と、一蹴されました。
老人ホームに入った両親は、慣れないながらも落ち着き、カラになった実家も、ちょうど、借り手が見つかったところです。
昨年、腎臓型リンパ腫というわりと珍しい病気で死にかけた猫1は、今年初めまで続いた抗がん剤治療が劇的に効いて、この1年、寛解状態を維持しています。
腎不全末期で闘病していた猫2だけが、残念ながら先日、天国に引っ越ししてしまい、一瞬、食事がとれなくなりましたが、すぐに元に戻り、あいかわらず体重が減りません(やっぱり副作用だと思うんですけど…)。
そんなこんなでいろいろあり、本当にたくさんの方に助けていただき、元気を頂戴した1年でした。
また、ぼちぼち更新してまいりますので、気が向いたときにのぞいていただければうれしいです。
そして最後に、いま、困難を抱えている方々に、おだやかな時間が戻ることを切に願っています。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
]]>この1年、飼い猫1がリンパ腫になり生死をさまよったのち奇跡的に復活するも、自分の乳がんが発覚、チャッチャッと切って退院したら、今度は飼い猫2が重度の腎不全であわや天に召されかけ、なんとかもちなおしたのもつかのま、続いて母親が重度の心不全で入院、父親に軽度の認知症が見つかり、二人とも老人ホームへ転居、その手続きを私が一手に担うことになり、その後も実家の片づけ、リフォーム、賃貸手続きとノンストップで、全然、北京に行く余裕がなかった。
次から次へと飛んでくるトラブルを打ち返しているうち、心が腐ってもげそうになり、あるとき、いつも利用していた海南航空のページで、10月の北京行きのチケットをポチるところを妄想しつつ楽しんでいたら、うっかり本当にポチってしまった。
ということで先日、ちょっと無理を押して、久しぶりに北京に行ってきた。
でも、日数はたった3日。それも明け方に北京に着いて、次の次の日の真夜中に東京に戻るというスケジュールで、その間にいくつかの用事を済ませ、武術を習い、友人にも会わねばならない。
その用事の一つが、北京の工商銀行でパスポート番号を変更するというミッションである。
1年前、パスポートの更新にともない、北京の銀行へ、口座に登録したパスポート番号を変更しに行ったところ、カラの定期預金の通帳を持参していなかったため、変更できないと言われた。
すったもんだしてねばったもののどうしてもだめで、結局、その時は断念せざるをえなかった。
今回はそのリベンジで、探しておいた定期預金の通帳と新旧のパスポートに銀行カード持参という万全の準備で、いつものなじみの工商銀行に向かった。
時間がないので、すみやかにおわらせたいのだが、とかくすんなり行かないのが北京の銀行である。行く前から緊張して、吐きそう。
まず、総合案内で要件を聞かれ、パスポート番号の変更を告げる。受付の若い女性は、ちょっと困った感じで一瞬固まり、トランシーバーでどこかに問い合わせをしている。
「いやいや、前回、定期の通帳がなくて手続きできなかっただけだから」と、窓口に案内してもらおうと思っても、「ちょっとお待ちください」と足止めされ、待つこと数分。
しばらくして、「パスポートは新しいのと古いの両方もっていますか?」と確認され、「もっていますとも!」と即答。
パスポートを見せるように言われ、差し出すと、パラパラめくっていたお姉さんの手が止まる。
「ビザは?」と問うので、1週間以内の滞在なのでビザはない旨をつげたところ、またどこかにトランシーバーで問い合わせている。
おそらくなのだが、近年、滞在ビザがないと、そもそも銀行口座を開くことができないようなので、その関係で確認が必要なのかもしれない。
どきどきして待っていると、ほどなくして、「どうぞ」と無事に番号札を渡してくれた。
さあ、これでようやくミッション完了か、と思いきや、今度は窓口で、係員のお姉さんがパラパラとパスポートをめくり、手を止めた。
「ビザは?」
「だから1週間以内の滞在で〜」と、同じ答えを繰り返すと、お姉さんは隣のブースの係員に、「ねえ、これって、できるんだっけ?」と聞いている。
「いや、できるから! いま、受け付けで聞いてもらってオッケーだったから!」と言ったら、ガラス張りの係員側の音がこちらに聞こえないよう、お姉さんは手元のマイクのスイッチを切った。
でもこちら側の音は向こうに聞こえるはずので、「確認して! 大丈夫なはずだから!」と言い続ける。
すると、ブースの奥にいた責任者らしき年配の女性がやってきて、窓口のお姉さんに何か話をしている。
やがて、マイクのスイッチが入る音がして、お姉さん曰く、「手続きできるようです」。
「だからできるって言ったんじゃん!」という言葉を飲み込み、粛々と手続きを待っていると、10分ほどで完了。
こうしてようやく、1年越しのミッションを達成することができた。
その後、北京在住の友人にこの話をしたら、「外国人慣れしている銀行なら、手続きはやいよ」とのこと。確かに、私がいつも行く銀行は、外国人率の低い胡同(フートン)内のローカルな工商銀行である。
次にパスポートを更新する10年後は、どこの銀行支店もフラットなサービスになっているだろうかと思いつつ、結局、なじみのローカルな工商銀行でやはりすったもんだしていそうな気がする。
]]>北京の胡同(フートン)では、夕方近くなると、夕刊売りのおじさんの声が響く。おじさんは、荷台に新聞をいっぱいつめた自転車をゆっくりこぎながらやってきて、時折、自転車をとめ、新聞を売り、客と一言二言、言葉を交わしたあと、また「ワンバオ! ワンバオ!」と、路地を進んでいく。
ワンバオ、すなわち「北京晩報(ベイジンワンバオ)」は、北京っ子の愛読紙で、特に夏場の夕暮れ時は、シャツを胸の上までたくしあげたおじさんが、路地の道端に置いた小さな椅子に腰をおろし、くわえタバコで、新聞を広げている光景をよく見かけた。
このワンバオ、ずいぶん前からネットでそのまま紙面が見られるようになっていて、東京に戻ってからも暇があると愛読している。
トップの共産党通信的ニュースはあまり変わらないようだが、後半の北京の三文ニュース的話題に時の流れを感じる。
あるときは、自転車のハンドルにつけるアヒルライト「破風鴨(ドラフトダック)」が、中国版インスタ映えするということで流行り、明るすぎるライトと漕ぎ手の注意散漫から事故が起こりやすくなると注意を促したり、あるときは、銀髪族すなわちシルバー世代がSNSにはまって、自分のカラオケ動画をTikTokでシェアしあっていると報じたりする。
スーパーで売られている米を例に、ブロックチェーンを解説していることもあれば、科学系の一般図書の編集がダメすぎて誤植だらけであることを突っ込んだり、ネットで個人情報を漏らすことは罪にあたると警鐘を鳴らしたりすることもある。
超市买大米 你想到“区块链”没?
http://bjwb.bjd.com.cn/html/2019-10/31/content_12426249.htm
あるいは、最近、流行りのペットカフェの衛生リスクは誰が管理するのかと問題提起したり、マンションの窓に設置された防犯用の柵の内側に入りこんだ野良の子猫を助けるため119番するのは果たして是か非かという論争を展開したりする。
また、北京全市で子供の眼鏡着用率が58.3%に達したことが報じられることもあれば、子供たちが膨大な宿題を抱え寝る間もないような現状を改善するため、浙江省教育庁が、宿題を夜9時までに終えることができなければ親の監督のもと、宿題を拒否してよいという新たな法案を出したことが真面目に報じられることもある。
法案といえば、北京市では現在、「路上環境衛生質量要求」と「都市道路清掃質量と作業要求」の基準を定める準備が進められているそうで、通勤渋滞の時間帯に清掃車を走らせないとか、党政府の重要機関や大型商業施設などがある一級道路では、1平米に10グラム以上の埃を残してはいけないなどのルールが検討されていることが紹介されていた。
読めば読むほどワクワクする庶民ニュースだが、この数年、ニュースの視野がなんというか近視眼的になっている気がする。そして半径数百メートルな庶民ニュースが増えるほど、その裏で報じられないたくさんのニュースに想いをはせるのである。
]]>中国でも最近、「毒親」という言葉が聞かれるようになったと、心理カウンセラーをしている中国人の友人から聞いた。
中国語では「有毒的父母」とか「有毒的家長」という。興味深い、というと不謹慎なのだが、中国のネットで「有毒的父母」を検索していて気付くのは、虐待やネグレクトなどすぐにでも子供の保護が必要となるような重篤なケースよりも、「毒親未満」とでもいうのだろうか、子供は衣食住をまあまあ満たされており、命の危険を感じたり、深刻に心を病むような状況ではないものの、親に厳しくコントロールされたり、あるいはその逆で放置されているといった状況で、大人になった子たちが、自身の親を「毒親」と称しているということだ。
こうした「毒親」について、個人的に思うことがある。
実は、私の親も「毒親未満」の部類に入るのではないかと思う。
母親は非常にこだわりが強く、過干渉かつ支配的で、私は小さいころ、よくベランダや玄関の外に締め出され大泣きしていたので、近所ではわりと知られた、よく泣きわめく迷惑な子供だった。
父親は逆にまったく無関心でとても浮世離れした人で、高校のころ、「母はメンタル的に何かおかしい、カウンセラーにかかったほうがいいのではないか」と(わりと切羽詰まって)訴えたところ、「お母さんは大丈夫だ」と、あっさりスルーされてしまった。
実家では、私が物心ついてから一度も、家で、家族そろってごはんを食べたことがない。
母は、何かのきっかけで、食卓をともにしなくなり、いまにいたるまで、母と一緒に食事をしたのは外出のときくらいである。
両親の関係は子供の眼からみると冷え切っているようだった。けれど、私が大学に入り家を出てから母の支配の対象は父親となり、生活に無頓着な父は、そのおかげで暮らしがなりたっていたようなところがあった。結局、二人は共依存の関係なのだろうと、今になって思う。
こんな家庭環境だったので、いまでも親との関係はよろしくはない。それは残念なことではあるけれど、近づけば何かとふりまわされ、メンタル的に支障をきたすので、距離をとることにしている。たまに、良心的な人から「自分の親なのだから、とことん向き合えば、分かり合える」といったようなことを言われることがあって、思わず失笑してしまう。
しかしだからといって、親を恨むようなこともない。幸いというか、二人とも善良な人たちだし、倹約家の母のおかげで生活に困るようなこともなかった。むしろ経済的には、贅沢はなくとも十分なサポートをしてもらってきた。私がいま、プラプラしていられるのも、母がしっかり自分たちの老後資金を準備していたおかげである。
もし仮に、日本が今よりもっとカツカツの社会であったら、私は親のことを「毒親」かも?と感じただろうかと、考えることがある。
そもそも「毒親」という言葉が、日本でブームになったのは、この15年くらいのことだろう。
私の親が子供だった時代は、戦争が終わったばかりで、食べていくだけで精一杯だった。子供が健やかに育つような家庭を築かなかったからといって、親が子の責めを負うことはなかったはずだ。
そう考えると、「毒親未満」な「毒親」が盛り上がるのは、平和な時代の産物なのかもしれない。
ひるがえって、中国の「毒親」。
中国の農村ではいまでも男尊女卑がひどく、女の子は家庭内でずいぶんぞんざいに扱われているところがあるそうだ。都市の価値観的には耐えがたい「毒親」でも、農村からほとんど出たことのない女性は、そんなものだと思ってあまり気に病むふうではないと、農村出身の友人は言う。
そんな中で、スーザン・フォワードの『毒になる親』が中国でも出版され、「毒親」という言葉が知られるようになってきたということは、それだけ国が豊かになり、「近代化」したということかと、しみじみする。
ただ、それがハッピーなことかというと、必ずしもそうとはいえない。
なぜなら「毒親」という言葉は、問題を可視化しても、根本的な解決はしないからだ。もちろん「毒親」という定義で救われた人も少なからずいるだろうが、場合によっては、親と子をよりいっそう追い詰める。
中国ではいま、認識されていないだけで、実は「毒親未満」が多いのではないかと感じている。
長い混乱した時代から急速な発展をとげ、価値観も180度転換するような中で、子育てのありようも大きくかわった。
一時、わがままいっぱいに育った一人っ子を「小皇帝」と揶揄する言葉が流行ったが、時はすでにその「小皇帝」たちが家庭を持つ時代に突入している。
そのことが今後、中国社会にどのような影響を及ぼすか、あるいは及ぼさないかはわからない。
ただ、これまではわりと「ひどい」親でも、親は親というような価値観があり、それが、介護保険など社会保障が未整備の中国で、老後のセーフティネットになっているようなところがあった。
ではこの先、 中国の親と子の関係がより「近代化」し、「毒親」がさらに広く認知されるとしたら、老いる中国社会はどのようにかわるのだろうかと思うのである。
【おしらせ】
冒頭で毒親の話をしていた心理カウンセラーの友人が、新ママの心理カウンセリングにコミットした本を、中国で出版しました。
彼女自身、結婚する少し前にキャリア転換し、心理カウンセラーとして歩きだし、その後、結婚、妊娠、出産を経験。人生の大きな変化に悩んだことも多かったそうです。
