中国在住10年を経て帰国。
中国、という日本とは違った視点で、
日本をあれこれ考えてみる、
日中文化考ブログ by 田中奈美
中国の八大製茶マスターのミニ缶セットがネスプレッソな件

 先日、中国のテレビを見ていたら、八大大師小罐茶(ミニ缶茶)なるもののCMが流れた。

 

 八人の製茶大師(いってみれば製茶マスター)がその熟練の技で製茶した茶葉を、数杯分ずつ(?)小さな缶に詰めたというラグジュアリーな商品。

 日本のテレビでも見かけそうな重厚なCMで、逆にその「見かけそう」なところが目をひいた。

 というのも、中国のテレビで、こうした伝統と熟練の技に焦点をあてたCMをあまり見たことがなかったからだ。

 

 思えば、中央テレビのドキュメンタリーシリーズ「舌尖上的中国」で、中国各地のスローフード的な庶民グルメと食文化が紹介され、大ヒットを飛ばしたころから、目先のバブリーなものより、もっとじっくり作られたものに目が向けられるようになったような気がする。

 

 おりしも先日、北京帰りの友人と会ったとき、昨今の中国では、金さえあればだれでも持てるブランド品より、熟練した職人がつくるオリジナル品のようなものに価値が見出される、といった話が出たところだった。

 

 CMに登場する製茶マスターも、武夷岩茶の大紅袍(紅茶)は、武夷岩茶国家標準の主要起草人の王順明氏、国家礼品茶の西湖龍井(緑茶)は唯一指定を受けた戚国偉氏、黄山毛峰(緑茶)は、烏龍茶(鉄観音)は、鉄観音始祖魏蔭第九代孫の魏月徳氏、黄山毛峰伝統制作技藝第49代伝承人の謝四十氏といった感じで、なにやら錚々たる感じの名前が続く。

 

 もっとも、私はお茶のことは全然わからない。どういう人物なのかネットで調べてみたのだが、どこまでが自称で、どこまでが本物なのか、ネット情報だけではよくわからなかった。

 

 そして、茶葉ごとに色が異なるお洒落なミニ缶が、なんだかネスプレッソっぽく見えてしまうのは、はたまた気のせいだろうか?と、思わなくもない。

 

小罐茶公式サイトはこちら(写真はサイトより)

 

 

 

 

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中国の駅前にコインロッカーがあったとしたら

 夜中、駅前のコインロッカーを運営する会社に密着した番組を放映していた。使用期限がきても持ち主のあらわれないロッカーをあけて中身を確認すると、数年昔の雑誌の束、着替えなどお泊りセットと思われる荷物、なぜか何年も前の食べかけの食べ物など、それはもういろいろよくわからないものが出てくるという話である。

 

 例え持ち主が判明しても、理由があって取りに来ないだろうから、連絡はせず、一定期間保管し処分するという。

 ロッカーに放置されたモノから、社会の片隅に沈殿した澱をほんの少しのぞき見するようだった。

 

 それでふと、仮に中国の駅前にコインロッカーがあったとしたら、期限切れロッカーの中に、どんなものが入っているだろうか、と妄想してみた。

 

 私が滞在していた10年の間、中国の駅前で、いわゆるコインロッカーを見かけたことはなかった。というより、世界的には、コインロッカーがこんなに無造作にある日本のほうが珍しいかもしれない。

 

 では中国にコインロッカーが皆無かというとそんなことはない。スーパーの入口には無料のコインロッカーまたは荷物預かり所がたいてい必ずあり、入口の警備員に、バッグは預けるように言われる。つまり、このロッカーは客の便便宜のためではなく、店側の万引き防止という便宜のために設置されたものなのである。

 

 振り返れば、中国では、客の便宜のためのコインロッカーをみた記憶がない。

 そもそも当時は自動販売機もまだ珍しいくらいだった。現金を投入するタイプのものは、盗難のリスクに加え、偽札を入れてお釣りで現金ゲットという用途に使われるリスクもあった。

 