また、まわりのバリバリ働いていた女友だちも同じような悩みをかかえていて、そんな彼女たちの指南となるような本を書きたいと、子育ての合間に少しずつ執筆を重ねてきました。
思えば日本でも、妊娠、出産する女性の気持ちの持ちようにコミットした本というのは、あまりないかもしれません。
中国語ですが、日本でも購入できます。
もしまわりに新ママになる中国の友人がいたら、ぜひぜひお勧めください。
「转弯:新妈妈的暖心课」
]]>北京のIKEAには、特に夏場、展示用のソファやベッドでごろごろくつろぐ人々が沸いてでるのだが、そういう人々を、「蹭睡族(cèngshuìzú)」というのだそうだ。「蹭」というのはグダグダするといった意味。
中国では、書店で通路にしゃがみこんで、(売り物の)本を読みふけっていたり、銀行の待合室で用もないのに涼んでいる人々がいるのは日常茶飯事で、店員もうるさく追い払ったりしない。
私が留学したばかりの2004年ごろ、仲良くなった中国人に「あれは他の人の迷惑にならないのか?」と聞いたことがある。
すると、「中国にはまだまだ貧乏な人も多いから、みんな多めにみているんだよ。それに言ったところでなくならないし」という話だった。
そういうおおらかなお国柄が中国らしいと思っていたところ、北京五輪のころから公共のマナーについて取りざたされることが増えた。
と、同時に、みんなリッチになりはじめたわりには、というより、それゆえに自分勝手さがエスカレートしてゆくようなところもあって、「公の場を我が物顔に占拠するのはいかがなものか」という、しごくまっとうな論調のネット記事を見るようになった。
IKEAでも利用客のマナーの悪さが、何年も前から話題になっていて、数年前には、店内のレストランにお菓子やお茶を持ち寄り、婚活にいそしむつわもののご年配者たちがやり玉にあげられた。
また、他人がさんざん寝倒したベッドやソファを試しに使ってみたいとは思わないという客の声も少なくない。
そんなこんなでIKEA側も、「レストランは注文する客優先」とか「靴を履いたままベッドやソファにあがらない」など、「それ、わざわざ言う?!」的な通達を出していたように思う。
しかし、その後も「蹭睡族」は健在で、先日、北京の庶民派新聞「北京晩報」には、「IKEAの蹭睡族、ますます」という記事が掲載されていた。
IKEA中国のトップが、記者会見で「IKEAは友人同士で集い、楽しい体験をする場となりたい」と語ったところ、ますます蹭睡族が増えたということで、記事のサブタイトルは「店員談:我々が奨励するのは本気寝ではなく、顧客体験です」。
これはIKEAに限ったことではなく、無印良品の店舗などでも同じ問題があるそうだ。
それにしてもなぜこうも、IKEAのような商業施設で、あけっぴろげに寛ぐ人々があふれ出るのか。
これについて、中国のネットコラムで書かれていたのは、「中国にはお金をかけずに、快適に寛げる公共の場が本当に少ない」ということ。
例えば東京では、街の一角にちょっとした公共図書館があって、平日の昼間には、年配のおじさんたちが涼をとっているのをよく見かける。
けれど、北京で図書館といえば、私が知るかぎりでは巨大な中国国家図書館と首都図書館くらい。近所に地区の図書館はあったものの、ただ本が並んでいるだけの(しかも数が少なく、検索しにくい)小さな施設で、けして寛げるようなところではなかった。
あるいは、ちょっと気分転換に子供を連れだせるような公民館や市民センターのようなものもなく、市民の憩いの場といえば、公園か、せいぜい大きな団地内の公共スペースくらいだろうか。
そんななかで、IKEAのようにお金がかからず、快適な室内で1日楽しめて、寛げるスペースがあると、そこに人があつまる。そして、人々がごろごろしていれば、つい自分もごろごろしたくなってしまうと、という話。
それで、恥ずかしいと思わないかというと、「思わない」。
なぜなら、みながごろごろしているので、とりたててそれを恥ずかしいという気持ちにならないのだそうだ。
もし仮に、「王府井図書館」や「外灘図書館」といった公共施設が存在したら、北京のIKEAや上海のMUJIにわざわざ寝に行く人がいるだろうかと、コラムの作者はつづる。
思えば、北京をはじめ、中国の都市は、都市化の過程で、巨大な商業施設を開発し、高層マンションをバンバン建ててきた一方で、公共施設としての市民の憩いの場は、ほとんど構想されてこなかったのではないだろうか。
そういう都市構造がIKEAの「蹭睡族」を生んでいると考えると、IKEAのソファでべったりくっついて寝こけているカップルにも、ベッドでいびきをかいて爆睡しているおじさんにも、ただマナーが悪いというだけではない「やんごとなき事情」があると、思えなくもないのである。
※北京晩報道:宜家“蹭睡族”变本加厉
(IKEAの「蹭睡族」、ますます)
http://bjwb.bjd.com.cn/html/2019-08/26/content_12227762.htm
※コラム:“宜家一日游”之后,我终于搞懂了“蹭睡族”的心路历程
(IKEA一日ツアーでわかった「蹭睡族」の心理過程)
https://finance.sina.com.cn/roll/2019-08-03/doc-ihytcitm6553955.shtml
その後、もろもろあって、最終的に両親ともに同じ老人ホームに落ち着ついたのだが、そこに至るまでの約2カ月半、トラブルシューティングに翻弄された。
とりわけ大変だったのは、父は生活のことをすべて母に依存していたため、母が緊急入院してしまうと、父一人では本当に何もできないということ。
これは認知症だからというより、もともと結婚した当初より、すべてを母がやってあげていたためである。
だから、ごはんはお弁当を買ってくるから大丈夫だと言っていても、結局、何を買っていいかよくわからず、なんだかよくわからないものが冷蔵庫に入っていたりした。
また、炊飯器や食器用洗剤の使い方さえ知らず、その日の気温にあった服を選ぶこともできない。それ以前に、そもそも、服がどこにあるのかもわからない。
かろうじて、洗濯機に洗剤を入れてスイッチを押すことはできるようになったのだが、柔軟剤の入れ方を覚えられず、服はすっかりのびてゴワゴワになってしまった。
実家は電車で片道1時間半くらいの場所なので、毎日、通えないことはなかったのだが、私も仕事があるし、入院中の母のほうにもいかなければならない。
一人っ子の私は、他に頼る兄弟がいない。
おまけに、私の飼い猫が重度の腎不全となり、朝晩の投薬と1日おきの皮下点滴が必要だった。
そんなこんなで、ケアマネさんがヘルパーさんを緊急手配してくれることになり、週2回、炊事と簡単な掃除はお願いできるようになった。
しかしながら、結婚以来約50年、一人で生活したことのない父の暮らしは、週2回のヘルパーさんでなんとかなるものではなかった。
もっとも父の名誉のためにいうと、父の世代の男性は、程度の差はあれ、そんなものではないだろうか。
それで思うことは2つ。
1つ目は、両親の世代で「子供に世話をかけたくない」と思っている人は、おそらく少なくないだろうが、具体的に準備しているのは墓と葬式、つまり死んだあとのことだけだということ。
ある程度元気なうちに、突然、元気ではなくなったときの準備というものをまるでしていない。
老後の資金なら準備しているという人はいるだろう。それは非常に重要なことなのだが、お金だけあっても問題は解決しない。
子供が複数いて、それぞれ役割分担できればまだいいけれど、私のように一人っ子だと、本当に切羽詰まる。
それに親自身もまた、突然の環境の変化に翻弄されることになる。
親は、できるだけ元気でいることが、子供のためになると思っているかもしれないが(子供的にも、親にはできるだけ元気でいてほしいが)、本当に「子供に世話をかけたくない」というなら、元気なうちに自立できなくなったときを踏まえ、早めにライフステージをシフトしておいてほしかった。
でも今の日本にはそういうムードはない。そもそも介護保険制度は、支援が必要になってからのもので、自立できれば申請できないし、申請したくない高齢者は多いだろう。
そしてテレビでは、高齢者がいつまでも健康で若々しくいるためのグッズやサプリやあれこれのCMが延々と流れている。
でも、元気への備え方が違うのではないかと思う。
2つ目は、夫のために甲斐甲斐しく世話を焼く日本の奥さんについて、中国では「うらやましい」的なことを言われることがあったけれど、まったくもってよろしくない、ということだ。
自分の着替えまで奥さんに準備してもらうような生活を長年続けてきてしまった男性は、老いてのち、奥さんが倒れたら、それまでの「ツケ」を全部自分で払う羽目に陥る。
母のほうもまた、結局、一から十まで世話を焼き続けなければならなかったことで、心不全を取り返しのつかないところまで悪化させてしまった。
この点、中国の親世代は共稼ぎでなければ生活が成り立たなかった時代を生き、父親が全く家事をできない、というような話はあまり聞かない。
昨今の若い夫婦はどちらも家事ができなくて、親が結婚した子供のために掃除洗濯をしている、というような話も聞くけれど、奥さんが毎日、夫の着替えまで用意しているといった話は、さほど耳にしない。
先日、上海出身の女性にそんな話をして、「上海は女性が強くて、逆に男性が奥さんのためにあれこれ家事をしてくれるイメージがある。いいよねえ!」と言ったら、彼女曰く。
「上海は女性が強いと言われます。強いというのは、とても自立しているということです。だからもし、夫がトラブルを抱えていたり、何か困っていたことがあったら、いろいろ知恵を出し、アイデアを考えますし、自分の人脈も最大限使って、全力で夫を助けます」
そこで、「ただ、そうすると」と、彼女は一呼吸おく。
「男性はどんどん弱くなって自立しなくなるんです!」
日本的「良妻」と中国の強い奥さんは、一見、真逆のタイプのようだが、結局、男性に尽くしすぎて、夫婦の老後にリスクが高まるという点で、実は似た者同士なのかもしれない。
]]>といっても、初発で早期だったので、基本はとっておしまい。あとは、再発防止のホルモンを抑制する薬を5年間飲むくらいで、抗がん剤治療もなし。
なってみてわかったのは、乳がんというのは人によって千差万別だということ。私の場合は一番ライトなほう。
それと、世間では、有名人が「乳がんで全摘した」というニュースを悲報のように伝えるけれど、果たしてそうなんだろうか、ということだ。
確かに、全摘というと、大変な感じがしなくもないし、実際、結婚・出産を希望する場合など、大変なことはあるだろう。
しかしまず、手術ができる、ということは、喜ぶべきことではないだろうか。乳がんがかなり進行してしまうと、手術ができないこともあるそうだ。
また今は、乳房再建にも保険が適応されていて、乳がんの手術と同時に再建手術をする人も多い。
ただ同時再建すると入院期間が1週間のびるので、私は希望しなかった。
理由は、病気でケアの必要な猫がいて、ペットシッターさんに朝晩来てもらう必要があり、1週間ものびると、北京に旅行に行けちゃうくらい高くつくから。
それと、もともとたいして大きな胸ではないこともあり、私の人生にとって、片胸を失うことは、あまり大きなことではないように思えたから。
もちろん再建を強く希望する人もたくさんいて、だからこそ、最近は乳がんの手術と再建がセットでできるようになっている。それ自体はすばらしいことだし、胸が大きな人にとっては、片方なくなると、左右の重量がかなりアンバランスになるので、再建は重要な問題となるかもしれない。
でも、なんというか、再建ありきでなくてもいいんじゃないか、と個人的には思っている。してもいいし、しなくてもいい、なければないでそれも個性というか普通というか、まあ、そういうこともあるよねと、そんな風に思えるのもいいのではないか。
ちなみに、全摘した胸がその後どうなったかというと、術後の出血がわりと多くて、血性の液体がたまりにたまって、再建したように元通りになってしまった。ただし、血がかたまったようなものなので、カチコチ。
本来、そうならないように、ドレーンという管を胸に入れてわきの下から出し、陰圧のかかったバッグにつなげ、そこへ排液を吸いだすのだが、これがもう出しても出してもちっとも減らなかった。
排液が減らないとドレーンが抜けない。抜けないと退院が長引く、ということで、ドレーンをつけたまま退院させてもらい、管つきで仕事にも行っていた。(でも、血のりみたいなのがジャバジャバたまっているバッグは、一応、見えないように隠していた)
結局、これ以上入れておくと感染源になるというギリギリの術後17日目に抜いたのだが、その後もじんわりたまっていって、見た目は術前と同じ。
このままでもいいやと思っていたら、医者いわく、「自然に吸収されていくよ」とのこと。
では吸収されたら、今度こそ、胸は平らになるのかと思いきや、その吸収というのが、布団圧縮袋に入れた布団みたいな感じなのである。
ということで、今、摘出した側の胸はカチコチ&デコボコになっていて、生き物の体の不思議を、身をもって体験しているところである。
なお、乳がんの手術自体は、全身麻酔+硬膜外麻酔という強力な麻酔のおかげで、全然痛くなかった。
ぶっちゃけ、脂肪をとっただけなので、麻酔から覚めたあとも、おなかがへって死にそうなくらい元気。尿道カテーテルが入っているから、翌朝までベッドからおきられなかったけれど、ずっと、友人とチャットしていた。
中国の友人や恩師にも微信で報告しまくっていたのだが、そこで異口同音に言われたのは、「大丈夫! 治るよ! 日本の医療はちゃんとしてるから!」。