 それで、一大観光地など、人が集まる場所では、狭い間口の掘っ立て小屋のような荷物預かり所が儲け商売となっていた。ただし、そういうところは、紛失の保証もなにもないので、荷物を預けるのはなかなかスリリングだった。

 

 いまはスマホ決済がすっかり定着し、自動販売機も日常的に目にするようになった。ならばコインロッカーも出現しているだろうか。

 北京ではいまのところ見たことないが、もしあったとしたら、期限切れのロッカーにはどんなものが入っているだろうか。

 

 と、妄想しかけ、そういえば、と思った。

 スマホ決済しているということは、預ければ預けるほど料金は徴収されるので、無意味に置きっぱなしにしたりすることもないだろう。

 

 仮に決済ができない状況が発生すれば、中国では、「理由があって取りに来ないだろう」という気遣いがされるとは思えないので、決済情報から持ち主が割り出され、請求がいくのではないか。

 あるいは、中身が「いいもの」だったら、転売されて換金されるか。

 

 それ以前に、監視のない公共の場所のコインロッカーは簡単に鍵をあけて盗まれるリスクを考えると、よほどセキュリティに力を入れないと、利用者は限定的かもしれない。

 

 などというきわめて現実的問題の妄想が湧いて出てきて、中身の妄想にはなかなかたどり着けそうもない。

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老舗と伝統

 中国では、代々続く個人の店がない。以前、北京在住の日本人ジャーナリストがそんな話をしていて、なるほどと思ったことがある。

 

 もちろん、まったくない、というわけでもない。私が住んでいた胡同には、地元の人がおばあちゃんの代から通っているという総菜屋があった。また、祖父が宮廷料理人で、そのレシピをひきついだレストランなるものもあったりする。

 

 あるいは数年前、「舌上の中国」という、各地の伝統的な手法と自然の素材でつくられる、一般庶民向けの本当に素朴なグルメを紹介する番組シリーズが大ヒットしたこともあった。

 

 でも、日本のテレビで、×代目などと紹介されている店をみると、確かにこういう店は中国にないなあと思う。

 そもそも、文革で伝統文化が断絶しているし、今の共産党中国自体が新しい国だ。「先進的」とか「革新的」であることに価値観が置かれ、急速な発展の中で、機転がきいて、てっとりばやく金が稼げるほうに人が流れる。伝統そのものはたいして金にならない。

 

 例えば、代々続く武術家家系の先生を取材していると、息子の代には伝えるのをやめてしまったという話を聞く。

「今の若い世代は、みんな仕事と家庭で忙しい。弟子を取っても同じ状況で、熱心に続けられる人もなかなかいない。伝統武術を伝えていくような時代ではない」

 

 そんなことを話すある三代目の先生に、「では、このまま失われてしまってもしかたがないのだろうか」とたずねると、しばらく沈黙した先生は、「でもどうしたらいいのだろうか」と、問い返した。

 

 おそらくこれは、武術にかぎったことではない。今の中国全体がこんなムードだ。

 ただ、伝統が失われることの残念さより、世代をこえて伝えていく術をもたない社会は、今後どうなるのだろうか、ということを思う。

 

 なぜなら今、何世代にもわたって伝わってきたものは、ただよいからとか、ただ技術レベルが高いからというだけで生き残ってきたわけではなく、時代の中でニーズをとらえ、小さな変化を積み重ねてきたからではないか、と考えるからだ。

 

 中国はスピードがはやく、どんどん新しいものが生まれ、金もじゃんじゃん稼いでいる。でも、その価値観だけで、今の若い世代やその先の世代がやっていけるとは思えない。いずれ転換点を見出すことになるのではないか。

 

 一方、日本も「伝統」があるからといって、それがいかにガイジンに評価されているかという話で悦に入っていては、ただでさえ過去の「遺産」で食いついないでいるところが、ますますじり貧になるだろう。

 世代をこえて伝わるものがある社会をどうつくるかは、わりと大事な課題ではないかと思う。

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徐暁冬(格闘技)VS魏雷(太極拳)と日中経済実力差

 中国総合格闘技の徐暁冬選手が、自称雷公太極拳の創始者、魏雷氏を、あっという間にKOした、という話が話題になっていた。

 

 まず、ざっくりした背景として、徐暁冬選手というのは、名門、北京什刹海体育学校の出身で、自身も道場を構えるプロ格闘技家。以前から中国の伝統武術はダメダメだと喧嘩を売る毒舌キャラで売り出していた。

 

 一方、魏雷氏のほうは、自称、楊式太極拳の名士の弟子(?)で、自身で雷公太極拳を創始したという人物。それで、CCTVに出たりもしていたが、実戦派ではない模様。

 それなのに、どうやら周囲から持ち上げられて、試合に応じることになったらしい。

 

 それで、たちまちKOされたうえ、靴が滑ったとか、本気で内功を発揮したら相手は死んでいたとかいう話をして、さらに炎上。

 

 こうして、徐暁冬氏は一躍、時の人となり、炎上商売に成功したかとおもいきや、あまりに盛り上がりすぎて、「なんなら俺と勝負しろ!」という(たぶん便乗商売型の)伝統武術家も出てきたり、徐暁冬氏の過去の「政治的発言」まで取りざたされるようになったりして、さらにてんやわんや。

 

 ところで、こういう騒ぎがおきると(あるいはおきなくても)、巷では「伝統武術は果たして戦えるのか」という話が取り沙汰される。

 実際、伝統武術を習っていると、「それは強いのか」と聞かれることもある。

 

 私自身は、何かを言える立場ではないけれど、それでも、従来の中国武術は、とても奥深く、味わい深いものだと思う。そして、学ぶことは簡単ではない。そもそも、誰でもが習得できるものではなく、試合でどっちが勝ったから強い、みたいな明確さもない。

 

 加えて、今は、表演や競技として現代化した中国武術もあって、ややこしい。

 そのわかりにくさが、いろいろな誤解や、自称達人などを生んでいるところがある。

 

 それで今回、ふと思ったのは、伝統武術と格闘技のどっちが強いかという話は、なんだか日中の経済実力はどっちが上かみたいな話だ、ということだ。

 

 中国は、GDPではとっくに日本を抜いて世界第2位。でも、日本経済にも、長年培ってきたものがあり、実力という点ではそう簡単に譲らないところもあるだろう。

 と、同時に、それに胡坐をかいていれば、中国の新世代の発想とパワーにあっというまにひっくり返されてしまうだろうし、実際、それが現実になっているところは少なくない。

 

 でもだからといって、日本が世界経済において中国に正面から挑んで勝ったら「えらい」のか、といえば、それ自体ナンセンスな話で、日本は日本で粛々とその道を進むのが筋だろう。

 

 中国経済=格闘技、日本経済=伝統武術ではけしてないし、よい例えだとも思わないけれど、はたからみたらそうした側面があるように思う。

 

 さて、くだんの騒動、その後、どうなったかというと、警察が動いたらしい、という噂が流れ、徐暁冬氏の毒舌微博(SNS)は閉鎖された。そして、徐暁冬氏は謝罪。

 「伝統武術を馬鹿にしたわけではなく、伝統武術を語る偽物を倒したかった」という話に加えて、自身の恩師も八卦掌とシュワイジャオを学んでいた、などという話を披露していた。

 

 結局、伝統武術家より、格闘技家より、お上は強し、というこの顛末。あとは何もなければそのまま幕が下りるだろう。

 でも、お上による伝統武術の保護と普及が、武術の武術たる伝統を損う要因になっているのでは、と思わなくもない。

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画一さと私のパンツ(ズボン)

 私は普段、あまり服を買わない。中国から戻ってきて3年、北京で買った服をまだ着ていたのだが、さすがに周りの眼が気になるようになってきた。

 

 それで、先日、仕事で使う服を何着か買いに行った。ストレートかブーツカット(今どき風にいえばフレアラインか?)のパンツを買いたかったものの、困ったことに、おしなべて、スキニーっぽく、ぴったり系で裾がしぼられているものか、ガウチョのような幅広のものかしか見つからない。