そういう問題だろうかと思いつつ、友人の友人が北京の公立病院で出産したとき、陣痛が来て病院に行ったらまだまだだと言われて一度家に帰され、破水したのでまた病院に行ったら、今度は上の階にある検査室まで階段を歩かされて死ぬ思いをした、といったエピソードを聞くと、さもありなん、と納得してしまうのである。
]]>以前、ある中国武術の先生が、同じ種類で系統の異なる中国武術の先生の特徴を、「正しい表現ではないけれど」と前置きしつつ、それぞれ楷書と草書に例えておられたことがあった。
だから正しい表現ではないのだが、例えば太極拳の基本的な套路(いわゆる太極拳といえばこれ!的なゆっくりした一連の動きで、日本的にいうと型を連続させた動作、とでもいえるでしょうか)を例にとっても、ここをこうしてこうする的なはっきりした楷書風、もう少しこなれて草書風から、見ただけでは同じ動作とは全然わからないような草書風まであって、達人の草書風の套路を素人が見よう見まねでやっても、まったくなんの意味もなさない。
それはおそらく、草書の手紙の写しで、形だけ真似ているので文字になっていない、みたいな感じに近いのではないかと思う。(では、楷書風が簡単に学べるかというと、それはそれで全くそんなことはないけれど)
そして中国武術の面白さの1つは、先生が必ずしも楷書風でお手本をしめしてくれるとはかぎらないこと。
最初から答えが目の前にあって、それができるように繰り返し練習するのではなく、むしろ、見よう見まねの手探りで、練り込んでいきながら、ああでもないこうでもないと、自分なりの答えを求めてみたり、楷書風の動きを教えてくださる先生にご指導いただいて、「おお! なるほどこれはこういうことだったのか!」と発見したり、感動したり、という探求の奥深さに醍醐味があったりするのではないかと思う。
加えて、師のものを大切に受け継ぎつつ、そっくりそのまま忠実に伝統を守りぬく、みたいなことにはあまりならない。
それは、人によって体の大きい人、小さい人、足の速い人、手が長い人など、それぞれ身体的な特徴が異なるので、同じものを習っても、1人として同じにはならない、ということもある。
また、昔は何種類かの武術を学んでいることも多かったので、例えばシュワイジャオ(日本の柔道にちょっと似ている、かも)をよくする人は投げ技を得意としたり、弾腿という足技のすごい武術を習得している人は、他の武術を学んでもやはり絶妙な足技を特徴としていたりする。
ともあれ、そうして己の道を探求し、自らの特徴というべきものを打ち出してこそ、それを学ばんとする者たちが現れ、新たな潮流が生じ、後世へとつながっていくようなところがある。
私は、書の世界のことはわからないけれど、顔真卿がそれまで模範とされていた王羲之の優美な書に異を唱え、ゴリゴリのパワフルさと穏やかなを兼ね備えた自身の書法を確立し、それが新たな潮流となって、後世へとつながり、さらにまた次の革新を生んでいくというくだりに、思わず中国武術を彷彿としてしまった。
継承というと、つい、日本の職人文化的な忠実な技の継承を思い浮べてしまうのだけれど、変わること、個が発揮されることでこそ続いていくものもあることに、味わい深さを感じるのである。
]]>それはハンカチーフを持ち歩くということだ。
実は北京に行くまで、ハンカチというのは誰もが普通にもっているものだと思っていた。
だから留学に行く時には、ハンカチも何枚かトランクにつめていった。
ところが、北京でハンカチを持ち歩いている中国人を、私は見たことがない。
まずトイレ。10年ほどまえ、北京の公衆トイレには、そもそも手が洗うところがなかった。
あったとしても、中国の人は洗わないか、洗ったあとはぱっぱと水気をきっておしまいか、服でふいていたように思う。
少しグレード?の高い公衆トイレは、入口に大きなペーパーホルダーが設置され、トイレットパーパーがセットされていた。私はこれで手をふくのかと思っていたのだが、そうではなかった。
個室にトイレットペーパーを設置すると、おそらく持っていかれてしまうし、交換も手間なのだろう、そうじのおばさんが常駐している入口に設置し、利用者は用を足す前にここで必要な分を持っていくというシステムだった。
もっとも用を足したあとで、やたらとトイレットペーパーをひっぱりだして、くすねていくおばさんも多く、トイレットペーパー=ティッシュペーパーのように使われていた。
その後、北京五輪でトイレが整備され、手も洗えるようになったけれど、あいかわらず自然乾燥だし、さらに近年は温風器なども設置されるようになって、ますますハンカチは必要なくなった。
トイレ以外でも、レストランには紙ナプキンが必ずあるし、汗はティッシュで拭ける(私は日本で買った汗ふきシートを利用していたが)。そのほかたいていのことはティッシュで事が済む。
スーパーにはポケットティシュがたくさん売られていて、北京で働く女性ならカバンの中に常備しているはずである。
そもそも、北京はいたるところが汚れていて、家に帰って手をあらうと水が茶色くなるくらいなので、ハンカチを持ち歩くというのは、きわめて不衛生だと思う。
そんな次第で日本からもっていったハンカチーフは1度も使わないまま、10年後、日本にもってかえってきた。
そしてそのままタンスの奥底にしまわれた。
あるときふと思い立って、ハンカチを持ち歩てみようと思ったのだが、濡れたハンカチの保管に困り、洗濯後は再びタンスの奥行きとなった。
みんなどうしているんだろうと思ったら、身近なところではポケットにしまったり、100均で買ったミニハンガーにかけたりしているらしい。
ネットをみれば、カバンにお洒落に?にかけたり、通気性の良い専用の収納ポーチを自作している人までいて、日本人女性のスピリットに感服してしまった。
今、中国のネットで、ハンカチーフ(手帕)を検索すると、「ハンカチーフって何するもの?」とか「日本人はなぜまだハンカチを使っているのか」といった文章がヒットする。
後者の記事では、その理由を、日本人の環境保護意識と、教養の象徴だと分析していて、なかなか興味深かった。
どうやら中国もかつてはハンカチを使っていたらしい。というか、ハンカチ的な布文化自体、古くは秦代までさかのぼれるようだ。
そこまででなくとも、近代には普通にハンカチが使われていたときもあり、一昔前のテレビでその面影をかいまみることができる。しかし、80年代をすぎたころには見かけなくなったらしく、日本のようにエチケットの象徴として定着することはなかった。
そもそも日本的な「エチケット」の概念を正しく訳せる中国語を、私は知らない。
それに、便利第一のかの国で、毎回、洗わなければならない、しかも衛生的とはあまりいえないハンカチが、手軽なティッシュにとってかわられるのは当然の流れだっただろう。
そこで、ある中国人が、「日本ではなかなかキャッシュレスが進まない」と話していたことを思い出す。
中国が短期間であっという間にキャッシュレス大国となったことは周知の事実である。
キャッシュレスとハンカチを同列に語ることはできないけれど、どちらも「新しくて便利なものが出てきた」という理由で、さくっと簡単には変わったりしないところが似ている。
その点、今の中国の人は変わり身が早い(と、私は感じる)。
第4次産業革命で世界が大きく変容するさなかに、いまでもポケットから現金やハンカチを取り出すような日本人の有り様は、いささか心もとないような気もする。
ただ、ハンカチを毎回、きれいに洗濯してアイロンがけをする手間ををいとわず、さらには濡れても清潔に保つための創意工夫をあれこれ考えるような、ある種のかたくなさと不毛さと、日本人的矜持には、この時代において何か意味がありはしないか、とも思うのである。
]]>
中国でも高齢化が進みつつあることは周知の事実だが、興味深いのは、中国トップの経済圏である長江デルタ(上海市と江蘇省南部・浙江省北部の華東地域)の12の1、2級都市で、14歳以下の人口割合が10.8%、65歳以上が12.1%と、急速に老いているのに対し、製造業の中心地である珠江デルタ(広州、深圳、珠海などを含む華南地域)はまだ若く、7の1、2級都市の14歳以下の人口は13.9%、65歳以上は5.8%だそうだ。
そして、珠江デルタにはファーウェイやテンセントをはじめ大企業も居を構えている。大学生は今、華東と華南の両方で同じ条件の仕事が見つかったら、華南を選ぶだろうという。
総じて、珠江デルタの移民吸引力は長江デルタに勝る。
移民といってもただの労働力ではない。「金なし根なし畏れなし・精神力あり死党(死力をつくすこと)あり」の「三無二有」で、一旗あげようという志をもった若い人材だという点がポイントだ。
実際、深センはイノベーションの坩堝である。
外来人口を吸収する能力は将来的な都市の経済成長の重要な要因となる。
ただし、エントロピーが増大すれば、活力を生み出す力は減少する、若者の増加によって、マンション価格も跳ね上がる。深センもマンションの高騰により、外来人口の吸収力は以前ほど強力ではなくなったという。
都市が創新力(イノベーションパワー)を吸引し続けるのに大事なことは、そこで家を買い、家庭をもって、子供によい教育を与えられるという将来が見えることである。
珠江デルタの教育環境は長江デルタにはまだ及ばないけれど、良質な教育機関も次々と出現しているそうだ。
もう1つ、面白いのは四川省の例。
四川省では80年代から2000年はじめにかけて、大量の人口を、沿岸部や北京などの大都市に「輸出」し、この数年、消費能力が旺盛な35〜45歳がこぞって四川に戻ってきている。
北京や上海で家を買って多少成功したものもいれば、事業に行き詰って戻ってきたものもいる。
問題なのはこういう人々はある程度の資金と人脈をもたらすものの、根本的には、創新や創業をもたらす「三無二有」の移民ではない、ということ。
都市にとって重要なのは、やはり「三無二有」の人材をいかに引き付けるかということ。創新環境がなければ、彼らはやってこないし、彼らがやってこなければ、創新環境は形成されない。
そして今、中国では都市間、企業間での人材争奪戦が激化している、というのがトークの大半の内容である。
そこでふと思ったのは、日本の「移民政策」に、少なくとも中国的な「三無二有」の人材を吸引する要素はおよそ皆無ではないか、ということと、中国の成功モデルは今のところまだ、案外シンプルだなということである。
ないものはゼロから身を起こし、ビックな成功者の場合は、会社を上場しキャッシュをがっぽりゲットして、仕事人生アガリとなって、海外に移住する。あるいは投資でうまく資産を増やして、これまたアガリとなって、海外に移住する。
そんなビックな成功でなくても、たいていはそこそこの仕事につき、ステップアップし家を買って(というか親に買ってもらって)、家庭をもち、子供をつくり、子供によい教育を受けさせ、その子供がまたそこそこの仕事について、家庭を持ち、自分の子供をもうけることが、「勝ち組」の条件的なところがある。
その条件から外れれば、仕事で成功していても、例えば未婚の女性はどこか肩身が狭いし、後ろ指さされるようなところもある。
また、親の反対を押し切ってまで、自分の望む相手と結婚するとか、希望の仕事につくとか、いわゆる平凡(かもしれない)成功の道から外れるいうのは、日本以上に大変なことだと感じる。
そして、マッサージのお姉さんでもエステのお姉さんでも、クリーニング店のアイロン名人のお兄さんでも、そのもっている技術はすばらしいし、日本であればその腕を極めて独立すれば、その技術を愛するお客さんがたくさんつくのに!と思うのだけれど、彼らはそれがとても尊敬に値するものであるという自覚がない。というより、周りからそれで尊敬されることがない。
そしてマッサージのお姉さんは田舎に帰り、見合いをして子供を産み、しかしまた、近郊の町へ出稼ぎに出て行った。
エステのお姉さんは身を粉にして働いて貯めた金で自分の店を持ち、老板(ラオバン)すなわちオーナーになって人を雇うという、彼女にとっての成功の道を進んだ。
クリーニング店のアイロン名人は北京にいてもたいした稼ぎにならないし物価も高いし、ここでは家を持てるはずもないので、もっと稼げる町で稼げる仕事をすると言って北京を去って行った。
日本は、一見、会社人生がすべてのようでありながら、意外にそうでもなくて、もっといろいろ自由な生き方とその選択肢があると思う。
職人さんは尊敬されるし、大工さんやトラック運転手はかっこいい。
それに、私みたいに結婚もしてなくて、プラプラしているような人間がそれなりに生きていけるし(別に積極的にこの道を選んだわけではないのでえらそうにはできないけれど)、仮にフリーターでも(食べてくのは大変だろうが)、それが理由で仲間内のネットワークからハブられるということも、そうないだろう。
高校時代の友人の姉のことを思い出す。
年の離れたそのお姉さんは、日本で有名大学を出て、いい企業に勤め、海外に留学し、キラキラしたキャリアを歩んでいた。
しかしあるとき、そのキャリアを全部捨てて、家族でカナダの大平原に移り住み、最後に聞いたときはそこでバスの運転手をしているという話だった。
私はそういう生き方はすばらしいと思ったけれど、この話は中国の友人にはあまり共感されなかった。
ひるがえって、都市の移民吸引力という点で、日本はもはや、沸々と沸騰するような若いイノベーション力を吸引する力はないかもしれない。
それが日本の未来にどういう影響をもたらすか、私にはわからない。
ただ、今はかろうじてあるさまざまな生き方の選択肢とそれで食べていける手段がどんどんじり貧になっていくことがあれば、そのほうが怖いことのように感じる。
冬呉同学会:「移民都市背後市井雄心
http://www.360doc.com/content/18/1011/21/26469483_793953198.shtml
]]>11月に一息ついたところでいろいろ重なり、今年はまだ大掃除もできていません。でも、2月の春節のときにもう1回正月が来るのでそれまでにやればいいや、と思っていたり。
ダブル正月のメリットはこうして年末を先延ばしできること。でも、デメリットも大きくて、それは正月から旧正月の間の1カ月がどこかにとんで、1年が実質11ヵ月になってしまうことです。
1年を振り返ると、5月のおわりに飼猫が腎臓型リンパ腫という血液のガンになりました。彼女は北京で生まれ北京育ちのもとノラネコで、10年ほど前、子供を産んでやせほそり困窮していたところで出会いました。
その後、うちで暮らし始め、東京まで、彼女と彼女の子供とともに越してくるときは、「中国あるある」と「日本あるある」の相乗効果で、それはまあいろいろありましたが、その話はいずれまた。
猫のリンパ腫というのは、1度なってしまうと、完治することはないそうです。治ったようにみえても再燃し、抗がん剤が効かなくなれば死に至ります。ときどき何年も生きる猫もいるそうですが、特に腎臓型という腎臓がボコボコにはれるタイプはわりと珍しくて、わかっていることも少なく、3カ月ほどで亡くなってしまうことが多いということでした。
一時は毎日通院し、その後、約1週間の入院治療を経て、退院後は毎日朝晩の投薬と皮下点滴、1週間に1度の半日コースの抗がん剤治療が3カ月ほど続き、飼い主のほうが天に召されそうでした。
幸い、奇跡的に抗がん剤が効き、副作用もヒゲと体毛が抜けたくらいで、一度、死にかけた猫はいまのところ元気いっぱいです。トータルで半年間の抗がん剤治療も残りあと2回になりました。
今回、彼女の病気に向き合うことになり、思ったことは、死に至る病にかかるということは、けして終わりではなく、いろいろな新たなことの始まりだな、ということでした。
たかが猫、されど猫で、いのちについて考える機会となりました。
さて、そんなこんなでこの半年間は中国にいけませんでした。
ただ、中国関連の仕事はしていて、特に年末には中国から人を招聘するわりと大きめのイベントにかかわっていました。
そこでいまさらながら感じたことは、中国との距離は近くなった、ということです。
まずは通信の距離。2000年にはいったばかりのころ、「中国国家地理」という「ナショナルジオグラフィック」中国版みたいな月刊誌の日本版を編集していたことがあるのですが、そのとき中国との連絡はメールで、返事もわりとのんびりでした。
それがいまや当然ながらWECHATで、それこそリアルタイムにバンバンとやりとりが進むのです。しかも仕事ははやいし、きちんとしていて安心感あるし、締め切りも(おおむね)守る! しかも遅れるときは連絡くれる。
相手が、日本留学経験者や海外との仕事が多い人であったりしたおかげかもしれませんが、仕事のペースにもギャップというか、距離感がありません。
加えて、これまた当然ながら経済的なギャップもありません。というより、向こうのほうがよっぽどリッチ。
中国にいたときは、自分がその中にいたので、こうした距離感についてあまり考えることはありませんでしたが、いざ、中国を出てみると、日本と中国のヒトとモノがいろいろ面で「フラット」になってきていることを感じます。
ところが先日、ふらっと、日本の餃子屋さんに入ったときのこと。
実は、日本の餃子を食べるのは、15年ぶりくらいで、一瞬、食べ方わかりませんでした。
というのは、中国の餃子は焼き餃子でも黒酢につけるか、そのままで食べるのにたいして、日本の焼き餃子はいろいろつけるものがあって迷ったのです。
それでひとまず、お酢で食べようとしたら、これがぜんぜん美味しくない。
隣のサラリーマンの食べかたを見て、醤油とラー油をつけて食べたら、「そうそうこれが日本の餃子だった」という味になり、こんなところで日中の距離感を感じた次第です。
距離が近づく心地よさもあれば、距離があることで生まれる発見や面白さもあります。
来年もまた、いろいろな距離を楽しんでゆきたいと思います。なかなかブログを更新できていませんが、ゆるゆるとお付き合いいただけましたら幸いです。
最後になりましたが、今年も拙ブログをご訪問いただきありがとうございました。
どうぞよいお年をお迎えください。
田中奈美
]]>「東京は各国料理がリーズナブルでおいしい」と言う。
確かにイタリアンでもフレンチでも、あるいはエスニックやその他いろいろな国の料理でも、比較的お手軽だ。
もちろん、中には敷居の高い店もあるけれど、それがすべてではなく、平均すれば普通に手の出る範囲だろう。特に、ランチはわりとリーズナブルだ。
でも、北京ではそうした各国料理がおしなべて高い、と思う。
そもそも、外国料理が北京で増え始めたのはこの10年ほどのことだろう。
2000年代のはじめごろは、店の数もまだ数えるほどで、しかも駐在員などのガイジンが行くようなところだった。
そこにお金を持ち始めた中国人が流れ込むようになり、ほどなくして、若者の間でカフェブームみたいなものもおきた。
そうした店では、おしゃれな内装の店内で、コーヒーとともに、パスタやサンドイッチ、ステーキなども提供するようになり、西洋風料理というものが一気に身近になった。
しかしそれらはなんというか、高いわりに、すごくおいしい!というものでもなく、どことなく「ちょっと違う感」が漂っていた。
それはいまもあまりかわらない。以前よりおいしい店は増えたと思うけれど、値段も高くなった。「値段がチープ=価値もチープ」という価値観の中国で、おいしくて安い外国料理というのは、存在しにくいのかもしれない。
ただ、最近、興味深いと思うのは、家庭でつくる西洋料理のレシピをネットでよく見るようになったことだ。少し前には、北京テレビの料理番組で、ご家庭でつくれるバターとオレンジでソテーした魚と、ブラックペッパーをアクセントにしたパスタなるものを紹介していた。
もっともそれも、「黄油橙汁魚」「黒椒炒面片」という名称からして中華料理風で、出来上がった料理の佇まいがまた、どことなく中華だった。
たとえていうと、こんな感じ↓(写真は中国のネットに出ていた家庭でつくる西洋料理)。
http://www.xiachufang.com/recipe/101891107/
ちなみに上の写真のレシピについたタイトルは「一時間半で作れる完璧な家庭西洋料理」。
「完璧?」という突っ込みはさておき、中華料理という、世界に誇る料理文化の長い歴史のなかに、異質の料理文化が入り始め、まだまだ中華よりながら「完璧な西洋料理」なるものが登場することに、味わい深さも感じるのである。
]]>
そんな中で、ある日、「伊白氏」という毛染めシャンプーのCMが放映されていた。
ちょうど白髪頭のおじさんがシャンプーをしているところで、白い髪があっという間に黒く染まっていく。
そして画面が切り替わり、タレントが登場。おじさんの頭髪がしっかり染まっているのを確かめつつ、頭をふいたタオルも服も染料で汚れたりしていないことをアピール。さらに、洗い流した後の水さえも透明できれい、植物から抽出した成分を利用していて、鼻につくにおいもなく安全!という内容を強調する。
思わず、いったいどういうマジックかと、見入ってしまった。
仮に利尻昆布のシャンプーのようなものであれば、あんなふうにすぐに黒くはならないだろうし、そもそも植物由来の染髪料で10分足らずで髪を染めるものがあるとしたら、大発見ではなかろうか。
そこで公式サイトをひらいてみると、まず、従来の製品は流れ落ちた染料で顔や服が黒く染まるうえ、有害物質が含まれていて健康面でも不安であった、ということが書かれている。
それに対しこの商品が、いかに従来の問題点をクリアし、画期的かということが書かれている。しかも1箱198元(1元=約16円)となかなか高額だ。
だが、成分表には化学薬品系の単語がならび、使用方法には「A剤とB剤を混ぜて使う」とある。つまり、これはいわゆる「泡カラー」を、新技術のごとく宣伝したものではなかろうかと推測された。
中国ではいまや各分野で世界をリードする技術力をめきめきとのばす一方で、こと、生活用品においては局部的技術後進国なところがある。
そうした分野ではしばしば、パクリ的「新技術」が登場する。このシャンプーもそんなものの一つかもしれない。
ただ興味深いのは、CMに年配の男性が起用されていたことだ。それも、北京の胡同で、夏場、シャツをたくしあげてお腹を出していそうな一般庶民のおじさんである。(商品ターゲットはおじさん限定、というわけではなさそうだが)
実は、以前から中国では、日本よりも男性の黒髪信仰が顕著ではないかという話を聞くことがあった。特に、中国の権力者にいたっては、ヨボヨボになっても不自然なほど黒髪ばっちりであったりする。
また、ネットメディアには、高齢者の毎日の染髪は健康被害を引き起こすと警鐘をならす記事が転載されている。そこでは、染髪は年に2回程度にとどめ、できるだけ自然由来のものを使用し、可能ならきちんとした美容室で染髪することと注意を喚起する。
ということは、権力者に限らず、毎日、髪を染めているおじさん方がいるということではなかろうか。
ちなみに、薄毛ケアについてももちろんニーズはあるようで、確か10年ほど前には、ジャッキー・チェンをCMに起用した育毛シャンプー「覇王」が大ヒットした。
しかしその後、この「覇王」に発がん性物質が含まれると報じられてからは、昔ほどはふるわなくなったように思う。(もっともそれは、「覇王」の社長の薄毛が、むしろ進行しているようだと、ネットで噂されているからかもしれないが)
いずれにしても、中国では、日本のように視聴者が「髪をふやさなくては!」と思うほど大量の薄毛ケアCMが放映されているのをみたことがない。
そもそも、年配男性の頭髪美容をターゲットにしたCMというものが、日本以上に少ない。
そんななかで、かの「高級」シャンプーがCMになるほど、おじさんの黒髪事情に市場があることに、ある種の感慨を覚えるのである。
「伊白氏」http://ybsgw.cn/
]]>「雲=クラウド」つまりにゃんこ育成アプリで飼う猫のことで、いわゆるバーチャルキャットというところだろうか。「ねこあつめ」も中国で人気のアプリの一つ。
(→コメントでご指摘いただきまして訂正です&ご指摘に非常感謝!:雲養猫=ウェブサイトやSNS、アプリなどで、猫の写真や動画を眺めて、猫を飼いたいという気持ちを慰める行為by百度百科の私的日本語訳)
猫を飼いたいけれど、実際に飼うのは大変だしお金もかかる、という若い世代の間で流行っているそうだ。
振り返れば、中国は5〜6年くらい前から猫ブームがきていたのではないかと思う。
当時は、ちょうど、都市部の退職した年配夫婦の間で、犬を飼うことが空前のブームになっているところだった。
ただ、そんな中で、日本の「かご猫」の中国語サイトができたり、エキゾチックショートヘアの「红小胖Snoopy」など猫飼いウェイボーがブレイクしたり、北京のビジネス区のペットショップにブランド猫が並ぶようになったりして、都市部で働く若い世代の間で、猫が流行り始めている気配があった。
うちの猫がお世話になっていた北京の動物病院は、そのころ、胡同(フートン)の路地裏にある小さな病院にすぎなかったが、猫飼いの間ではわりと有名で、ワクチンに行くと、いつも病気の猫であふれかえっていた。
道端や劣悪なペットショップで売られる子ネコは、たいてい病気持ちで買ってから一週間ほどで死ぬため、「一週間猫」と言われていた。
その後、その病院は猫専門医院として規模を拡大し、北京だけでも6か所にまで増えた。
また、ネットでは、「吸猫」「猫奴」といった流行語が誕生した。
「吸猫」というのは、猫のモフモフに顔をうずめてその臭いを堪能すること。「猫奴」はお猫様の奴隷になること。
「猫飼いあるある」に、国境は関係ないようである。
そして「猫咪表情包」(猫のいろいろな表情に言葉をつけた猫顔スタンプ)や「猫片」(猫ビデオ)がブームとなり、次に来たのが「雲養猫」である。
でも、ブームはここで終わらない。雲養猫は次の商機にもなっているという。
海外の話だが、仮想通貨のイーサリアムで猫を「飼育」するというクリプトキティズでは、絵画に投機するように仮想猫のキャラクターに投機されており、とある仮想猫は3回飼い主が変わる間に、取引当時のレートで1000万円を超える価格がついたという。
「雲養猫」がどれほど金になるかは未知数だが、中国の若者が、猫的癒しを求めるほどにお疲れである、というところに、まだまだビジネスチャンスはありそうだ。
]]>いまさらメルカリを利用してみて思ったのが、なんだかとってもタオバオじゃん、ということだった。
中国のタオバオは新品商品を扱う個人のネット商店なので、楽天に近いとずっと思っていた。しかし、素人が好きにモノを仕入れて売る場という点で、そのなんでもあり感は、むしろフリマアプリのメルカリである、ということをいまさらながら知った。
そして、商品画面で問い合わせや値段交渉ができたりするお手軽さ、買い手が支払った代金はいったん事務局預かりとなり、荷物が届いたら買い手が売り手を評価し、続いて買い手が売り手を評価することで取引成立というシステムや、その評価が信用度に反映するところなども、そっくりである。