 ずんぐりむっくりな私の体型では、どちらも少々ハードルが高い。

 

 私は服のことはよくわからないので、最初は探し方が悪いのかと思った。けれど、ブランドショップでもファストファッションの店でも、おしなべてスキニーまたはガウチョ、ということは、おそらく日本のファッション業界では、ストレートもブーツカットも「ダサいもの」として、ほとんど淘汰されてしまったのではないだろうか。

 

 これを流行に敏感というべきか、あるいは画一的というべきかはわからない。でも、日本にいると、どうも、自然に「足並みが揃う」みたいなところがあると感じる。

 

 たとえば、パクチーが流行ると、食品メーカー各社はパクチー味の商品を開発する。しかもだいたいどれもちゃんと開発されていて、大きくはずれるということはそれほどない。

 

 またテレビでは、各チャネルがほとんど同じタイミングでCMに切り替わる、あるいは同じ時期に番組が入れ替わる。

 制作サイドの事情があるのだろうが、それにしても、一つの連ドラが終わり、いろいろ特番が放映されて、また次の連ドラがはじまるというサイクルが、毎シーズン、粛々と繰り返されていくのを見ていると、少々不思議な気がする。

 

 思えば、中国は、いろいろなことが、てんでバラバラだ。

 国が大きすぎ、人が多すぎで、かつ貧富の差も大きいため、画一的になることなど到底無理かもしれない。あるいは、そもそも、足並みをそろえるという発想もないだろう。

 

 ファッションの流行り廃りはそれほど明確ではなく、お金を持っている人たちにとって、流行とは個性とステイタスを発揮するために取り入れるものであるようだ。

 

 ただ、儲けになる商売には、人が群がるので、例えば、以前、中国の伝統服、旗袍(チャイナドレス)を現代風にアレンジしたファッションが話題になったときには、旗袍風ブティックが雨後の筍のように出現した。

 

 もっともそれで、街中の女性たちがみな、旗袍アイテムを取り入れる、といったことはなく、店も微妙な方向でオリジナリティを発揮したものから、センスよくまとまったもの、あるいは粗悪なコピーものまで、実に千差万別だった。

 

 千差万別といえば、先日、北京に行ったときのこと。

 マクドナルドに入ると、店内に設置されたパネルで注文できるようになっていて、次々とやってくるカップルや家族連れが、スマホをピッとかざし、支払いを済ませていた。

 また、町にはスマホを活用したシェアバイクがすっかり定着し、スマホ決済はすでに社会インフラになっているようだった。

 

 でも、その一方で、下町の胡同を歩くと、出稼ぎ労働者たちが小さな店をつらねる一角がある。オンボロ食堂の前の道端には、椅子とテーブルが置かれ、日焼け顔の中年男性が山盛りの麺をすすっている。そして食べ終わると、ポケットからしわくちゃの10元札を出し、テーブルに置いていく。

 

 地下鉄に乗れば、大きな荷物をかかえてドア前をふさいでいる労働者と、高そうなブランド服の女性が同じ車両に乗り、その間を物乞いが「お願いします」と手を差し出しながら歩いていく。

 

 こういうところにいると、どんな服を着ていてもどんなかっこうをしていても、あまり目立つということがない。

 この多様さは、やはり中国の醍醐味だと思う。

 

 もっとも、それも一長一短で、千差万別すぎて、思いもよらないことが連発し、疲労困憊することも日常茶飯事だ。そういうときは、日本の画一さがもたらす安心と安定のありがたみを実感する。

 どちらがいいとか悪いとかではなく、ほとほどが一番と思うものの、そのほどほどがまた難しい。

 

 そしてくだんのパンツは結局、お店の人が勧めるままに、ガウチョとスキニーを購入。ついでに、お店の人が勧める「体型が目立たないようになる」ロングのカーディガン(コーディガンというやつかも)と、ふんわりしたブラウスもお買い上げ。

 