加えて、無茶な値下げをしてくるやからがいたり、届いてみたら写真と商品が違うとか、アマゾンから商品が届いた(つまりアマゾンで販売している商品に値段を上乗せして無在庫転売している)などにはじまる数々のトラブルと闇もまた、なんだかとってもデジャヴ。
万一、トラブルがあれば、事務局が仲裁はしてくれるようだが、相手が見えない個人である分、どんなトラブルに巻き込まれるかわからないというドキドキ感もまたなじみ深い。
最近は中国のタオバオで安く仕入れた商品をメルカリで売って儲ける方法が本になっているくらいだし、メルカリで仕入れたものをタオバオで転売している人もいると聞く。
こうしてグローバルなネット社会は、システムも儲けのノウハウも、トラブルさえも「フラット」になっていく。
と、思ったのだが、メルカリが実に「日本的」だと思うことが一つある。
それは、暗黙のお作法だ。
購入する際はいちおう、「購入させていただきました。よろしくお願いします」とコメントを入れておくというのがルールであるらしい。それが不要な売主は、「コメントなしで即買いOK」と注意書きをしている。
その一方で、アカウント名に「プロフ必読」と書いている人もけっこういて、そのプロフィールには、「お値下げ不可」「コメントなしの購入はお断り」「タバコは吸いませんが猫がいます。毛などには注意していますが神経質な方はお控えください」などの注意書きがいろいろ書かれている。
また、売主のほうも購入があった場合、「ありがとうございました。××日に発送の予定です」とお知らせするのがマナーであるようだ。
各個人の取引の評価コメントをみていると、「購入後、何もコメントなく、いきなり商品が送られてきたので普通評価にしました」「値下げしないといっているのにしつこく値下げしてきたので、この方との今後のお取引はもうしません」「外箱に直接送付状が貼られていました」「ビニールの透明な袋に商品を入れて送付状を貼って送ってこられ、衝撃的でした」などと、マナーや気遣いの面が評価下げの要因になっていたりする。
でもこれ全部、タオバオでは普通にありそうなことだ。(「透明の袋に送付状」はさすがに一般的ではないかもしれないけれど)。そして、タオバオでは商品がちゃんと届き、その商品に問題がなければ、マナーや気遣いはそれほど問われないだろう。
メルカリの暗黙お作法には、ちょっと細かくて神経質で決まりにうるさく、そのため無駄も多い日本の社会が投影されているようだ。
毎回、取引のたびに「はじめまして」から始まるコメントを書きながら、「これ、本当に必要かな」と多少の疑問を感じる。と、同時に、「でも……」とも思う。
これは日本人だから感じることかもしれないが、メルカリをやっていると、結果オンリーではない、気遣いと過程重視のまどろっこしさのなかに安心感があるのも確かだ。
結局のところ、日本の社会は、この多少面倒くさいお作法に担保されているようなところがあるのかもしれない。
]]>それは、10年パスポートの期限切れにともない、北京の銀行に登録している旧パスポートの番号を新パスポートの番号に変更する、ということである。
たかがそれだけ、といえばそうなのだが、実は10年前、やはりパスポートの切り替えで番号の変更した際は、本当に大変だった。
というのも、当時、私の通帳名義は「田中奈美」と漢字で登録されていたのだが、本来はローマ字で登録する必要があったことが、パスポートを切り替える段階になって発覚。
「田中奈美」のままでは登録しているパスポートの番号を切り替えられず、現状の口座を一度閉じて、新たにつくりなおさなければならないということだった。
が、そうすると引き落とし口座や、オンラインの支払い用に登録している口座などを全部変更する必要があり、そうとうすったもんだした。
結局、窓口責任者のおばさんが出てきて、あれこれと知恵をひねり出してうまくやってくれた。
さて、あれから10年。今回、口座名義はローマ字に変更済みだが、そもそも、中国の銀行は基本的に国民総ナンバーの身分証番号で口座管理していて、番号を変更するという手続きはあまり一般的ではない。そして一般的ではない手続きにはトラブルがつきものである。
事前に国際電話をして、とにかく銀行カードと新旧のパスポートをもって最寄りの窓口に行けばOKということを確認し、万全の構えで北京の銀行に赴いた。
ところが、である。
窓口で、端末の操作をしていた係員のお姉さんの手がとまった。
そして、私の銀行カードには紐づけされた定期預金の口座があり、その通帳をもってこないと、パスポート番号の変更ができないとのたまう。
定期預金はとっくのむかしに解約したはずだが、どうやら当時の窓口係が預金をただ空にしただけで、解約処理をしていなかったらしい。
口座はカラのはずだから、その場で解約すれば、と思ったものの、通帳がないと、まず通帳の紛失処理をして、それから解約手続きをすることになるので1週間以上かかるとのこと。
滞在日数は4日しかないので、そんなに待てない。
ということで再びすったもんだしていると、窓口の責任者らしい年配女性が「どうかしましたか?」とやってきた。
チャキチャキの北京のおばさんで、今回も頼りになりそうな人物である。
彼女に事情を話すと、やはりまず「新しい口座をつくりなおしたら」と提案があった。
しかし今回の問題は、これがWECHATペイに紐づけしている口座だ、ということである。
現在、一つの銀行で個人が開ける普通口座は一つときまっている。なので、WECHATペイでは、同一銀行の同一名義で同一タイプの別口座番号に切り替える、ということはできないはずである。
そしてWECHATペイが使えないと日常生活に支障をきたす。
では、銀行側でWECHATペイに登録した口座を変更できるのかときけば、「できません」。
自分でWECHATペイに電話をして事情を説明せよというのだが、それで話が通るとは到底思えない。
途方に暮れていると、責任者の女性いわく、「大丈夫! 中国は同姓同名が多いから、同姓同名のいとこの口座に切り替えるといえばいいわ! パスポート番号も違うからそれで通るはず!」
それはなかなかの妙案だが、石橋叩いて渡るタイプの日本人メンタル的には「もしそれでうまくいかなかったら?」という心配がむくむくとわいてくる。
「それより今、この場で、、ちゃちゃっとパスポート番号変更してもらえると助かるんですが」と返した私に、「あなた、中国語は通じるのに、なんで話が通じないの?!」と、キレる責任者の女性。
結局、ごねたところで、帰国後、定期の通帳を探して出直すか、通帳の紛失届を出して次回手続きをするか、新しく口座を作り直すの三択しかないという事実はかわりそうにない。
実は、おぼろげながら、北京で使った通帳は捨てずに保管していた記憶があった。保管場所ををあされば出てくる気がする。
「帰国してから通帳探してみます」
責任者の女性にそうつげると、「それがいいわ!」と、笑顔になった彼女。
「WECHATペイの口座変更はやっぱり面倒だから」。
さっきのいとこの口座案は何だったのか。
ということで、振出しにもどった変更手続き。
後日、帰国してから定期の通帳を探したところ、幸い見つけることができた。もっともこれで、次回は手続きができるのか、いまから兢々としている。
]]>一昔前は燕京ビール、北京ビールの地元ビールに、青島ビールなど国産ビールがちらほらという程度。しかも、地元ビールは1瓶3元(1元=約16円)という格安ぶりだった。
数年前には、外資系スーパーなどでコロナやバドワイザーのような海外ビールが並びはじめていたが、それもあまりたくさんの種類はなかった。
それがいまや超ローカルのスーパーにも、10元を超えるドイツ系ベルギー系のビールが並ぶようになり、安くてなんぼだった国内メーカーまで高級路線のビールをつくるようになっている。
実は、経済成長の鈍化で格安ビール市場が行き詰り、各社高級路線を打ち出しはじめているという。北京商報の報道によれば、2017年度の輸入ビールは70万キロリットルで前年比10%増。2017年度の輸入ワインが78.7万キロリットルなので、いつの間にか輸入ワインに迫る勢いである。
しかし、高級市場の奪い合いで競争が激化。地域ごとのマーケティングに基づいた戦略が要になっていくだろうという話だった。
思い返せば、北京のビールは庶民文化の象徴みたいなものだった。
夏場、シャツをたくしあげ太鼓腹をむき出しにしたおっさんたちが、路上に広げられたテーブルをとりかこみ、ワイワイガヤガヤとビールをラッパのみしていた。
その風景はいまも健在ではあるけれど、ビールはもはや安いだけのものではなくなった。
北京ではビールにかぎらず、庶民文化が、中間層文化にとってかわり、どんどん希薄になっていくようだ。それだけ生活が向上したということかもしれないが、高いもの=よいもの、安いもの=質の悪いものというイメージが強烈で、それが生み出す中間層文化は、安くて心地よいものまで排除する。
いつか地元の格安ビールがホッピーみたいに復活し、豊かな庶民文化として見直されることはあるだろうか。ローカルスーパーの高級化するビールに一抹の寂しさを覚えるのである。
]]>ホテルでビールを購入し、手元にあった小銭の「分」(1元=10角=100分)をかき集めて支払いをしようとしたら、受付の不機嫌そうなお姉さんに「分は使うところがないから受け取れない、小銭がないならスマホでどうぞ」と言われるしまつ。
スマホ決済に今一つ慣れず、小銭をちゃちゃっと出す方が早いのだが、レジはどこもスマホでの支払いがメインなので、おつりをもらうのに逆にモタモタしてしまう。
支払方法は、スマホで店が提示するQRコードを読むときと、こちらがQRコードを提示してそれを店側が読んで決済するときがあり、たいていまごつく。
そして私がまごついていることに、店員がまごつき、続いて「ナニコノヒト」的視線を送られる。どうやらおそらく私は、普通語が超絶へたくそなおのぼりさんに見られているのではないかと思う。
吉野家中華版の和合谷という丼飯チェーン店でも、レジでスマホ決済をどうやるのかを聞いたら、店員に「は?」という顔をされた。
幸い、隣で注文が出てくるのを待っていた小学生らしき男の子が、「ここをこうしてこうやるんだよ!」と教えてくれて事なきを得た。
そんなこんなで何度か失敗を繰り返し、ようやく慣れてきたころ、地下鉄駅の自販機を使ってみる機会があった。
私が北京で生活していた4年ほど前は、町に自販機はほぼ存在しなかった。なぜなら現金を盗られるからだ。
それがいまではたいていの地下鉄駅に自販機が設置され、スマホで購入できるようになっている。おりしもその日はとても暑く、ノドはからから。通り沿いには売店がなく、ようやく見つけた自販機だった。
でもやはり、はじめてのときは使い方がわからない。ひとまず、隣で買っているお姉さんを見て、慎重にイメージトレーニングをする。
そしていざ、購入。スマホに決済完了の文字が出て、あとは自販機から商品が出てくるのを待つだけ。のはずが、数分待っても出てこない。
乾ききった喉にヒリヒリとした痛みをおぼえながら、しばし呆然と立ち尽くす。それから購入方法の説明書きのところに「商品が出てこないときの問い合わせ番号」を発見した。
電話口に出たサポートセンターのお兄さんは慣れた調子で、支払いが完了していること、商品が出ていないことをオンラインで確認すると、WECHATの公式サイトから返金請求する方法を教えてくれた。
返金システムがきちんとあることに感動しつつ、返金請求するも、今度は画面が「請求処理中」で止まったままとなる。再度電話をすると、返金には2営業日ほどかかるという話である。
しかしこれまでの中国経験で、支払ったお金が戻ってくることはほとんどなかった。今回もまた、なんやかんやで戻ってこないのではないか。そう思うと、別の自販機で、再度、購入する気になれず、結局、その日は約束していた中国人宅につくまで、渇きを耐え忍んだ。
そして後日。WECHATが鳴ったので見ると、「返金が完了しました」の文字。確かに支払った分のお金が戻ってきていた。
冷静に考えれば、そもそも商品が出てこないというのはどうか、と思うのだが、それ以上に、出てこなかった商品の返金をオンラインで完了するシステムが確立されていて、後日、本当に返金されるという現実に、改めてデジタル化する中国社会を体感した気がした。
]]>すなわち、脳ドッグを2万円以下の格安で受けられるという。
某IT大手のOBが脳ドッグに特化して始めた予防ビジネスで、予約から結果通知、さらには検査画像の確認にいたるまですべてネットで行えるようになっている。
その紹介記事自体がステマっぽいし、院長の専門が循環器内科というのは少々ひっかかったが、いろいろコストダウンの努力をしていてこの価格、という話はあながちウソではなさそうだった。
とりたてて悪いところもないけれど、この値段なら、ちょっと話のタネに受けてみようかなと、そんな気になった。
そして、これが中国なら〜、と考えた。
中国国内で、「格安」が成立するシーンはわりと限られると思う。
スマホや家電、航空業界など、過当競争でしのぎをけずっている業界は、より大きな市場を獲得すべく、じゃんじゃん資金を投じて、いいものを安く提供する傾向があるけれど、多くの場合、安い=粗悪品(安心できないもの)であり、高い=よいもの(安心できてブランド価値が高いもの)的なイメージは根強い。
そもそも、よいものは値段をあげても売れるので、一般に値段が釣りあがることが多いと感じる。
ましてや、不信感が蔓延する中国の医療業界では、予防ビジネスとはいえ、「格安」商売が成り立つとはあまりイメージしにくい。
ということで、東京で格安脳ドッグを受けてみた。所要時間は30分。ささっと超お手軽で、1週間ほどで結果の通知メールが届いた。
そしてWEBのマイページに表示された結果は動脈瘤の疑いあり。ただし、現状ではクモ膜下出血の可能性は極めて低く、年に1度の検査を受けましょうという内容である。
説明するのでご来院くださいと書かれていて、話を聞きにクリニックにおもむくと、医師は「疑い」なので動脈瘤とはかぎらないが、念のため3カ月後にもう1度受けたほうがよいとのたまう。ちなみにどこの部分の血管か聞いたところ、返ってきた答えが「脳の奥」。
もしかしたら、そうしてリピート客をつくるというビジネスモデルなのかもしれない。
不安商法といえばそうかもしれないが、本当に不安なら大きな病院できちんと検査をすればよいだけのことなので、とりたてて実害はない。
これが中国なら、悪くないところを悪いと言われて不要な手術でがっぽりとられるとか、そこまでではなくても、あとからいろいろ追加検査されて請求されるかもしれない、などと妄想が膨らんでしまう。
そう考えると、手軽にさくっと脳ドッグを受けられるサービスがあるのはありがたいことだといえるのではないだろうか。
そして、日本で格安脳ドッグのようなビジネスが成り立つのは、監督体制がそれなりに機能しているというだけでなく、それだけ社会が成熟して安定しているということなのかもしれないと、そんなことを考えるのである。
]]>ジャック・マーといえば、世界が注目する中国の大企業家だが、そのマーが80年代から太極拳を習っていて、2009年には河南省温県陳家溝に伝わる陳式太極拳第十九代伝承者の王西安老師に師事し、カンフースターのジェット・リーらとともに太極拳文化を広める「太極禅」(カルチャースクールというかサロンというか)を運営、昨年11月に自身が主演のカンフーショートフィルム「功守道」を、太極拳文化PRの一環としてネット配信した、ということは、日本ではそれほど話題になっていなかったかもしれない。
しかしこの「功守道」、中国での前評判はなかなか盛り上がっていた。
なにしろ、総監督をジェット・リー、武術指導を「マトリックス」でアクション指導していたユエン・ウーピンや、懐かしのデブゴンことサモハンキンポーらがつとめ、出演者にはカンフーアクション映画には欠かせないドニー・イェンに呉京、タイのムエタイ俳優トニー・ジャーのほか、朝青龍や北京五輪ライトフライ級金メダリストの鄒市明まで登場し、しかもその中でジャック・マーが主役をはるというのである。
何かの冗談かと半信半疑ながらもちょっと楽しみだったのは、マーが以前から、彼のビジネス哲学の背景には太極拳の思想があると語っていたからだ。
「陰陽の考え方、いつ収めていつ放ち、いつ化(変化)し、いつ聚する(集める)かは企業管理と全く同じである」「太極拳の自ら攻めず、ごくわずかな力で大きなものを動かすという考え方は、ビジネスの理念にヒントをもたらす」などのマーの言葉が、メディアで伝えられていた。
これは太極拳にかぎらず、中国武術全般にいえる思想だと思う。
中国武術というと、派手なアクションをイメージするかもしれないが、本来の伝統武術は、中国古来の万物に対する深い哲学思想が根底にある。
そして今、その伝統武術は風前の灯火状態だ。アクションやスポーツ競技、健康体操としてのカンフーではなく、本来の中国武術の思想や技術を深いレベル伝えられる老師は限られる。
また、習得には時間がかかるし、本当に使えるようになるにはかなり難しい。加えて受け継ぐ側の若い世代が、伝統武術だけで食べていくのは非常に厳しく、現代風にアレンジしたり、一般受けするようなものにかえていかざるをえない。
中国武術協会には中国武術を五輪種目に入れるという悲願がある。確かに五輪種目になればすそ野は広がるし、資金的にもメリットは大きいだろう。しかし、中国武術の醍醐味は、中華料理さながら各地各様、さらには各老師それぞれの味わいがあり、けして規範化されないところであったりもする。
文化面では、流派によって無形文化財に指定されているものもあるのだが、その先生方いわく「あんなものは単なる称号、俺が死んだら消えてなくなるから無形というんだ」というくらいで、積極的な意義ある保護と伝承活動が行われている、という話は聞かない。
そんななかにあって、ジャック・マーほど成功した企業家で、おそらく伝統武術にもよく触れていて、あれだけ頭のよい人が、陳式太極拳にかぎるとはいえ、伝統武術をPRするフィルムをかの錚々たるメンバーで制作したら、何かきっと面白いものができるのではないか、と思っていた。
その結果、公開されたフィルムは、マーが陳式太極拳の華麗な身のこなしで、各スターたちを倒しまくったあげく、ラストはまさかの妄想オチという、なんともコメントのしようがない内容だった。
随所に意味ありげな隠喩的シーンが挿入されているものの、よく意味がわからない。
ガイジンだからわからないのかと思ったところ、中国メディアには「すみません、理解できたのは、エンドロールの出演者リストだけでした」というタイトルのコラムが掲載されたりして、ネット評価もふるわないようだった。
これなら、ウォン・カーウァイ監督が「グランド・マスター」のメイキングで、中国各地の武術家を取材してまわったときのショートフィルムのほうがよほど味わい深かった。
ということで、見なかったことにしてしまっていたのだが、先日、北京テレビを見ていたときのこと。
大型京劇文化伝承番組「伝承中国」なるものが放映されていた。
内容は、京劇界のスターをメインキャストに、女優や漫才など違う業界の若手スターが京劇を短期間で学び、最後に京劇界のお歴々の前で披露するというもので、日本でいえば、歌舞伎を市川海老蔵や尾上松也、松本幸四郎などが実力女優やタレントや芸人に教える、みたいな番組といえるだろうか。
思えば、少し前まで、中国の伝統芸能がこんな風にバラエティ的にとりあげられることはなかった。そういう意味ではとても画期的だし、社会が伝統の継承的なことに関心をよせはじめているということなのかもしれない。
ただその一方で、「伝承」の見せ方が、なんというか、バブリーで軽いのだ。
学ぶ過程はあくまでバラエティだし、セットは大掛かりで豪華、スターたちは当然ながら、服も化粧もお金がかかってそうでみんなキラキラしている。
結局、今どきの中国では、伝統にも、キラキラしさが求められるのだと思う。
そうして目をひかなければ何も始まらないようなところがある。
地道に黙々と続けていたら誰かが評価してくれる、なんてことは基本的にない。
でも、とも思う。
そのキラキラしい世界に、果たして未来はあるのだろうか。
もしもいつか、ジャック・マーが太極拳をカンフースターたちのきらきらしさで飾り立てるのではなく、伝統の奥底にそっとスポットをあてるような映画をつくることがあったとしたら、現代社会における伝統武術の有り様も少し変わるのかもしれない。
「功守道」優酷(Youku)の独占配信で、2018年4月30日現在、再生回数1.9億回!
※以下、御案内です。
今年2月に、私が日本でお世話になった武術家(で料理人)だった佐藤聖二先生の遺稿集が出版されました。
佐藤先生は、民国時代に意拳を創始した異才の武術家、王向斎に日本人として唯一師事した澤井健一先生(太気拳の創始者)の弟子で、80年代に単身、北京にわたり、澤井健一先生の兄弟子である姚宗勲先生に師事しました。
本書は佐藤先生が53歳で亡くなられるまでの約5年半の研究ブログと北京時代のエピソードなどを記した原稿を収録したものです。
先生の研究は太気拳・意拳にとどまらず、また多くの武術家の先生方と交流してこられました。
私自身は本当にほんの少しの間、お世話になっただけなので、ご紹介できるような立場ではないのですが、それでも、佐藤先生の熱心な研究に触れたことで、中国武術がこれほど多様に満ち、奥深く、面白いものであるということを知ることができました。
本書は、武術をやっていないと少々とっつきにくいかもしれませんが、先生の研究を通じて、中国の伝統武術の味わい深さに触れていただくことができればと思い、ここにご紹介いたしました。
]]>
すると、子どもはくるりとこちらを向き、「どうせ始発で、並んでいる人も少ないんだから別にいいだろう」とまくしたてる。確かにそのとき並んでいたのは5〜6人だったが、みんな行儀よく2列に並んでいるのである。
おもわずむかっとして、「そういうのを教養がないっていうんだよ」と言い返したところ、さらにヒートアップした早口でののしり始めた。
もっともこちらはガイジンなので、ののしり言葉はよくわからないし、琴線には響かない。
「そんなに言うなら、ゆずってあげるわ」と、前をあければ、男の子は素知らぬ顔で、一番前をじんどった。
母親は何もいわず、一番後ろに並び、周りの大人も誰も何も言わなかった。
そして電車が来ると、一番のりで車両に飛び込んだ男の子は母親の分まで席をとった。あとから来た母親はそこに座ると、何事もなかったように笑顔で男の子と話し始めた。
後日、70代の中国人男性にこの話をすると、「ああ、それは、一人っ子の男の子だから、まわりが甘やかしまくって、母親の言うことなんかもう聞かないんだろう」とのこと。
一緒にいた男性の奥さんも、「その子はきっとそのまま勝手な大人になるんでしょう。どうしようもないわ」と言う。
「うちのひとなんて、曲がったことが大嫌いだから、以前はこういうことがあると、徹底的に注意していたのよ」と、奥さん。
あるとき車の運転中、信号待ちしていると、隣に止まっていた車からゴミが投げ捨てられたことがあった。
「おい! お前! ゴミを捨てるな!」
男性がそう怒鳴ったところで信号が青に変わり、隣のドライバーは素知らぬ顔で車を走らせ始める。
男性がそれを猛然と追いかけると、運よく、次の信号で例の車が止まった。自分の車を路肩に止め、相手の運転席に近づき、降りるようにうながす。
「なんでだよ」と抵抗する男性に、「さっき、ゴミを捨てたろう! 降りて拾いに行きなさい!」と畳みかける
男性のあまりの剣幕に、相手はびびり、ばつが悪そうに「次は注意します」などとゴニャゴニャ言っていたそうだ。
また、とある講演会に招かれたとき、会場で、真新しい深紅の絨毯の上にタバコを投げ捨てた男がいた。それを数メートル離れたところで目撃した男性は、男のところまで走って行った。
「今、タバコを捨てただろう! 拾いなさい!」
そう注意する男性に、相手の男は「お前になんの関係がある!」と言い返す。
「関係があるかどうかなんて関係ない! 捨てた吸い殻を拾いなさい!」
「そういうあんたは何様だよ!」
「お前に注意をする者だ!」
丁々発止でやり合う二人の周りに人だかりができはじめ、最終的に男は捨てた吸い殻をしぶしぶ拾ったと言う。
そんな調子でずいぶん注意をしてまわっていたそうなのだが、今は全くしていないとのこと。
「どうしてですか?」と聞けば、「あまりに多すぎてきりがないからやめたんだ」。
「日本ではあまりこんなことはないだろう」と言われ、ないわけではないけれどそこまで激しく多くはないかなと思いつつ、帰国した先日。
新宿近くの道端で、自転車を止めようとしたときのこと。
ゆるゆると止まりかけたところに、ちょうど前から20代くらいの若い男性が歩いてきて、男性を遮る形になった。
といっても、男性にぶつかったわけではなく、そのまま前をつっきって自転車を止めたのだが、すれ違いざま、男性は小声で言った。
「ブス」
一瞬、え?!と思った。
ブスなんて言われたのは、中学校以来だろうか。あいにく、私はもはやブスと言われて傷つくような年齢ではない。訂正しようかどうしようか迷っているうちに、お兄さんは足早に去っていった。
お兄さんはおそらく、前をふさがれてむっとした気持ちを、「ブス」という言葉にのせて、私になすりたかったのだろう。
思えば、東京では、混んだ電車でやむをえず人にぶつかって、チッと舌打ちされることがある。あるいは、また、うっかりドアの前にいて人が下りるのに気づかずにいると、無言でドンッとぶつかられることもある。
少し前、電車で中国人旅行者が話をしていたら、それほど大声ではなかったのに、日本人のおじさんがすれ違いざまに「うるせえんだよ」とつぶやいていた。
日本は、中国みたいに少なからずの人が勝手な行為をまき散らす、ということは、それほど多くはないかもしれない。
でもそのかわり、少なくともここ東京では、「不快のなすりつけ」というものがある、と思うのである。
]]>私の住んでいるマンションは、宅配ロッカーに荷物が入ると、ドアブザーが鳴って、「お荷物が届きました」とアナウンスが入るので、すぐわかるのである。
今の日本で、こんなアバウトな配達があるのだろうかと、ネットで調べてみると、アマゾンでは大手宅配業者だけではまかないきれない配送を、地域限定の配送業者が請け負うようになって、トラブルが多発しているという。
そのときの配達も、アマゾンが契約するデリバリープロバイダによるものだった。
ひとまずアマゾンにクレームを入れると、電話口のお兄さん曰く「トラブルを避けるためには、コンビニで受け取っていただくのが一番です」
いやいや、そういう問題じゃないから! 重いから宅配頼んでいるんだから!と、すったもんだすることしばし。
その後、何度かノーチャイムで宅配ロッカーに入れるということが続き、先日はまた、在宅にもかかわらず、コメを宅配ロッカーに入れられてしまった。これもやはりデリバリープロバイダの配送だった。
再度、アマゾンにクレームをすると、今度は電話口のお兄さんいわく、「お荷物によっては宅配ロッカーに入れてもよいという指示を出しています」。