 見た目はそれなりに流行風かつ平均的な感じで、そのまま、丸の内のオフィスにも行けそうだ。ついでに仕事帰りは、ちょっとおしゃれなレストランで、女子会なんかもできてしまうかもしれない。

 

 おかげで、周りから浮いているかも?と思うことはなくなった。でも、それはそれで、どこかしっくりこなかったりもする。

 

<<お知らせ>>

 渡部恒雄 (米シンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」非常勤研究員、「笹川平和財団」特任研究員)
「米国政治ウォッチャーが語る、トランプ政権のキーパーソンから見たアメリカの行方」の記事を担当しました。

 お話自体は少し前なのですが、トランプ政権を知る上で、非常に示唆に富んだお話しでした。米国政治はさっぱりの私でも、見るべきポイント、知るべき点の基本がとてもわかりやすかったです。
 今、話題の北朝鮮についても、よくわかります。

 トランプ政権ニュース、なんだかわかるようでわからないな、という方、ぜひご一読を!

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「雄安に家を買う人にはわからない話」と90年代生まれのこと

 「雄安に家を買う人にはわからない話」といった、ちょっと面白いタイトルのネット記事が目についた。雄安新区は、先日、新設が発表された習近平総書記肝いりの経済特区。で、さっそく地価が高騰しているという。そこに家を買える人というのは、いわゆる財とコネがある人、ということになるだろう。

 

 では、その人たちにはわからない話というのは何か、というと、「ちまたの大使館外荷物一時預かり商売(商売大使外的存包江湖)」、つまり、北京のアメリカ大使館前の「私設」荷物預かり人のこと。

 

 実は北京のアメリカ大使館では、2011年から携帯電話と手荷物の館内持ち込みを禁止、荷物の一時預かりサービスもやめているそうで、そこに目を付けたのがちまたの庶民。勝手に、荷物預かりサービスを展開し、小さい荷物1件30元、大きい荷物1件40元で預かる「サービス」を提供している。

 

 こういうアングラ商売の常で、意外にもけっこうちゃんとおり、荷物はマイカーで保管、客には自分の携帯番号と預かり番号を記した札を渡してくれるそう。客の携帯を紛失したときには、弁償したこともあるとか。

 

 昨今、アメリカのビザを取る人がふえ、月の収入は数千元にのぼる。もっとも、城管(路上警察)の取り締まりがあれば、預かった荷物をもってさっささと逃げなければならない(彼らの逃げ足は速い)。

 中には荷物を預けておいて、代金30元を払ってくれない客もいるそうで、「アメリカまで行ける金持ちが、30元すらけちるなんて」というコメントも。

 

 もっともこれはいまに始まった話ではない。いまさらといえばいまさらな話題だが、「雄安に家を買えるような人にはとうていわからない」という、ナイスなタイトルのおかげで、けっこう注目され、北京の大手新聞「新京報」が後追い取材していた。

 

 では、このネット記事、ソースはどこかと調べたところ、「公路商店」という聞きなれないメディア。調べてみると、90年代生まれの康陽という青年が立ち上げた微信メディアだった。若者向けのアングラ系アカウントとして、人気があるらしい。

 公式サイトを開くと、ずいぶんおしゃれなデザインの上に微信のアカウントのみ表示されていて、それをスキャンすると、微信で記事がよめるようになる。

「公路商店」http://www.ontheroadstore.com/

 

 記事は、ゆる〜いカルチャー系、日本のホストを紹介する記事なんかもあったりする。「黒市(ブラックマーケット)」という、なんともひとをくった名前のネットショップも展開していて、ちょっとウィットのきいた商品を売っている。

 

 この康陽、大学在学中に、「在路上」というインディペンデントマガジンを発行しており、メディアに取材された記事がネットに残っていた。ネットでちょっと注目されている90年代生まれの一人、というところだろう。

 

 数年前、新世代として90年代生まれが注目されたころ、彼らはまだ学生だった。それがいまや20代半ばから後半にさしかかり、独自の感性とアイデアで、新しい展開をはじめているように思う。

 