そんなはずはないでしょう!と、これまたすったもんだすることしばし。
一向に埒があかないので責任者か他の人に替わってほしいと話しても、2分お待ちくださいと言って、2分後に再び電話に出たあと「自分が対応します、ご説明申し上げますと……」、と、説明という名の言い分を繰り返す。
おもわず、ここは北京だったか、と既視感にとらわれた。
7〜8年ほど前、北京ではネットショッピングの爆発的発展にともない、宅配業者も急増した。ところが、サービスのほうは、それはもうアバウトなもので、不達や誤配、破損はもちろんのこと、届くはずの日に届かないので連絡したら、「今日は疲れたからもう配達しない」などといわれたこともある。
クレームを入れれば、「私の説明を聞いてください」という口上から、マシンガントークで長い長い言い分を聞かされた。おかげで私の中国語のヒヤリング能力はだいぶ上達したと思う。
しかし、今、私がいるここは東京である。
、あまりに、話が通じないので、途中で電話を切ったところ、再度くだんのお兄さんから電話がかかってきた。それを断わり、改めてカスタマーサービスに電話した。
今度のお兄さんは比較的普通で、「アマゾンで宅配ボックスに入れていいという指示は出してません」とのこと。
そして、「宅配業者には、ドアチャイムを鳴らして在宅を確認するよう要望を出します」と、のたまった。
そこは「要望」ではなくて、「クレーム」ではないかと思いつつ、ひとまず、これでよしとする。ここに至るまで、約30分。
在宅時に部屋まで届けてもらえない宅配は困るし、改善の気配がないのにも心が折れそうになる。
ただ、実のところ、本当に問題なのは、、指定通りの時間にきっちり荷物が届き、少しでも遅れると猛烈に責められて当然の日本において、これほどあっぱれにアバウトな配送サービスが可能なのは、グローバルの巨頭アマゾンくらい、ということのほうかもしれない。
]]>「はんじゅくちーずタルト」というポスターもあり、どうやらこれらがいまの一押し商品のようである。
さらに店内のスイーツコーナーには、日本でもなじみのレーズンバター、なにやらひよこ饅頭を彷彿とさせる「ひよこ」という名前の白餡菓子、さらには東京ばな奈ワールドの「東京ばな奈パイ」のそっくりさんでその名も日本語で「東京ばななクリスピー」なる商品が並んでいる。
以前、日本の技術を取り入れているという話を聞いたような気がするが、それにしても、数年前まではこんなに「日本化」はしていなかった。
好利来といえば、もともとおしゃれさと高級さとおいしさで急成長した企業で、北京の他のベーカリー&スイーツ店とは一線を画していた。
創業者の羅紅氏は写真家としても知られた人物で、90年代初めに蘭州でケーキ屋さんをオープンしたところ、当時珍しかったおしゃれケーキが大ヒットして、好利来を創業したというエピソードが伝えられている。
好利来発の超高級芸術的ケーキ「ブラックスワン」は、羅紅氏が黒鳥の写真をとっていたときに、これをケーキにしたいと思いつき、フランス人シェフを招いて苦労の末に開発したという逸話のある看板商品で、15?のホールがなんと1299元(約2万円)もする。
そんな好利来で、なんちゃって日本風商品が並んでいるのである。
しかも、そのクオリティが高い。
一昔前の日本のぱくり商品といえば、安かろう悪かろうで、パッケージの日本語も意味をなしていなかった。
ところが、例えば「東京ばななクリスピー」のパッケージには、「会いたい気持ちを、ふんわり空気のように、一口美味しく」などと、違和感のない日本語が書かれている。
一つ買って食べてみると、さくさくチーズ味でなかなかおいしかった。
一瞬、「東京ばな奈」とタイアップしたのかと思ったが、実はパッケージの内側には、チーズ菓子で有名なつくばの洋菓子職人、中山満男という人物が顔写真入りで紹介されていて、この中山シェフと好利来の職人が「職人の技が光るお菓子を作り続けています」と、これまた流暢な日本語で書かれていた。
調べてみたところ、中山氏はつくばのコート・ダジュールという洋菓子店のオーナーシェフで、「はんじゅくちーず」「はんじゅくちーずタルト」はここの看板商品だった。
好利来のサイトには経緯が紹介されていて、それによれば、2014年、好利来の創業者の息子二人が、「はんじゅくちーず」に感激し、つくばの中山氏を訪ねたという。
最初は相手にされなかったものの、3度目の訪日で、上述の超高級ケーキ「ブラックスワン」などの写真をもっていったところ、「このレベルのものはフランスでしかみたことない」と感激していただき、「はんじゅくちーず」の製造販売権を得た、とある。
そこで、コート・ダジュールに電話をして確認をしたところ、確かに数年前から北京の好利来で指導をしているそうだ。
ということで、コート・ダジュールから権利を受けたチーズ菓子のほかに、ひよこ饅頭や東京ばな奈パイもどきのほか、六花亭のストロベリーチョコホワイト風商品など、どこかで見覚えのあるものが、「wagashi」というラインナップに並ぶ、という日本人的にはなんとも奇妙な光景なのである。
それで思い出した話がある。
テレビ東京の「未来世紀ジパング」で、アシックスを猛追するスポーツ用品メーカーとして取り上げられていた「安踏(ANTA)」のことだ。
「安踏」は、15年くらい前、当時、雨後の筍のごとく出現したなんちゃってナイキロゴのローカルブランドの一つで、安く手に入るナイキもどきのシューズが、庶民にはけっこう人気だった。
それが2009年にFILAの中国での商標権取得、2014年にはNBAとパートナーシップ契約を提携、NBA代表選手のクレイ・トンプソンと契約、さらに韓国のアウトドアウェア大手kolonなどの買収と躍進を続け、今や中国を代表するスポーツシューズブランドの一つとなった。
ぶっちゃけ、一般庶民の間では、アシックスよりよほど知名度が高いのではないかと思う。
2017年の一大消費デー「11・11」では、オンラインインショッピングで7億元近い売り上げを記録し、タオバオのBtoC(企業消費者間取引)サイト「天猫(テンマオ、Tmall)」でトップ3に入ったそうだ。
それでも今なお、ナイキのAir VaporMaxっぽいシューズを売り出すなど、どこかなんちゃって感がぬぐえない。
とはいえ、オリジナリティもあり、何より海外の技術を取り込んで、品質もデザインも各段に向上した。
加えてそれを比較的安い値段で買える(といっても、以前にくらべると、庶民的にはちょこっと背伸びをするくらいの価格にはなったが)というところが、人気の秘訣であるようだ。
この点、好利来はもう少し高級路線だが、やはり、安踏と同じような構図があると思う。
すなわち、資金を投じて海外の技術を取り込み、その上でパクっている、ということだ。
パクっているのは、中国ではそのほうがまだまだ売れるからだろう。
思えば、中国の家電やスマホメーカーも、パクりの中からめきめきと実力をつけ、機能と価格の面からもはや単なるパクリの次元を超えた。
そして日本では「恥ずかしい」コピー商品は、この国では逆に、コピーできるということが価値なのだと思う。
※写真は「好利来」サイトより。
]]>
中国では、犬の散歩でリードをする人はあまりいない。
そのときも、近所の公園をリードなしで好きに歩かせていたそうだ。
が、ふとした拍子に見失ってしまった。名前を呼んでも姿を見せない。
困ったご両親はさんざんあたりをさがしたものの、結局、その日は犬を見つけることができなかったそうだ。
実はその犬は娘さんがとてもかわいがっていたのだそうで、犬がいなくなったことを知った娘さんは、大変なショックを受けた。
では、どうやってさがすか。
ネットでいなくなった犬の探し方を「百度」すると、(1)張り紙をはる。賞金もかける(←ここ重要)(2)QQや微信などあらゆる手段をつかって探す。賞金額も明記する(←ここ重要)(3)いなくなった付近の監視カメラをチェックさせてもらう(←中国の路上にはあちこちにカメラがある)(4)動物病院にケガをして運び込まれた犬がいないかたずねる(5)犬のペット市場を探す(←ブランド犬は売れるので、高そうな犬がフラフラと歩いていると、捕まえて、転売されるそうだ)などと書かれている。
他にも、犬肉レストランを探すなどというブラックジョークなのかどうかよくわからないものあったりする。
そのときは、娘さんが近所に聞いてまわり、ちょうど散歩させている時間に保健所の野良犬狩りがあったことがわかった。
となると、公園にいた犬たちは北京郊外の収容所に運ばれた可能性が高い。
が、どこの収容所につれていかれたかわからない。
2005年に施行された北京市収容動物管理弁法によれば、15日をすぎて引き取り手のなかった動物は、動物防疫監督机構の責任によって処理、つまり殺処分をされる、とある。
ご両親はもうあきらめたらと言ったものの、娘さんは絶対に探すと、それはもう必死で役所に電話をしてたずねてまわったそうだ。
それで、そのとき捕獲された犬が入っているであろう収容所をつきとめた。
郊外にあるその施設まで足を運ぶと、何百匹という犬が檻の中でひしめきあっていたという。
何度も檻の前をいったりきたりして探すのだが、どこも犬づくしで、とても自分の犬をみつけることができない。
施設内を2周して、同行していたご両親がもう帰ろうと促すと、娘さんは泣きながら犬の名前を叫んだ。
すると、群れの中から、一匹、ぴょんっと飛び上がった犬がいた。
それが、まさに、いなくなった犬だったそうだ。
こうして奇跡的に取り戻すことができた。
という、実に感動的な話なのだが、冷静に考えると、北京ではあれだけペットブームで犬があふれまくっているのに、街中で迷子の犬や捨てられた犬をあまりみかけないということは、つまりそれだけ「清掃」されている、ということのようである。
]]>それで疑問に思ったのだが、裁量労働でも固定時間でもフレックスでも時給でも、日本人は「働きすぎ」をそうそうやめられないのではないだろうか。
なぜなら日本社会には、生真面目さを評価する価値観があると思うからだ。
東京のとある職場でバイトをしていると、裁量労働か時給かにかかわらず、真面目にきっちりやって、オーバーワークしている人たちがいる。
強制されて働かされているわけではなく、優秀ゆえにてきとーにはできず、時間外労働をしているのである。
一例をあげると(実際にそういう業務があるわけではないが)、先方から1〜5までのものをそろえてほしいというリクエストがあったら、ちゃんと1〜5まで完璧にしっかりそろえる、といった具合である。
これがもし、中国人相手ならと考えると、たぶん、1と2くらいを返して、あとはどうしても必要だったら、また言ってくるだろうから、そのとき考える、みたいなやり方になるだろう。
別に中国人だから適当にやる、というわけではなく、そもそもリクエスト自体がざっくりで、途中で変更したりすることもしょっちゅうなので、きっちりさより臨機応変さのほうが求められるからだ。
特に中国で出来るタイプの人は、そういう立ち回りが上手い人が多い気がする。
話を日本に戻すと、少なくとも私の半径5メートルくらいをみるかぎり、仮に制度で働き方をかえたとしても、日本人が生真面目さという価値観を放棄しないかぎり、結局、働ぎすぎはなくならないのではないかという気がする。
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加えてその帰り道、今度は山手線で3分の遅延が出て、やはり駅に着くたびに説明とお詫びのアナウンスが流れていた。
丁寧で誠実といえばそうかもしれないが、なにもそこまでしなくても……と思ったのは、私一人ではないだろう。
また、ある時、都電荒川線に乗ると、運転席近くに「乗務員が体調維持のため、停車中に水分補給を行う場合があります」という張り紙があり、おもわずのけぞったこともあった。
北京のバスでは、運転手も車掌のおばちゃんも、お茶入りマイボトル持参は当たり前の光景だったので、まさかあえて説明をするようなことであるとは思いもよらなかった。
それにしても、運転手がお茶を飲むことや、たかが3分の遅延におことわりや謝罪が必要だとしたら、そんな社会はずいぶん息苦しそうだ。
そう考え、はたと思った。
この種のアナウンスに違和感を覚えるのは、単にトゥーマッチというだけでなく、「謝罪するのでお許しください」的な「保身」と表裏一体なところがあるからではないだろうか。
であるならば、保身という防御において、バカまじめさをさらけ出して謝罪するという戦略がまかり通る日本は、やはりきわめて「いい国」といえるかもしれない。
中国でも近年は謝罪が増えたが、基本的には、攻撃は最大の防御である。
例えば、去年、北京に行ったときのこと。
予約したホテルに行くと、ガラス扉の向こうは真っ暗だった。一時的な停電かと思い、ドアをあけると、真っ暗なフロントにいた若いスタッフいわく、「公安からの営業停止を受けたので今日は泊められません」。
そして「かわりに、姉妹店があるので、そちらに案内する」とのこと。ただ、聞けば、かなり遠方の郊外。私はこの場所に用事があって、ここのホテルをとったのだから困ると言えば、「じゃあ、自分でなんとかしてください」。
そこからはもういわずもがなのバトルである。こちらが「そっちの都合で泊められないんだから、近隣のホテルに連絡して替わりの部屋を手配すべき」と言えば、「私たちだって公安に言われた被害者。姉妹店に案内するといっているのに勝手を言っているのはそっちのほう」とやり返す。
あとから聞いた話では、実はドミトリーの一室で盗難があり、盗難にあったのがアメリカ人で、1000ドルという大金であったために警察沙汰となったそうだ。それで、店主も責任を問われ、前日から拘留され、スタッフも徹夜で対応に追われていたという。
結局、かなりのすったもんだのすえ、なんのことはない、歩いて数百メートルのところにもう一軒姉妹店があり、そこに一部屋取ってもらうことができた。
最初からそこに案内しなかったのは、オンシーズンで、私が入ると満室になってしまうので、あけておきたかったようだ。
ホテルの「自分たちも被害者」という言い分は、確かに一理あるのだが、それでもこういうとき、自分は悪くなくてもとりあえず謝る日本式が恋しくなる。
さて、話をもどすと、冒頭の電車の遅延謝罪アナウンス。
せっかくなので、海外ではおそらくあまりみることができないだろうそれを、東京五輪に向けて、英語と中国語と韓国語でも流したらどうだろうか。
それが海外の人にとって「心地よい」かどうかはわからないが、戦略的にやれば「名物」になるかもしれない。
そうしたら、3分遅延で謝罪のアナウンスも、もっと楽しいものになるのでは、と妄想するのである。
]]>路上ではシェアサイクルにスマホをピッとかざすだけで利用でき、レストランでは店員を呼ばずとも備え付けのタブレットで注文から支払いまでできてしまう。そして、新しいITサービスの話題も事欠かない。
中国はますます巨大なIT国家になっていくようだ。
と、思っていたのだが、先日、海南航空のサイトで東京‐北京のチケットを予約したときのこと。(東京‐北京の往復が2万円ちょっとという超格安チケットである)
予約した後で予定を1週間ずらすことになり、チケットの日程を変更しようとするも、海南航空のサイト上には変更メニューが見当たらない。
もともと、海南航空のサイトはオンラインチェックインのメニューがあっても使えないなど、いろいろ不都合が多い。
ただ、サイトのオンライン問い合わせサービスは極めて迅速で、チャットをたちあげたとたんに、「どうしましたか?」と話しかけられる。
そこで「日程の変更をしたい」と問えば、即答で「国際路線のチケットの変更は中国国内の問い合わせ電話に電話してください。番号は××です」。
仕方ないので、国際電話すると、対応はやはり迅速かつ丁寧で、変更手数料は日本円で5000円、人民元で200元ちょっと、米ドルでは46ドルかかるという。
それは予約の際に了承済み、問題ないと答えると、変更手続きはさくさくと進み、かつ、間違いがないように、しつこいくらい確認をしてくれる。
ところで手数料の支払いはどうするのだろうと思っていたら、中国元での支払いなら、中国国内で発行したクレジットカードかデビットカード、海外のクレジットカードの場合はドル払いになるという話である。
WeChatペイは?と問うと「ありません」。日本円での支払いは?と問えば、それも「ありません」。
ではなぜ、予約の際の注意書きに日本円が書いてあったのか、という疑問はさておき、 日本のクレカでのドル払いを選択。
それでどうするのかと思いきや、口頭でカード番号を読み上げるというなんともアナログな支払方法だった。
そして、最後にもう一度、変更後の日付を確認し、「手続きが完了したら、電子チケットがメールに送られるので、もし、明日になっても届いていなかったら、もう一度電話してください」と、これまた丁寧な説明があった。
手続きはアナログだけれど、サービスの向上ぶりはすばらしい。
思わず、じんわり感激した翌日、案の定、というべきか、電子チケットが届かない。
そこでもう一度、国際電話をすると、海外のクレジットカードでの支払いの場合、手続きが少し遅くなるとのこと。
「もう少し待ってみてください」と言われるも、これまでの経験から、「もう少し」が「もう少し」であったためしはあまりなく、「待って」と言われて素直に待っていたら、手続きが抜けていたとか完了していなかったとかで、実は進んでいなかった、ということも少なからずあった。
今回もそういう話ではないのかと、疑念がむくむくとわき、「もう少しというのは数時間か数日か」と電話口のお兄さんを問い詰める。
数年前なら「それは知らない」と言われそうなところだが、お兄さんは「それなら、夜18時まで待って、それでも届かなかったら、また連絡ください」と、なかなかの好対応。
そして、結局、その日の午後、電子チケットはPCメールとスマホのショートメールの両方に送られてきた。
中国はソフト面でもハード面でも、10年前には思いもよらなかったような大きな変化の中にあることを改めて思う。
ただ、話はこれで終わらなかった。
後日、海南航空のサイトで座席指定をしようとしたら、チケットがヒットしないのである。
再度、オンラインで問い合わせたところ、チケットはちゃんと登録されているという。そして、名前は「姓/名」で入力して、もう一度試してみろという指示。
言われた通り「TANAKA/NAMI」と入力したもののやはりヒットしない。
そこで最後にダメ元で「TANAKA/NAMI MS」と敬称付きで入れてみたらヒットした。
システムの問題か入力ミスか、本来「TANAKA/NAMI」と登録されるべき名前が、「TANAKA/NAMI MS」と登録されてしまったのだろう。
中国は確実に変わりつつある。でも、「昔ながら」の中国も、まだまだ健在のようである。
]]>そのときはまだ、「数も少ないし、普及は難しいかもね」という話で終わった。
ところが、それからほどなくして、シェアカーはあっという間に注目を集め、日本でも報じられるようになった。
なにしろ、免許を持っている人は3億人、うち車を持っていない人は半数の1.5億人にのぼると報じられるくらいである。
http://www.sohu.com/a/212586393_114760
実は、私自身、免許はとっても車を買う予定はなく、東京ではよくシェアカーを利用している。
それで、中国のシェアカーの話を聞いたとき、(悪高き)北京の道路でぜひ利用してみたい!という野望を抱いた。
日本の国際免許は中国では使用できないが、中国で筆記試験を受けて合格すれば免許を取得できるという情報があり、実際に取得した日本人の話も少なくない。
しかし、残念ながらいまは半年以上のビザがないと難しいようである。
というより、それ以前に、まだ車線変更もおぼつかないので、あえなく撃沈。
実際に中国でシェアカーを利用した話は、中国アジアIT専門ライターの山谷剛史氏の記事が興味深かった。
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1709/29/news044.html
さて、このシェアカー。
実際に東京で使っていて感じるのは、中国でこのビジネスモデルを展開するのは、難しいのではないか、ということだ。
なぜなら、シェアカーは使う人のマナーと、マナーを守らせるための罰則によって成り立っている部分が少なくないからだ。
基本的に乗り捨てNG、加えて事故は大なり小なり必ず報告し、警察にも通報して事故証明を取ることとされている。飛び石のような些細な事故でも例外ではなく、無申告で発覚すると、修理代だけでなく、修理中の休業補償も全額負担、場合によっては会員資格取り消しといった罰則が科せられる。
一方、中国のシェアバイクがここまで発展した要因の一端は、その辺で乗り捨てOK&アバウトな使い方を吸収できるビジネスモデルと、それを実現するための巨額の資金および大量の放置自転車を回収するマンパワーにあると思う。
これを車で実現することは簡単ではない。
ということで、中国のネットにもさっそく「よさげに見えるシェアカービジネスが遅かれ早かれだめになる10の理由」という記事が出ていて、資金やコスト面、駐車場、利用マナーなどの問題を挙げていた。
http://auto.sina.com.cn/j_kandian.d.html?docid=fynmnae1459926&subch=uauto
そして昨年末には、アウディなど高級車メインを売りにしていたシェアカー企業EZZYが倒産したというニュースも報じられた。
それでも、中国のシェアカーは2018年のホットな話題の一つだ。そして、確実にニーズはあるであろうこの市場に、あの手この手で果敢に切り込もうとする中国人のガッツとアイデア力は、日本の比ではないと思う。
東京で使えるシェアカーはおそらく3社程度で、いずれもビジネスモデル自体にあまり大きな違いはない。所定のステーションで借りてそこに戻すというシステムはどこも同じで、あとは料金設定とステーションの数に違いがある程度だ。
これに対し中国では、所定のステーションに返却か、プラスアルファの料金を支払って乗り捨て返却かを選べるシステムがあったり、ダイムラーがスマートを投入、商業施設をステーション拠点にCar2Shareというシェアカーを展開していたり、さらには中国の自動車メーカー吉利が、シェアリング機能を標準装備し第三者にも貸し出し可能なマイカーなるものを売り出したりと、なかなかバラエティに富んでいる。
まだまだ黎明期で課題が多くても、本当にニーズがあれば、ムクムクと発展していくだろう勢いが、かの国にはある。
こういうところが中国市場の醍醐味だと思いつつ、でも……、とも思う。
あまり目を向けられることはないかもしれないけれど、北京のように古い町並みが残る都市は、そもそも、車が走ることを前提にしてつくられた町ではない。
2008年の北京五輪前後に行われた大規模な再開発で、ずいぶん古い路地が壊され、かつ、五環路、六環路とどんどん外側に膨張しているものの、北京という町の「骨格」はおおむね変わらない。
そして何本かの幹線通路がどーんとある以外、その幹線道路をつなぐ中くらいの道が少なく、細々とした通りが碁盤目の目のように張り巡らされ、いつもどこもどんづまっている。
また、駐車場なしでも車が買えてしまうので、おのずと路上に車が溢れ、昔ながらの胡同は路駐だらけでまともに通れない。
おまけに近代になって整備された幹線道路は、交通量がいまよりずっと少なかったころに整備されたため、側道と本道の出入り口が不合理で、それがまた激しい渋滞の要因となっているところもある。
仮に、シェアカービジネスに巨額の資金が投じられ、便利に車が借りられるようなアイデアサービスが提供されたとしても、結局、こうした北京の町の「骨格」がドライバーにもたらす制約はいまのところ変わりそうにないのである。
]]>遅ればせながらあけましておめでとうございます!
昨年も、のんびり更新のブログにもかかわらず、訪ねてくださり、大変ありがとうございました。本年はもう少しペースアップを目指してまいります。引き続き、楽しんでいただけましたらうれしいかぎりです。
2018年もどうぞよろしくお願い申し上げます!
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昨年末、東京で車の免許を取った。自分で車を運転してみて、いまさらながら、北京の車の運転が荒いことに思いをはせた。
北京では日常的に、交差点で車が入り乱れ、一方通行が無視され、急な進路変更で車が突っ込んできた。
みんなが自分勝手といえばそれまでだが、少なくとも、北京で車を運転している私の知り合いは良識のある人ばかりである。そういう人が、「車を運転すると性格変わる!」という。
北京の路上で、漫然とルールが守られない背景には、もしかしたら、免許を取るまでの過程で、何か日本との違いがあるのかもしれない。そう思いたち、北京で免許をとった友人に聞いてみた。
ところが、普通に自動車学校に行き、実技と学科の試験を受けて免許交付という流れはかわらない。むしろ中国の教習所では駐車などステップが若干多い気がする。
東京の教習所では、方向転換と縦列駐車は習ったものの、いずれも、ぶっちゃけ、目印のポールがあり、言われた通りにやれば試験は100%合格した。
でも実際に路上に出たら話は別で、今は、駐車はの自主トレ中。しかも先日は、池袋付近の初めての駐車場で困っていたら、通りすがりの中国人青年に、「こっちにハンドル切って、もうちょっとそっち〜」とガイドしてもらう始末である。
では、交通法規の教習がアバウトなのかと思いきや、ネットに公開されている筆記試験用一問一答は、ほとんど日本のそれとかわらない。
一昔前は、「事故現場で腹から腸が飛び出している人がいたらどうするか」といった問題があったという話を(これまたネットで)見かけたが、いまはそこまでぶっ飛んだ問題はないようだ。
というより、普通すぎて面白くないくらいで、交差点では直進優先というのも、一方通行は一方向にしか走れないということも、突然の進路変更が危険ということも全部出ている。
中国の筆記試験一問一答例(中国語)
http://www.jkydt.com/jxks/bcd67001.htm
そこで中国人の知人に、日本の教習所と何か違うところはあると思うかとたずねたところ、少し考えた知人曰く、「中国の教習所は、教官にタバコを渡さないと合格しない」。
確かに、学費+タバコというのはよく聞く話で、以前、北京で免許をとった人も、タバコを渡さなかったら、なかなか合格させてもらえなかったと話していた。
でも、その一方で、タバコ(ワイロ)はなかったという人もいる。
いずれにしても、北京の車の運転が荒いのは、教習所うんぬんの問題ではないようだ。では、なんのせいかといえば、それはやはり、ルールを守っていたらバカをみるという安心感の欠如と、給料(や成績)に反映されないことは取り締まらない警察とのコラボによるものではないか、と思うのである。
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