 いま、注目の深センのメイカーズしかり。

 身近なところでも、以前、暮らしていた北京のマンションの向かいの部屋に住んでいた90年代生まれの青年は、親のコネで入った大手外資企業をやめ、アメリカにわたり、水中カメラマンとして、なかなか個性的な写真を撮っている。

 

 あるいは先日、知り合ったやはり90年代生まれの青年は、ビンテージカーの輸入ビジネスを手掛けて成功している模様。

 ただの官二代の成金かと思いきや、ビンテージカーに興味をもった理由について、「車には時代と社会の歴史があるから面白い」と味わい深い話をする。

 

 5〜6年前、北京でよく通っていたおしゃれ系カフェでアルバイトしていた90年代生まれの青年たちは、独立して自分の店を持ち、それぞれのセンスを発揮している。

 

 この先、90年代の生み出すカルチャーとビジネスは、中国の有り様を変えていくのではないか。小さなネット記事から、そんなことを改めて考えた。

 

※「大使外的存包江湖,去雄安房的人是不懂的」

http://www.sohu.com/a/132134212_570238

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北京のレストランのローカル&ハイテクとお知らせ

 先月、北京で、成都市政府経営の四川料理店に行った。

 北京には各地方政府のオフィスがあり、そこに併設される形で地方政府経営のレストランがある。ローカル色高めだけれど、食材や調味料は産地直送で、安くておいしいと人気が高い。成都市政府レストランもその一つ。

 

 景山公園近くの胡同の一角にあり、もともと四合院式の中庭のある建物を改装したのではないかと思う。入口を入ると、ホールがあり、そこから渡り廊下のようなもので、部屋がつながっていて、その渡り廊下的なところにまで、椅子とテーブルが置かれ、客であふれかえっていた。

 

 サービスは、ウェイトレスを呼んでもちっとも来ないローカル式。ウェイターやウェイトレスが大声でわめきあっているのもなつかしい光景だ。(成都の言葉なので、なにをののしりあっているのかは不明だが、なにやら責任をなすりつきあっている模様)

 

 ああいいなあ、こういうの好きだなあと思って、呼んでも来ないウェイトレスを通りすがりで捕まえて、メニューをもらおうと思ったら、だまって指さしたのは、テーブルに置かれたiPad風タブレット。これにメニューが登録されていて、どうやら紙のメニューはない模様。

 

 おもえば、もう何年も前に、大人気火鍋屋「海底ラオ」がiPadメニューを導入し始めたあたりから、じわじわとタブレット注文が広がっていったように思うのだが、私が北京を離れる前はまだ、カラー印刷の大きなメニューが主流だった。

 

 いまでは、こんなローカル度高めのレストランでもタブレット注文が導入されているんだなあと、浦島太郎気分にひたりつつ、評判通り、大変、おいしい料理を堪能したあとは、渡り廊下のガラスケースに陳列された豆板醤などご当地品のお土産を物色。

 

 でも、買おうとしたら、ガラスケースには鍵がかかっていて、取り出せない。

 ウェイトレスを呼びに行く間、かなり昔、たぶん90年代以前のことだと思うのだが、国営デパートで、ガラスケースに入った商品を買おうとしたら、「その鍵を持っている店員は今日は帰った」と言われて買えなかったというエピソードを思い出した。

 

 さすがに今はそんなことはなく、鍵をもったウェイトレスが登場、あっさりショーケースを開けてくれた。

 ところが、買おうとした商品に値札がないものがあった。

 「これ、いくら?」とたずねたところ、「知らない」。さらに「値札のないもの売れない」。

 売れないと言われても、棚にはちゃんと商品として並んでいるのだが……。

 

 注文はタブレット式でハイテクになっても、こういうところは変わらない。

 そしてそのかわらなさにほっとする。

 

※成都(北京蜀都宾馆)

http://www.dianping.com/shop/513399

 

【お知らせ】

(中国とは関係ないですが)お手伝いした本が出版されました。

『怪魚を釣る』小塚拓哉著(インターナショナル新書)

「体長一メートル、もしくは体重一〇キログラムに成長する淡水域の巨大魚」すなわち「怪魚」を追い、世界四〇カ国以上で五〇種以上を釣り上げてきた著者がかたる「怪魚を釣る」とは。著者いわく、現代の「未知」は情報がないこと。

――「今の時代、お金と時間と情報があればなんでもできる。それは『道楽』です。でも制約があるとき、同じことが『冒険』になる。僕はクリエティビティ―で制約を乗り越え、予測不可能なカオスを楽しみたい」(日経新聞3月11日「あとがきのあとがき」著者インタビューより)

 

怪魚な旅のカオスをぜひ!

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プレミアムフライデーと日本人の「まじめ力」と中国人の「勝手力」

 プレミアムフライデーのニュースをみていて、ふと思った。

 プレミアムフライデーに、真面目に3時退社していては、たぶん、日本人の働き方は変わらないのではないかと。

 

 私のまわりには、大企業勤めの人が極端に少なく、プレミアムフライデーに3時退社したという人はいないし、そういう話も聞かないので、じっさい、どれくらいの人がプレミアムフライデーを楽しんだのか、実感としてわからない。

 

 けれど、テレビのニュースで、ちゃんと早く帰ってお買い物したり、イベントを楽しんだり、「これから温泉行ってきます」などといって、盛り上がっている(あるいは盛り上がろうとしている)人々の様子を見ていると、あらためて、日本人はまじめだなあと感じた。

 

 これが中国の場合であれば、と考えてみる。

 おかみが「いっせいに3時早退しましょう〜」と言っても、現実問題として、そんなゆとり社会ではないから、役所や一部の大手企業は同調したふりはするかもしれないけれど、一般庶民は「どうせ、下々のことはよくご存じないおかみのたわごと」としてスルーするのではないだろうか。(休んだら金もらえる、というのであれば、喜んで休むだろうけれど)

 

 でも、日本人は(一部かもしれないけれど)、ちゃんと仕事をやりくりして3時退社していて、しかもあながち「やらせ映像」ではなさそうだ。

 それらを見ていると、日本人が働きすぎなのは、こんな風に早く帰る日を決めて、みんなでいっせいに休みましょう的なまじめさに起因しているのではないか、と思ってしまった。

 

 日本で仕事をしていると、日本人のやり方は本当にきめ細やかだと思う。一つ一つ、着実に進めて、ミスはあまりないし、逆にミスをしたらすごい怒られる。

 一方、中国の人と仕事をしていると、過程の段階では、ミスは多いし、いいかげんだし、最終形態が見えないし、もう、それはそれは、胃に穴があくほどやきもきする。

 でも、最終段階でいきなり、どーんっとものすごい力を発揮して、意外にもなんとかなってしまう。(ことが、少なくない)

 

 こういうとき、腹はたつけど、「中国の人は偉大だな」と思うのは、「これをきちんとしないと、相手に迷惑かけちゃうかも」という心配をちっともしないことだ。(たぶん「成果をださないと、自分が不利益を被る」、というストレスはあるかもしれないが)

 

 そして、最後に「ほらこれやったから、これでいいでしょ」的な感じで成果物が出てくる。「ご心配おかけしました」とか「ぎりぎりになってしまい申し訳ございません」的な配慮など、あるわけもない。

 勝手といえば勝手なのだが、あながち、まじめに、怒られないように、ちゃんとやるだけが「正解」ではないなと思う。

 

 もちろん、中国は広いので、いろいろな人がいる。「まかせとけ」といって、まったくまかせられないいい加減な人も少なくない。

 また、効率的という点でいえば、どひゃっというほどエラー噴出しまくりの中国式より、着実に進める日本式のほうが「優れて」いるかもしれない。

 ただ、中国的な「勝手力」が生み出すパワーは大きい。

 

 日本人が中国人化したらいいとは、まったく思わないけれど、プレミアムフライデーに、仕事先(お客様)に迷惑かけないよう配慮しながら、がんばってまじめに早退するくらいなら、みんながもう少しだけ「勝手」をやったほうが、働き方の改革にもなるのではないか、と思ったりもする。

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